湖-2[6/22]
あまり多くない生活用品の中に、やはり笛はなかった。
代わりに底のほうに羊皮紙に包まれた古いオカリナが出てきた。
素人用の、それもかなり安っぽい匂いのする代物だった。
端も少し欠けていた。
「マリオネットさん、私にはたいしたことはできませんが。もしこれでよかったら、使っていただけませんか?」
オカリナをできる限りハンカチで綺麗に拭ってから、彼に差し出した。
マリオネットは驚いていたが、おそるおそるオカリナを手に取った。
「……いいのですか?」
私は頭を掻いて苦笑う。
「貴方の持っていた笛と比べるのもおこがましい安物ですけど、差し支えなかったら使ってください。私にはこれくらいしかできませんし」
マリオネットはオカリナをしばらく弄繰り回した。
指を添えて、薄く息を吐きながらそれぞれの音程を確かめる。
綺麗に拭いたつもりだったが、オカリナから漏れる音はどこか黴臭く音が外れていた。
マリオネットは一度オカリナから口を離して目を瞑る。
そして優しく口を付けて、ゆっくりと吹き始める。
するとどうだろう。
初めは飛んでいた音も徐々に規則性を持っていった。
一分も吹くと完全に本来の音を取り戻し、ハイドンの旋律を奏でた。
やがて演奏が終わると、私だけでなく彼も驚いた顔をしていた。
「すごいですね。私が吹いても外れた音しかでなかったのに。貴方は本当にすごいです」
私は手を叩いて彼を賛美する。
それほどまでに彼の演奏は素晴らしかった。
しかしマリオネットは首を横に振る。
「いえ、これはぼくの力ではありませんよ。この子が……オカリナが応えてくれたからこそ吹けたんです」
彼はオカリナを愛おしげに擦る。
横顔に優しい笑顔が浮かんでいた。
「応えてくれたって、どういうことなのですか?」
「そのままです。リリスさん、この楽器はどこで手に入れたものですか?」
私は記憶を探る。
確か随分前に骨董品屋で譲り受けたものだった気がする。
その時からかなり古い代物だった。
「古屋でいただいたものかと。二年か、三年前に」
「そうですか。おそらく前の持ち主はかなり大切にしていたのではないかと思います。少しですけど、吹いていたときに温かい気持ちが伝わってきました。そしてこのオカリナももう一度吹かれたいと望んでいたのではないかと。だからきっと吹けたんです」
私には難しいことは分からない。
ただこのオカリナは彼の手にかかれば、美しい演奏ができるということだけは確かだった。
「どうですか。演奏できそうですか?」
「えぇ、使えそうです。オカリナを吹いたことはなかったのですが、何とかなりそうです」
しかしと言って彼はオカリナを私に返す。
「どうしました?」
「これは、いただけません。残念ながら、ぼくには貴女へお返しするものがなにもないのです。ぼくは貧しく、持ち物もあの白鳥硝子の笛くらいしかありませんでしたが、人への畏敬を忘れてはいません。それでもぼくにこれを吹かせていただいたことを感謝しています。ありがとうございます、リリスさん」
私は微笑む。
オカリナを彼の手にしっかりと握らせる。
「いいえ、逆ですよ。私は貴方にこれを吹いて欲しかったのです。そして素晴らしい演奏をして貰った。もし遠慮が先に立ってこれを受け取れないのなら、祭り場で私に最高の演奏を聴かせてください。それが私の望みです」
彼に笑顔の花が咲く。
優しい気質を象徴するような満面の笑みだった。
例え本質に近くない粗雑な物でも、私は彼に楽器を渡せて嬉しかった。
「じゃあ、ありがたく使わせていただきますね」
彼は私の手を握り締める。
私も彼の暖かな手を握り返す。
「どうぞ、素敵な笛師さん」