第一話
7年前のあの夏の日を、萌は一日たりとも忘れたことはなかった。
真っ赤な血だまり。倒れ伏す父と母。鉄のにおい。
あの夏の日以来、萌は夏が大嫌いだ。
入学から一か月がたった5月の今、クラスのグループも出来上がり、すっかり授業にも慣れ、皆が高校生活を謳歌している。
萌が通う青藍高校は都心に位置する私立の進学校で、裕福な家庭の子が多く、ほとんどの子は放課後街に繰り出し遊んでいる。
萌もそんな高校生活にあこがれるが、時間的余裕も金銭的余裕もない。
放課後はカフェでバイトし、朝は二時間かけて通学する。もちろんお弁当を自分で作る分、早起きは当たり前。
成績優秀者5人は学費が全額免除になり、萌もそのうちの一人のため、勉強も気が抜けない。
施設育ちの萌には高校生活を謳歌する余裕などかけらもないのだ。
友達を作りたくてわざわざ遠く離れた高校に進学したが、未だにクラスになじめない。
昼休み終了のチャイムが鳴るとみんな一斉に静かになった。普段よりきっちりした生徒たちに担任の先生が苦笑いする。
「よーし、席替えするぞ、1番からくじひけー」
担任の声にクラスの熱気が高まった。
「潤君の隣がいいー」「春希君と同じ班になりたぁーい」という女子の声があちこちあら上がる。
学年一のイケメンである川崎潤とその親友で潤と同じくらいかっこいい長瀬春希はクラスの女子に大人気だ。
中には「工藤さんと隣になりたいよな」「工藤さんを後ろから見つめたい」という男子のささやき声も聞こえるが、幸いなことに萌には聞こえない。
萌も学年で一二を争う美少女として注目されているが本人は全く気付いておらず、鈍感と言われる所以だ。
「よし、全員くじひいたな、じゃあ席移動しろー」
「よろしくね、工藤さん。」
クールな声で隣に座る川崎君が萌に声をかける。
「よろしく、長瀬君。」
対する萌は苦笑い。
嫉妬交じりの女子の視線が痛い。
「班の中で自己紹介して、班長と副班長決めろよー。来週の勉強合宿はこの班でいくからなー。」という先生の声でより一層女子の視線が厳しくなった。
「はい、俺から自己紹介するね。長瀬春希です。青南第二中学出身で、好きな食べ物はカレー、嫌いな食べ物はピーマンです! 彼女募集中です!」
「じゃあ、時計回りで次は俺だな。川崎潤、青南第二中学出身です。よろしく」
「次は私ね。小川星華です。星田北第四中学校出身です。甘いものが大好きです。よろしく」
最後は萌だ。
「えっと、工藤萌です。角谷東第一中学校出身です。好きな食べ物はプリンです。よろしくお願いします」
緊張しながらもなんとか言った。
「じゃあ、班長と副班長決めようか。誰かなりたい人いる?」
さっそく皆をまとめてくれる長瀬君。
ちょっとチャラいところもあるが、率先して皆を引っ張っていってくれるのはありがたい。結局班長は長瀬君が、副班長は小川さんがやってくれることになった。
「ねえ、俺二人の連絡先知らないからさ、ライン教えてよ。」
「いいよ。私もみんなのライン教えて」
長瀬君と小川さんと川崎君がちゃちゃっと連絡先を交換する。
「工藤さんも」
三人に見つめられ、萌はあたふたする。
「ごめん、私やり方分からなくて」
「貸して、私やってあげるよ」
小川さんがそう言ってくれて安心する。
友達と連絡先を交換するなんて初めてで、萌は知らず知らずのうちに微笑んでいた。
放課後、萌が帰ろうとすると、
「萌ちゃん、もう勉強合宿の準備した?買うものとかまだあったら一緒に買い物行かない?」と小川さんが誘ってくれる。
行きたいのはやまやまだがこの後バイトがある萌は申し訳なさそうに断る。
「工藤さんバイトしてるの?何のバイト?」
「バイトってしてよかったっけ?」
萌たちの会話が聞こえたのか、川崎君と長瀬君が会話に混ざってきた。
萌の高校は基本的にバイトは禁止だが、やむを得ない事情があり学校側の許可をとれば例外的に認められる。
そのことを説明し、カフェで働いていることを話すと、
「せっかくだし、私もお客さんとして行っていい?」
「俺も行きたい」
「嫌じゃなければ俺も行きたいな」と三人が言う。
「いいけど――ここから遠いよ。電車で一時間半位かかるけど――それでもいい?」
萌が心配そうに聞くが、三人とも乗り気なため四人で教室を後にする。
途中、「潤君と春希君、今日うちらと一緒に遊ばない?」と結構な人数の女子に声を掛けられていて、二人ともモテるなーと感心した。
「そうそう、ずっと気になってたんだけど、俺のことは春希って名前で呼んでくれ。苗字はどうも慣れなくて」
「じゃあ俺のことも名前で呼んで。小川さんと工藤さんとは仲良くできそうだから」
「オッケー。春希に潤ね。私のことも小川さんじゃなくて星華って呼んで。さん付けされると変な気分になる」
「工藤さんは?何て呼べばいい?名前で呼んでもいいかな?」
川崎君改め潤君が優しく尋ねてくれる。
「えっと、名前で呼んでくれたら嬉しいかな。私には呼び捨て、ハードルが高いから、潤君、春希君、星華ちゃんって呼ぶね。」
ちょっと照れながら、でも嬉しそうに言う萌に、可愛すぎだろと思う三人。
特に顔を真っ赤にし、けれど優しい目で萌を見つめている潤を見た春希は驚いた。
今まで女子に対してこんな反応をした潤を見たことがなかったのだ。
萌が働くカフェは電車を三本乗り継いだ先にあった。
都心からだいぶ離れたそこは、息苦しさを感じないのどかな地域だ。
「先に入ってて。私は裏口から入るから」
萌は三人を入り口に案内し、急いで裏口に回る。
制服に着替えて出ていくと、お客さんは潤君たち以外おらず、マスターと談笑している。
「萌ちゃん、友達出来て良かったね。みんな、萌ちゃんのことよろしくね。」
マスターの言葉が心にしみる。
中学生の頃からの付き合いで、当時はバイトをしていなかったけど、すごくお世話になっているマスターは、萌の第二の保護者と言っても過言ではない。
そんなマスターに友達を紹介できたことも嬉しいし、初めての友達にマスターを紹介できたことも嬉しい。
一時間ほど楽しい時間を過ごし、潤君たち三人は帰っていった。
「萌ちゃんにちゃんと友達ができて安心した。頑張ることも大事だけど、根詰めすぎちゃだめだよ。遊ぶことも大事だからね。」
萌の事情を知り、何かと気にかけてくれるマスター。
マスターに出会わなかったら、萌はきっとこんなに明るくなれなかった。
こんなに回復できなかった。
大きな体躯に日に焼けた肌、人懐っこく太陽のような笑顔が萌は大好きだ。
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