祭り-5[11/22]
姫様と呼ばれる少女は舟の上で、何かを包み込むように両手を大きく広げていた。
それは神輿に向けられている。
やがて舟は神輿の傍らに停止した。
ムノは舵を離し、神輿に対して跪いた。
姫様は広げていた手を前に伸ばす。
彼女の手の平が神輿に優しく押し当てられる。
異変はゆっくりと起きた。
藍色だった神輿が緋色に染まりだす。
染まる部分は不規則で、濃い所と薄い所があり、酷く奇妙な斑になった。
やがて緋が赤ワインほどに濃くなると、そこの苔が神輿から分裂した。
苔は次々に分裂し、離れた分は規則的に神輿の周囲を楕円に飛ぶ。
ついに神輿は最初の半分ほどに減ってしまった。
減った分だけ、楕円に周囲を飛んでいるのだ。
姫様が神輿から手を離す。
周囲を飛んでいた苔が神輿の上空に集まる。
それらは小さい球にしぼんだかと思うと、一気に弾けた。
苔が緋色の粉末となって散らばる。
苔の粉末は数メートル上にいた私達よりも高く昇った。
粉末が雨となって降り注いだ。
緋色に輝く粒は、肌や衣服に接触すると残らず消えてしまう。
観客の中にはビニールを持参している者もいたが、集めることはことはできないようだ。
観客達の視線が再び神輿に集中する。
私も周りに倣った。
神輿は更に一回り小さくなった。
すると、何かが勢いよく飛び出した。
コロボックルに似た精霊だった。
精霊は黄金色に光りながら、空中をあちこち跳ね回る。
彼の通った軌跡は激しい光の道となった。
あまりに強い光の為に、直視することができない。
軌跡はどんどん増え、辺りは数億のランプで照らされているように明るくなった。
軌跡の輝きは、幼い頃に読んだ童話の、太陽という神を彷彿とさせた。
精霊は最後に、螺旋の軌道を描きながら、遥か上空へと飛翔した。
モンブランを突き抜け、木々よりも高く。
未だ、人は誰も見知ったことのないとされる天空へ。
吟遊詩人の語る月と太陽の周期の下へ。
そこには何があるのだろうか。
それを知っているのは無口な精霊とほんの一部の鳥達だけだ。
観客全員が精霊の去った跡を見つめている中、私は姫様に視線を落とす。
彼女もまた精霊の跡を見上げていた。
光の軌跡に照らされた彼女の表情は、どこか悲しげな色香を漂わせていた。
そのままたっぷり十分かけて、光の軌跡は消えていった。
身動きしない観客を残し、姫様は一礼をして去っていった。
彼女が消えると、観客達は興奮冷めやらぬ様子で徐々に散っていった。
私も夢見心地だった。
色の変わる発光細菌も、金髪の綺麗な姫様も、あの精霊も、全てが浮世離れしていた。
全てが夢だったような気もする。
何だか頭がふわふわする。
それでいて意識ははっきりしている。
露店商や見世物小屋のある通路まで戻る。
精霊やら姫様やらで、一連の祭事は終わったようだが、賑わいは衰えていなかった。
むしろより盛り上がっていた。
祭事前にはなかった無数の硝子テーブルがあちこちに置かれていた。
一つのテーブルに三、四人の集まりがある。
皆、手に手にワイングラスを持って談笑している。
私もどこかのグループに混ざろうと歩いていると、手招きしている一団があった。
ムノと道中に会ったマリオネットと、面識のない紫の蝶だった。
「こんばんは。ムノさん、マリオネットさん」
ムノが私の分のグラスにワインを注いでくれる。
「こんばんは、リリスさん。良い祭り日になりましたね」
「えぇ、まったくです」