森-2[2/22]
森は薄暗い。
朝も昼も夕も陽が差さない。
森には紅樹と呼ばれる大樹が群生している。
この紅樹は根で光合成をして枝で水を吸う。
その為、天は紅樹の根によって陽が遮られ、殆ど日光が届くことがない。
ただし、紅樹の根は特別な苔を発生させる。
その苔は上空の根で光を吸って発光苔類と成る。
それらは上からふわふわと落下し、森を碧く照らすのだ。
だから森は朝晩問わず、いつでもほんのり明るい。
私は森を歩く時、一つのゲーム的なルールを自分に科せる。
降り落ちてくる苔に触れてはいけない。
触れると減点一と定める。
身に纏っているものもいけない。
着ているシフォンのドレスにも長髪に当たっても駄目だ。
昨日は減点百二十四点だった。
今日は百点を目指す。
そうして歩いていると、湖に出会った。
それを湖と称していいのか、私には判りかねた。
なにしろ、地面が段差一個分低くなっていて、そこに満ちる水面は木々が遮るまで続いていた。
十や二十の単位をメートル換算で測れる程度の狭さではなかった。
そして水の色はほんのりと赤みがかっている。
とても普通の淡水ではなさそうだった。
樹木は湖にもしっかりと生息している。
進もうと思えば木を伝って通ることもできそうだった。
私は特にまっすぐ進むことにこだわりはない。
気の向くまま歩いているから、迂回して楽な平坦の道を歩こうとした。
だが、右も左もやはり湖は続いていて、途切れは目に見えない。
私が湖の淵から木に飛び移ろうとすると、唐突に横から呼び止められた。
「あやや、ちょっと待ちなさい。お嬢さん」
いつからいたのか、私の横に大きな黄金色の揚羽蝶が座っていた。
上質な黒のタキシードを着て、同じく同質のシルクハットを被っていた。
彼は地面に菫草で編んだ絨毯を敷いていてそこに座っていた。
その揚羽蝶は私の腰くらいの大きさがあった。
「貴方は誰ですか、黄金色の蝶さん?」
蝶は見た目の若々しさに似遣わないしわがれた声で答えた。
「私ですか? 私は蝶です。名前は本当はないんですが、皆は私のことをムノと呼びます。なので私はムノなのです」
彼のその金色の羽根が左右に揺れ動くと、その度に同色のリンプンが舞い落ちる。
不思議なことに、リンプンは全て地面に落ちる前に消えてしまう。
声とは似遣わないが、彼はとても美しかった。
「貴方は私を呼び止めましたね?」
「はい、呼び止めましたよ」
「つまり私に用があるのですか?」
「はい、用がありあす。よければそこに座ってちょいと私とお茶会でもしませんか?」
私はドレスの裾を摘んで会釈する。
そしてゆっくりと菫草の絨毯に腰を降ろした。
菫草のつるつるした感触は手に残るくらい気持ちの良いものだった。
「素敵なお茶会へのお誘いありがとうございます。謹んでお受けします」
「おやおや、これは礼儀の出来たお嬢さんだ。私も緊張しますね」
ムノはそう言って、黒い艶のある触覚を嬉しそうに動かした。
「私の名前はリリスといいます。生まれは北の庭の方です」
ムノは黒薔薇の紋様が刻まれたティーカップに、セットのポットの中身を注いで私の前に置いた。
ほんのりと赤い液体から甘い匂いがする。
「北の庭ですか。これは珍しい。私も長いですが北の方は貴方が二人目ですよ。あぁ……紅茶をどうぞ。冷めないうちに」