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藪の中、人形の小屋

夜の明かり


古い国道沿いの歩道は狭くて恐い。ひっきりなしに通る車やトラックの騒音と振動とその存在感が後ろから迫ってくるようで心が休まらないし、何も考えられなくなる感じが嫌であまり通りたいとは思わない。オレンジの照明の下でヘッドライトに照らされる反射板は見ていて何とも寂しい気持ちになる。夜の闇をまとっていても見た目は相変わらず埃っぽい。長時間身を置いておくような場所ではないと思うものの、その道路沿いに居を構えている家庭はあるもので、その中で行われている生活は日々どんな状態にあるのか気になったりはする。昼の間も夜中や明け方だって車は往来していて、少なくとも静寂が訪れることはない。そこに住んでみると意外に居心地がいいものだったりするのだろうか?もしもそこに住んでいる夫婦の一方が他人と一緒の部屋で寝ることが苦手な人なら、車の通り過ぎる音が睡眠を助けてくれることもあるかもしれない。

そういった家々の明かりを遠く横目に流しながら、田んぼに囲まれた見晴らしのよい真っ暗な道を自転車でひた進む。あっちに比べてこちらの道は街灯も何もなく真っ暗で、明かりと言えば自転車の前を白く形作った楕円がゆらゆらと右に左に揺れているくらい。夜の風はこの季節なのにひんやりとしている。

目に見えるものが少ない分神経が研ぎ澄まされる感覚はある。こんな場所に潜んでいるものなどイノシシか鹿くらいだろうが、根拠はないものの今なら十分な距離で察知することができる自信はある。

ずっと先の方、自分から見てまっすぐの水平線上にあと少しばかり光の筋をたたえそうなほど明るく灯る物体がある。いつの季節もコンビニエンスストアの照明は安心感をもたらしてくれる。今はひたすらにその光を目指して自転車を漕ぎ続けているが、そんなに急ぐ必要はないだろう。速度を緩めてもう少し柔らかい空気を肌に感じてもいい。そんな心地よい中においてしかし、自分は辺りを見回さずにはいられない。

きっとそれはあの噂のせい。

耳に入ってきたのは、女が町中を彷徨っているという話。


「その女って、例の?」

「例のって?」

「ずっと見つめてくるっていう髪の長い女。」

「髪の長い女?」

「前にあったじゃない、そういう噂が。」

「ああ。そんなのもあったっけ。」

「じゃあそれと同じかどうかはわからない?」

「そうなるわね。」


噂というもの。広まるのは早いが忘れられるのもまた早い。


「女はノソノソとね、とてもゆったりとした感じで歩くの。ひどい猫背でだらんとした手と長い髪を前に垂らしたりなんかして。いかにもって感じよね。」

「ええ。」

「でもね。動きの遅い生き物ほど瞬発的な速さがあるって言うじゃない?それはその女にも言えるらしくてね、女は走り始めるとすごい速いのだって。」

「走るのが?」

「その話を聞いたときに私は思ったわ。その走る姿はいったいどんなものなのだろう。地面を蹴る普通の走りなのか、それともちょっとばかり浮いていたりするのだろうかってね。」

「地面から?幽霊みたいに?」

「またそのフォームは全力疾走をするような、いわゆる腰が前に出る感じのものなのかどうか。」

「アスリートのようなものね。」

「ただそう思いを巡らしたところで、そのフォームの形っていうのは誰も確かめることはできないと思うのよ。」

「確かめることが出来ない?見ることはできないということ?なぜ?」

「だってその女が走る姿を見ている状況っていうのを想像してみるとね。女はいつもこちらに向かって来ている状況なのですもの。」

「向かってくる?」

「そうでしかない気がするの。そうなるとそれはこちらに正面を向けているわけだから、それが前傾姿勢なのかそれとも腰が前に出ているかなんてのはよくは見えないし、そもそもどうなのって話よね。」

「観察できる状況じゃないわね。」

「そうでしょ?だとしたらまたその姿は走るフォームやらなんていうものじゃなく、なにかを襲うような感じの、手を大きく前に出していかにも襲ってくるようなものなのかもしれない。目の当たりにするのだとすれば。」

「そんな気がする?」

「ええ。そうだったら怖いと思わない?それはなにをしてくるつもりなんだろうって。」

「そうね。」

「それに根拠もあるわ。」

「根拠?なんの?」

「それはまたこうも言われているの。抱き着かれてしまったなら、決して逃れることはできないって。」

「逃れることができない?」

「一度抱き着かれてしまったならそうなるの。それはとても力が強くてね。その手指もその先までしっかりと胴体や二の腕に巻き付いてしまうから絶対に振りほどくことができないのよ。」

「そういう話なの?」

「そう、そういう話。」

「思うんだけどそれって、ちょっと変な言い方ではない?」

「なにが?」

「一生とか一度抱き着かれたらとかって言うのが。」

「どういうこと?」

「そういうのに捕まってしまったなら、普通はそこでゲームオーバーになるんじゃないかなって思って。離れる離れないなんていう場合なのかしら?まるでそれは捕まった後なにもされることなく、ただそのままにしておかれるみたい。」

「そうだったならあまり怖くないものなのかしら。まあ得体のしれない恐ろしいものの腕の中でずっと生きていかなくてはならなくなるようではあるけど。」

「怖さは変わらないわ。それも十分嫌なことだもの。」

「まあそのオメットさんも、掴んでおくだけで済ましてくれるわけじゃないだろうしね。」

「オメットさん?」

「そう呼ばれているのよ。そしてオメットさんはきっとすぐに腕の中をカラにして、次の標的を探すんだわ。」

「次?」

「そう、次。きっと一人では物足りないもの。ああでも、オメットさんはあまり襲わないとも言われているわね。」

「それもその噂によればってこと?」

「そう。」

「でもあまりってどういう意味で?」

「その襲う数が少ないということ。あんまり大勢は必要ないみたい。欲が少ないのだって。」


オメットさん、その名前の由来はどんなところにあるのだろう。その話の最期、彼女はこう伝えてくるのも忘れなかった。


「今は追われている人がいるわけではないらしいから大丈夫よ。」


それは恐がるわたしの不安を和らげるためにそう一言添えたものではなく、それもまた噂で聞いた通りの内容なのだろう。しかしその言葉の響きはなんだか気持ちが悪い。今はそうでないということは、今後そうではなくなるということか。今は追われている人がいるわけではない。では追われている人がいるわけではなくなったらそれはどうなるのか。今始まっていないからこそ始まったときのことを想像してしまう。それも恐いのだ。

もちろんそういった話を仕入れたなら他の三人に情報共有すべく招集をかけなければならないし、他のメンバーが先に耳に入れたことがあるなら、また連絡が来るようになっている。集まる場所は特に決まっていないが、話し合いはわずかな時間ですぐ解散となるため、特別椅子を突き合わせるようなものではなく、それは帰りの途中にあるスーパーマーケットの駐車場だったり適当な堤防の上などで、いつも自転車にまたがりながらの会話となる。普通に立ち話をするよりも心なしかその方が話が盛り上がるように思う。何かをしながら、なにかのついでに、というようなことなら変にその話題に集中しようとしなくていいからだ。自分はそう思っている。


「なにも追っていないというのであればそれは今なにをしているんだろうね。」

「探してるのかな?」

「なにを?」

「うーん、なんだろ。」

「そうではない気がする。」

「そうではない?じゃあどういう気がする?」

「なにも考えてないの。」

「そういう気がするっていうだけか。」

「そうじゃないの。考えていないって言ったのはその女のこと。」

「女?」

「なんとなく思うだけだけど、それはなにも考えてはおらずただ無心でそうしているだけなの。その女はなにか機械のような、人形みたいな感じ。簡単に言えば感情がないもの。」


ふとそれはほぼ同時に、何の前触れなく皆の視線が話を聞いていただけの彼女に移った。特に理由はないが敢えて言うとすれば彼女が今まで一言も発していないことに彼女を除いた全員が同じタイミングで気づいたということ。相槌一つも打たず押し黙るようにしてただ聞いているその様子にはなにか理由がありそうで、室浜も棚葉も自分もまた彼女に発言を促すような視線を投げかける。

一瞬の間が空いたのち、彼女はこんなことを話し始めるのだった。


「私も似たような感じの噂を聞いたの。女が狙った獲物を捕まえるといったようなこと。彼女に抱き上げられてしまったら逃げられないっていうことも。だけどその噂はほんの少しだけ具体的だったわ。」

「どんな風に?」

「女に抱き着かれたら決して引き剥がすことはできない。また叫んでも無駄なのだって。その女以外には声が届かなくなってしまうから。」

「その女以外には?」

「消されるのだって、自分という存在が。」

「存在が消される?どういうこと?」

「でも見た目にはわからないらしいのよ、消された後も。周りからみたら普通に生活しているようにしか見えないし。相変わらずそこにいるものなのだって。」

「なんにもならずに家に帰されるということ?」

「いいえ、なにも起きていないかといえばそうでもなく、その人はじきに消えることになるの。この町から出た後にフッと。」

「町から出た瞬間にその人の姿が消えるの?」

「街から出て、そして誰の目にも触れなくなったそのときにね。そういう話。」

「女に捕まったらそうなってしまうと。じゃあそれは逆を言えばその人は町にいる限り消えないということかな。」

「そうよ。消えたくなければこの町から出なければいいということね。でもね、そんなことを頑張ってももう意味はないのよ。その中身は既に空っぽなのだもの。」

「どういうこと?」

「存在を消されるっていうのはそういうこと。女に抱き上げられた瞬間にでもその身体からは人格というか魂、もしくはなにかを抜かれてしまっているわけ。だから残った身体が日常に戻ったとしてもそれはもう考えることすらない感じなの。でも周りから見たら普通に生活しているからね。」

「魂がなくて考えることもしないのに日常を過ごすってこと?なんだかよくわからないな。」

「しょうがないじゃない、そういう噂なのだもの。」

「それってなんだか人形みたいだね。」

「でもそうなった人は、やっぱり空っぽだからそう生活しているように見えるだけって感じなの。だからなにを聞かれても答えはするけどそれはどこか生返事で、目つきもちょっとばかり変わっていてね、それはきっとうつろな目というまではいかないもののよく見るとこちらを見ていない感じになっているわ。遠くを見ている様で遠くすら見ていない。」

「まったく変わらないというわけじゃないということね。その態度は。」

「ええ。でも本当に注意深く観察しないと分からない感じ。」

「そうでも、誰かしら気づいてくれる人はいると思うけどね。家族とか友達ならなおさら。」

「気づかないわ。」

「どうしてそう言えるの?」

「その人の受け答えは特に変わりないのだけど、どこかそれには心がこもっていないっていうか、相手からしたらちょっとだけ失礼に感じたり心外だなって思わせてしまうようなものでね。そうなものだからそれを微妙に読み取った相手、たとえば近しい人、あなたの言った通りの友達や家族にはいつしかちょっとずつ敬遠されていくことになるの。徐々にどうでもいい人として周囲や家族にさえ思われて、そうしている内にあまり気に掛けられないような人になる。それは決定的におかしいと思われる前にもそういう状況になってしまのよ。それでその人は食べて寝て学校に行く生活を続け、後に卒業したらいつかは町を出て、そして消える感じ。」

「誰の目にもつかない形で。」

「ええ。」

「なんだか寂しいわね。」

「なにがどう変わるかをその人たち、周囲の人たちは教えられてはいないのだもの。ちょっとの差で、異変に気づかれない方向にことは進んでいくのよ。」

「せめてなにがどう変わるかを知らせてあげればいいのだけどね。よく見ると目がそうだったり、返事に力がないというか感情がこもっていないということとか。そのほかにもなにかあったりするかしらね。」

「特徴的なもので?」

「ええ。」

「もう一つあるわ。それも気づかれにくいことらしいのだけど、その人の発言というのはよくよく聞いてみれば、それはその人が過去に言ったことなのだって。」

「過去に言ったこと?」

「その人の発言は、その人が過去に口に出した言葉の数々から選択され抜き出された言葉になるの。発言した内容とか単語とか。」

「その口から発せられる言葉は、そのすべてがその人が過去既に言ったことってことね。」


そうであれば多少気づきやすくなるものと思ったが、そうでもないかもしれない。人は記憶の中で生きるものだし、元々がそういった生き物なのだから。自分たちの会話の内容だって、過去にしている発言を切り貼りして口に出しているだけのことかもしれない。


コンビニエンスストアの駐車場の隅に自転車を止め、緑の柵から敷地の外を見回したところでなにも見えはしない。店の照明が周囲のなによりも明るすぎて、そこらは黒いカーテンがかけられているみたいな質感を得ている。それはむしろ海に近い。いろんな小石や微生物かなにかで、手元までしか見えない海。厳密に言うならそれも違う。こちらからはうかがい知れないなにかが、きっとあちら側の闇の中に潜みうごめいていて、そしてそれらからはこちらのことがよく見えているのだ。何を知らずに闇に近づこうものなら、そっと伸ばしてきた手に自分の足か手首を掴まれて引きずり込まれるかもしれない。それでも怖くないのは、光と闇を隔てるようにして立っている柵を目の前にしているからであろう。

すれた車輪の音が徐々に近づいてくるのに気づくと、明かりの中に棚葉が姿を現した。


「よっ、」


無言でうなずき返せばいい。彼にはそれで事足りる。


「あと二人もすぐに来ると思う。」

「連絡があったの?」

「いや、なんか気配がしたから、国道の遠く向こうのほうに。」

「野性的な勘?どっちにしろそうでしょ。もうそろそろ約束の時間だし。」

「あ、虫よけのやつ忘れた。ちょうどいいやつが家にあったから持ってこようと思ったのに。」

「虫よけスプレーじゃなくて?」

「なんか腰にぶら下げるやつ、四角い平べったいプラスチックのさ、前が換気扇のような感じになってるような感じの。」

「あるわね、そういうの。」

「使ったことないから、いい機会だし持ってきたかったんだよね。」

「ちっちゃい扇風機みたいのが付いてて、それが薬品を拡散させるんだっけ?」

「どうだったかな?電池が入るまでは大きくなかった気がする。ボタン電池とかだったっけかな。まあいいや。中で蚊取り線香あるかな。買っていく?」

「いいんじゃない?別に。」


なにげなく足元を見ると彼は靴紐がないタイプのスニーカーを履いている。棚葉といえばこの靴というイメージがある。彼はずっとこの靴なのか、この靴を繰り返し買っているのかは知らない。そう考えるとこの自分はといえばそれは他から見てどんなイメージがあるものだろうか?身に着けているもので言うならば。例えば同じ靴といえば、自分の履いているのは普通の運動靴。ランニングシューズになるが同じものを選んで買い替えているわけではない。この靴だってそんなに長い期間履いてきてはおらず、そろそろ黒シミが目立ってきそうな程度履いただけ。シューズというのは真新しいと気を使ってしまうが二日もするとすっかりなじんでしまい、その後は空気のように存在感を消していくようなもの。自分の持っているものを他人に印象付けたりすることは可能だろうか?そう考えれば、モデルが身に着けているものなどは宣伝効果なりその辺のことを利用していたりするのかもしれない。いやきっとそうなのだろう。

大人の世界、いわゆる社会というものについて誰かとの会話で話題になったことがある。その誰かの話すによるとそこは自分たちの世界とは全く違うもので、非常に厳しい世界なのだそうだ。全員が自分のできる限りのことを考え、力を尽くしているところ。なにかしらを自分自身が行わなければならず、ただ話を聞きその指示に従って勉強をするだけでは済まされない世界。


「あなたってなにになりたいのだっけ?」

「なにに?」

「将来。」

「人に話したことないけどね。そういうこと。」

「話せないこと?誰にも言わないから言ってみたら?」

「知りたがるね。」

「別に興味はないわ。話すことがなくて暇だから話させてみようってだけ。」

「そんなのじゃ言いたくないよ。でもまだ全然そういうことは決めてないっていうのが本当のところかな。まだまだ先のことだし、その前に進路の話があるからね。」

「そういうのを決めないと進路は決められないのじゃない?」

「そういうものなのかな。じゃあ行けるところに行く感じになるのかな自分は。でもなんとなく早くから決めないほうがいい気がするんだよね、そういうのって。」

「なんで?」

「早め早めに決めていってしまうとそれがプレッシャーになったり、もしくはダラける口実になったりしないかなって思ってさ。それよりは今の時点の目の前のことにベストを尽くしていったほうが、最終的にはいい結果が出たりとかしそう。」

「あなたはそういう考え方なのね。」

「それが悪いって言われたらどうしようもないけど、でもさ、この中で将来のことを詳細にまで決めている人っているかな。学校の中で。」

「誰か一人はいるんじゃない?もしくは二人。」

「二人っていうと、どういう意味?まさか結婚することまで考えている人がいるっていうこと?」

「もしかしたらの話よ。学校内で誰々が付き合ってるとかは聞いたことないし、誰々が告白したとかしたいとかいう話だけしか聞かないけど、もしかしたらそういう告白のうちの幾つかはちゃんと成功していて既に隠れて付き合っている人がいたりして。」

「どうだろう。」

「そしてその二人は誰にも見られないような場所、たとえばお互いの家とか、もしくは家族にもその関係を知られたくなければどこか土手とか山の上の公園とかで会っていたとしたらね。二人はいろんなことを話題にする中で、ずっと二人でいたいねなんて話すこともあるかもしれないわ。」

「うん。」

「その延長線上で、じゃあ進路はこうこうこうしようとか一緒にいるためのことを考えていくの。結婚っていう単語は気恥しいものだし、若干話が重くなっちゃうから無意識的に口に出すことは避ける感じだとは思うけどね。羨ましい?そういう二人がいたら。」

「うーん。まあね。」

「もし居たら結構な希少さよね。」

「そうだね。」

「でもあれなのだってね。成人したなら自分もそういうことになるのかなって、さも当然のごとく思っていたならそれはそうじゃないかもしれないわ。今って結婚する人のほうがもしかしたら少ないって言われているらしいじゃない?誰にとっても当たり前のことじゃないのよ、そういうことって。だからあなたも焦らないと、そういうことを語り合う相手もいないままに取り返しがつかないことになってしまうんだから。下手すれば一生ね。」

「お互い様だと思うよ。」

「自分は大丈夫だと思うわ。」

「なんで?そういう相手がいるっていうこと?今の話ってもしかして自分語りになる?自慢話を聞かされていたっていうこと?」

「違うわ。私はそういうことを今の内からわかっているから、ちゃんと焦ることができるだろうってことよ。」

「でもうまくいくとは限らないから気を付けたほうがいいと思うね。」

「それはそうよ。でももしうまくいかなかったりしくじったりして相手もおらずどうしようもなくなったら、そのときはまあよろしくね。」

「なんだよそれ。」

「私にとっての最終的な救済策。しょうがなく、仕方なくかって感じ。極力そうならないようにしないといけないこと。」

「酷いことを言うね。それになんでその時の僕に、誰の相手も無いことが前提なんだよ。」

「そんな感じに見えるから、それしかないでしょ?でもその時はそっちからもお礼がほしいわ。」

「僕はそんなに横柄じゃない。その時はちゃんと感謝するよ。君に対して。」

「そうならないために、お互い一緒になれる人を探さなくちゃ。でもそういう人なら誰でもに手を伸ばすのはやっぱりよくなくて、余程信頼できる人でなければならないわ。」

「信頼する人ね。それってどんな人?」

「信じられる人でしょうね。でも私からした意味的には自分にとって心休まる人。そういう相手は自分から見て信奉するというか尊敬してしまうような素晴らしい能力を持っていたりとかする人ではなく、お互いに対等かまたはこちらが上位でいられる人、ほんの若干だけ上にいられるような立ち位置の相手ってことになるわ。」

「自分が上ね。」

「本当のところを言えばそうなの。全く理解できないってことはないはずだけど。」

「どうだろう。」

「そういうものなのよ。」


「それにしても遅いな、あの二人。」

「まあまだ時間にはあと三分くらい残っているもの。遅れているわけじゃないし、時間ギリギリに来るつもりなのかもしれないわ。」

「気配は気のせいだったのかな。」

「私は少しもあてにしてなかったけど。」

「でもちょっと珍しくはない?この四人で集まる時ってなぜかいつのときもみんな七分前くらいには集まり終えてる感じだったのに。」

「確かに。でもなんでそうなのかしら。あなたはなぜその七分前には来ていたのかしら?」

「いつの集まりの時も?それはまあなんとなく。自分こそなんで?」

「わたしは何となくということでもなくて、待ち合わせには十五分前に集合するものだって親に教え込まれているもの。いつの時も最初に来てるでしょ?わたし。」

「うん。」

「でもいつもそうして余った時間っていうのはなにをしてるの?ってあなたは聞きたいんでしょうけど、考えごとをするのが好きなのよ。そういう待つ時間とかじっとしているしかないっていう状況の中では特にね。こういう気持ちはわかったりしない?」

「どうかな。」

「そう。でも今きっと二人は一緒になってこちらへ向かっているのでしょうね。」

「どうしてそう思うの?」

「一人なら時間に遅れないようにしなきゃっていう恐怖感があったりするから早め早めになるものだけど、二人なら時間ギリギリになってもし遅れることがあっても、自分だけが責められたり人間性を疑われるようなことは起き得ないでしょう?」

「二人はお互いの姿を見て安心したものだから、ちんたら向かってきているって感じ?」

「そう。でももしかしたらなにかあったりした可能性もまた否定はできないけど。」

「なにかって?」

「なんでしょうね。例えばなにがあるかといえばないこともないわよね。今現在においてなら。」

「・・。」

「例の噂の女に出会ってしまったとか。」

「それはないと思いたい。」


女が襲う人の数は最初十二人程度だとされた。もちろんそういう噂があったのだ。一年間の間だけ一ケ月に一人だけを襲う。その理由は、襲った人に対して女が一ケ月で飽きてしまうから。

飽きるとはなにか。

それによれば襲うというより女は人を浚う、ということになるのだろうか。浚って閉じ込め、おもちゃのように扱ってそして飽きて捨てるのだ。飽きられるまでの間、その人はどういう光景を見ることになるだろう。ふとそれは、実のところ飽きるのではなく腐るのではないかと思ったりしてしまう。その人は既に言葉を話さなくなっていて、そこにあるのはただ人の形をしたものがあるだけ。それは腐り始め、戯れているうち徐々に形を崩していき、そして最後はボロ切れのようになってしまっては次のものを探さざるを得ない。そうなる期間というのが大体一か月。そういうこともあるかもしれない。

だがその噂を聞いた半月後には、その数は八人になった。女の住んでいる家には八つの部屋があるらしい。女は浚った人を一つずつの部屋に入れては家のすべての部屋をそのようにして埋め、ただただ寂しさを紛らわすのだそうだ。やはり浚われた人はその時点で無事ではないかもしれない。隣り合った部屋同士、お互いの存在を意識することもなくただ動くことをせず叫ぶこともしない。なにも考えずなにも感じないただの人形のようなそれらが部屋の中にひとつずつ置かれているだけ。そう考えつつ、それをキラキラとした目をしながら話す目の前の友達はそういうことまで考え付いているかその話を聞いたときは思ったものだが、その一週間後には同じ彼女からそれは実は六人だったらしい、という話を聞く事となる。

六人はサイコロの目の数。女はサイコロを振って、その日に話しかける相手を決めるらしい。話す相手は毎日一人だけと決めている。なぜなら毎日同じ人と話しているのでは飽きてしまうし、複数の相手を用意したとなればその振り分けがわずらわしい。なにかしら好き嫌いは生じるだろうし、気分で相手を決めていたのではどうしても偏りがでてきてしまうだろう。随分と話さない相手も気づかないうちに出てきてしまうかもしれない。それではなんだかそうなった人がかわいそう。それなら順番を決めてループするということにすればいいかもしれないが、それではなんとなく学校で扱う週の時間割のようでマンネリ化してしまうのではないか。また相手だってそうなるのだろう。ならばいっそのことサイコロで決めてしまえばいい。それであれば前触れなく急に相手が決まることになるし、条件としてはみな平等にしてやることができる。その相手の人たちというのはもちろん浚ってきた人のこと。その人はどんな状態で女と話をすることになるだろうか?

女が話すその内容とは?なにを話題に?恐らくそれは女の話したい話題に他ならず、相手がどう反応をしようと、たとえなにを発することのない、そんな状態であろうと変わりはないのだと思う。女は目の前のそれに向かって話し続けるのだ。想像したくはないが、それは本当に寂しい光景ではあるような気がする。ただそういった境遇になるであろう人の数といえばそうでもないらしく、その話を聞いた翌日の午前、体育の授業におけるバスケットボールの待ち時間でのこと。普段話さない子が小さな声で話しかけてきた。その話の人数はそうではないと。恐らくは前の日、そのような話をする友人とそれを聞く私と数名のその様子を目の前で見ていたのだろう。

それは六人ではなく、実のところ四人ということらしい。

その四人の根拠は?

思わずそう返したのは、そう言ったきり彼女の話が終わってしまいそうな雰囲気だったからかもしれない。しかし彼女の口から期待するようなことが出てくることはなく、その理由を彼女は聞いていなかった。

その理由が気にならなかったの?

そう聞きたい気持ちは山々だったが彼女はやはり普段話すような相手ではないため、しつこく追及することもできそうにないなどと思ったりしたこちらの表情を読み取ったのだろう、彼女はこう言うのだった。

四人の理由はまだ誰も知らないのじゃない?でもすぐに知ることになるんだと思うよ。噂は尽きないもん。でも本当に欲が無いよね、四人だけなんて。

そうだろうか?

その後、予想に反してそれ以上その数に関しては減り続ける様子を見せることはなく、今も四人ということに落ち着いたままになっている。


闇の中から聴き慣れた声がしてきた。

竹と室浜が姿を現した。思わぬ方向から来たものだ。


「二人でなにをしていたのって感じ。」

「違うよ、この人が近道があるなんて言って着いて来たはいいものの、逆に時間がかかっちゃった。」

「でもちょうど時間通りだろ?」

「急いで来たようだからちょっと一服しよう。」

店内に入る直前、棚葉が一言注意する。

「この時間帯だから食べ物を買うのはやめた方がいい。変に思われてはいけない。」


確かにこの遅い時間帯、男女四人の学生がして入って来たとあっては、それだけでちょっと変に見られてしまう。塾の帰りということもできるが、それなら家でご飯を食べるのが普通なのでやはり食べ物を選ぶよりも軽いちょっとしたものを買って、塾帰りのひと時を演出して見せる必要がある。

四人はみんなそれぞれ違うアイスを買う。モナカに包まれたアイスや袋状の飲んで口に流し込むような感じのもの、チョコレートに包まれた木の棒に挿さったものとプラスチックを押しつぶして中身を出して吸い取るようなもの。しかしやはりこういう場所だし所詮立ちながら食べるとなると皆一様に片手で食べられるタイプを選択したようだ。ほとんど無意識だと思う。

空は日が沈んで一度黒くなったならそれは朝が近づくまで同じ黒がずっと続くだけ。舐めたり軽く噛んだりしながら各々が無心に冷たいものをしゃぶっていても、室浜だけはきょろきょろとうるさい。


「何?さっきから。」

「ここってヤンキー来ないかな。」

「あぁ。」

「大丈夫でしょ。町から外れた国道沿いのこんな場所だし。車だって県外ナンバーばかりだもん。」

「もしそういう人たちが来ても、それは私達より一回りくらい年の離れたような人って感じだから、気にもかけられないと思うよ。そういうものでしょ?」

「確かに。割と世代が離れすぎてるとトラブルにはならないかもしれない。」

「お互いの立ち位置がはっきりしてるからあちらから見て目ざわりでもないんだろうね。」

「でももしも僕たちと同じくらいかちょっと上のそういう人たちが見えて、それがこっちに来そうだなって予兆があったら、そのときは迷わず逃げるからその時はちゃんとよろしくね。」

「よろしくって?」

「決まってるだろう?この駐車場からまっさきに自転車で移動するんだよ。」

「どこに?」

「裏の田んぼのほうに。」

「逃げるってこと?」

「そうだよ。すぐに最優先で。」

「そうだそれでいい。」

「こういう時ってそういう話が出たら、ちょっとは平気なふりをしたりするものなんじゃないの?潔いけどあなた達にはプライドがないの?それとも嘘をつくのが嫌な人達なのかしら?」

「理性的に考えるとそれが一番正しいでしょ。もしもそういうことを決め合わせしないでおいてさ。そういう状況になって僕たちの誰かが、特に僕ら二人のどちらかが悲惨なことになった場合、僕達の君たちに対するプライドなんてものはボロボロに打ち砕かれるものだろうし、僕の精神にとっても悲惨極まりないことになったりすることも結構高い確率であるんだから。」

「そういうことがあれば、この四人もこうやって話すような仲ではなくなってしまうでしょうしね。」

「だから今はそうするのが絶対正しいに決まってるんだ。嘘をつくのを毛嫌いしてるわけじゃない。嘘っていうのは時と場合によっては必要だろうし、みんなだって日常的にしていることだよ。自分ももちろんそうだけど。」

「そういうものよね。頭の中で思っていることと口に出ることは違うことは多々あるし、小さな嘘を重ねていかないことには学校生活も過ごしてはいけない。」

「当たり前の、ほとんどすべての人がしている必要なこと。まあそうしていない人も中にはいるかもしれないけど。」

「嘘をつかないって決めている人のことね。でもそういう人ってなんとなくわかるわよね。」

「誰かの顔が頭に浮かんでる感じ?」

「一人か二人だけ。」

「じゃあ心の中でも嘘をついている人ならどう?」

「え?」

「自分の頭の中でも、自分に嘘をついている人ってなったらどんな人が頭に浮かぶ?」

「自分に嘘をつくか。それってどういう感じだっけ?ちょっとすぐにはイメージがつかめないんだけど。」

「自分を騙すって感じ。例えば本当は好きなんだけど、嫌いだと思い込まなくちゃいけない状況とか。」

「切ないけどいいね、それ。」

「もしくはちょっと不信感を感じてはいるものの、信頼したいっていう気持ちがあるからわざとそういうことに目を向けないっていう感じ。」

「ああ、あるかなぁ。んー、やっぱりないかな。」

「あまりないけどそういう人はきっといると思うわ。もしくはその人はとても恐怖を感じているばかりにそうして知らないふり、見ないふりをしているとか、ね。」

「自分がそうだってこと?」

「違うわ、だからそういう人もいるかもしれないって話よ。それだけ。」

「そう。」


みなが口を閉じて少しの静寂が訪れる。あまり皆こういったひと時は得意ではないだろうが、自分にしてはそうでもない。目の前の人間がなにを考えているものか、その表情を横目で見て夢想してみたりするのがちょっとした楽しみではないが、そういう時間のそうした過ごし方というものを自分は知っている。表情を見るとその人の考えてそうなことはだいたいわかる。今においてもそう。目の前の頭の中では大体思った通りのことが考えられているはずで、その顔はやっぱり自分の思った通りの表情をしている。なにかを思い浮かべるような顔。思い浮かべながら思い返している。ただしそれは楽しいことではない。


女が町の中を歩き回るのはあることを確かめているのだそうだ。


「なにを?」

「ルートを。」

「ルートって?」

「一番の近道。」

「何の近道?」

「それは決まってないの。だってその時々によって違うから。」


それは追いかけているものに追いつくための一番の近道であり、追いかけているものを逃がさないためのルートでもある。女はそういう目的で町じゅうの道全部を把握していく。道だけではない。逃げ場所。隠れ場所もそう。普段女が人の目に触れないのはそういうところに隠れているため。町の中には隠れるのにちょうどいいような場所、スポット、スペースが無数に存在し、女はそれらすべてに足を運んでいく。


「もし彼女に追われるようなことがあったら絶対逃げることはできなそうね。走っては追いつかれてしまうし、どんなに急いでも近道を使ってくるのでしょう?」


そしてそれは隠れても無駄なのだ。それらの場所はもう全て彼女が見知っている場所になるのだから。この話をしてくれた誰かの目の前にいたうちの一人、確か私の友達はこの話を聞いたときにこんなことを呟いたのを覚えている。


「なんだか外堀を埋められている様な気分。準備しているみたい。」

「準備?」

「いいえ、それは準備そのものよ。そうでなかったらなんなのって思うもの。」

「じゃあその全てが整ったらいったいなにが始まるの?」


狩りが始まるのだろう。


「いいえ、それよりもそれはいつ始まるのかしら?」


そう遠くない日。


「女は着々と準備を進めているのだものね。でも今は大丈夫そう。」

「なぜ?」

「そういう噂が起きている内は、その女が町の中を徘徊する様子が目撃されているということでしょ?それはまだ準備をしている段階に過ぎないということだもの。」

「じゃあそういうのを全く聞かなくなったらそれこそ危ないのじゃない?女が町を徘徊しているっていう噂を。」

「そうかもしれないわね。」


女の噂は学校の中でブームになることはなかった。しかしそれは忘れ去られることもなく、細々といつもどこかのコミュニティの間でふとした時にでも話されていくようで、熱気もないままその形を微妙に変えていき続けている様子だった。実のところ四人という数字は決まっていたものらしい。噂によるとその数は始めから十二人でも六人でもなく、女は四人しか浚うつもりがない。そして女は今この時もその四人のことを見ているのだそうだ。恨みを持つ四人、まずはその中の一人を狙ってじっと見つめている。女はそれらの人たちに対し何の恨みを持っているのか。

四人はその噂の続報を待ったがしかし、実のところ話された噂の中に恨みなんて言う単語はなかったかもしれない。恨みというのは自分達が勝手にそう付け加えただけ。恐らくは無意識に。

しかしそれも仕方のないこと。なぜなら四人にはそれらしい覚えがあったものだから。


前に使っていたマネキンは今どこに置いてあるか。

噂が確認された時点において、厳密にいえば噂が変化したのを確認した時点から、そう決めていた通り、例の人形を短時間だけ草むらか適当な茂みから出し示し、誰かの目に留まらせるといった作業は一切やめている。

女の噂が起きた後となればその女を探そうとする人が出て来たり、人々の警戒感が若干強くなっているということがあるため、そういう活動を続けいったのではどんなに巧妙に隠れ行ったところで自分たちの姿が見られてしまう可能性はどうしても高くなる。例の噂の基が自分たちの行為だとばれるようなことがあればもはや噂の観測どころではなく全ては水の泡になってしまう。また、人々の伝聞の中で少しずつ変容した噂が、女の人形が再び目撃されることによって変化する前の形に戻ってしまうことになるし、戻ってしまった噂はそれ以降変化しなくなる恐れもある。

噂の変化を観察したい四人に人形の露出を行いつづける理由はない。その時点において人形は実質的に用のない存在となり、処分されることとなった。

藁人形は、形を保つために括り付けていたロープをカッターで慎重に切ってしまえばそれは形を失い、あとはばらけた藁をゴミにでも出せばそれで済ませることができた。なにかの用途が思いついたところで気持ちが悪いのか四人の中にその藁を引き取るものもいなかった。処理はそれだけで終わることはない。

もう一体の人形、マネキンの処理が残っていたが、それが四人の頭を悩ませることとなった。

そのマネキンは誰から譲り受けたということもなく、どのように扱ったところでなんら支障ないようなものだったが、入手方法もまた褒められたものではなかったもの。バラバラに切断して処分することをまず考えたが、その行為自体がなにか嫌で四人はそれを避けたがった。材質は恐らくは燃えるようなものでできているので、燃えるごみの日にでもゴミ捨て場に置いておこうかとなったが、そもそもゴミとして出せるような大きさにないことや、何かの拍子に騒動にでもなれば、四人にとって厄介なことになりかねない。粗大ごみの手続きをとって出してしまえばなんのことはないかもしれなかったが、このマネキンをどうやって入手したか聞かれるようなことがあれば、それもまた四人は非常に困った状況に陥ってしまうことになるし、住所や氏名を登録する手続きがある以上、なにがあっても逃げることができなくなってしまう。いっそのことどこかへ埋めてしまおうかとなったがその作業もまた人を埋めているみたいで四人にとっては気分がいいものではない。それに万が一その光景を目撃されたらそれもまた大事である。とにかく足がつかない方法で処理したかった。受験を控えている身としては内申に響くような事柄を避けたがるのは当然のことである。


「大丈夫よ。あれの前から噂は起きていたでしょ?」

「でも噂があのように変貌していったのは、マネキンを廃棄したあの出来事から後のことだ。」


そういった言葉を交わしたのはいつのことだったろう。そんなに前のことでもなく、つい昨日かおとといの事だったかもしれない。


ふと周りを見回すとさっきよりも虫の声が静かになった気がする。アイスが消えて露わになった棒を胸の位置に保ちながら棚葉は闇の中を見つめている。恐らくその目はなにも見ていない。彼がなにを見ているのか自分にはわかる気がした。

不法投棄に使われた寂しく打ち捨てられたような場所、たくさんの折り重なっているマネキンの一番上に見慣れたマネキンが乗っている。それらはなぜか全部あおむけなのだ。


「もう出発したほうがいいかも。」


室浜の合図で自転車の旅は始まる。真夜中の土手。一列や二列や三列に形を変えながら四人の車列はひた進む。先頭はずっと彼だが、この際それは誰でもかまわない。みな向かう先は知っている。そこは街から大分離れている。

噂が始まってから三か月。久々にその場所へ赴くことになるが、そこへ向かうまでのどうしても通らなければならない道沿いに新しい店がオープンしていて、連日多くの人でにぎわっている。その場所へ行く姿をどうしても目撃されたくない自分達はこうして真夜中に行くことを選ぶしか選択肢がなかった。

盛り土の上のコンクリートを行く、その上を走る自転車のさらに上から見る景色というものはやっぱり開放的だし、街灯は一つもないのに思ったよりも暗くはない。きっと月が見えているせいだろう。満月に近い形をしているようで、角度によっては川に写り込んでまぶしく感じる瞬間も訪れるかもしれない。十二時頃付近というのは昼も夜も風が止み、そしてそれ以降の深い時間になるとちょっとずつかいきなり風が吹き始めるもの。そういう印象がある。少しワクワクしている。単純にこうして複数の人間でどこかへ行くのが楽しい。二人よりも三人。それよりも一人多い今はもっと楽しい。恐らくこういうのは人が多ければ多いほど楽しいに違いない。

だがみんな家族にどう言ってここに来ているのだろう。うちのように一言いえば済むような奔放な人たちなのだろうか、ここにいるメンバーの家族たちは。

土手から大きな橋を渡り、旧庁舎沿いの道を通り抜け、使われなくなった商店かなにかの廃屋の広い駐車場に四つの自転車は吸い込まれて行く。その脇に回り込むと、建物に寄り添うように梯子が寝かされている。元々ここにあったものではないことは皆知っている。


「どうやってここまで運んだの?」

「大変だったよ。」


これから現場までこの重たそうな梯子を持っていかなければならないとなると少し億劫になる。


「自転車を降りていくしかないかな。」

「現場までもう遠くはないけど、すごく近いかって言えばそうでもないでしょ。自転車に乗ったまま運んでいこうよ。」

「不安定だよ、こぎながら抱えるなんて。」

「できないことはない。四人で挟むようにしてそれぞれ持てば大した力もいらないと思うよ。」

「バランス崩さないように気をつけようね。転ぶとみんな一斉に巻き込まれそう。内側にガシャンって。」

「それでどれかの自転車でもチェーンが外れたりなんてなったらそれこそめんどくさいことになる。」

「チェーンぐらい直せるでしょ?」

「そうなの?」

「直せないの?」

「とにかくそういうことはないほうがいい、だから慎重に。」


不器用ながらも出発した四人はしばらくもしないうち、両足をついて立ちどまる。自転車に腰掛けながら梯子を抱えている皆の目の前には長い一本道が見えている。

ずっと向こうまで分岐もなく、まっすぐ続く道。

左側には高い塀、右側がよく見る緑格子の柵とその向こうに藪が見える。街灯は一本道のこちら側に一つとずっと向こうの端に一つずつだけ。月は変わらずそこにあるのに、途中らへんが真っ黒になってしまっているのは、街灯の明かりのせいで暗闇が際立ってしまっているせいだ。なんだか対岸に行くために海を渡るような気分。その光景を前にさっきまでの上気した気分は消え去り、自分たちがなにをしにここに来たものか、改めて認識せざるを得なかった。

目的地はこの一本道の向こうに小さく見える廃工場の敷地奥。今この場所にこの四人が来ているのは、そこに捨てられた、いや、自分たちが捨てたマネキンを回収しに来たからに他ならない。この四人は四人とも、あの噂の彼らというのが自分たちのことなのだと思えて仕方がないのである。例の噂の女を実際に目で見たことはないが、その噂の通りなら間もなく自分たちは大変な目に遭うことになっている。そうならないためにこれはしなければならないこと。


「自転車はどうする?」

「あっちまで乗っていく感じでいい?」

「うん。」

お互い口には出さないが、もしあの向こうでなにか恐ろしいものに追われるようなことになれば、その時は必ずこの道を逃げてくることになる。もしもそうなった場合自転車に乗って漕ぎ出すわずかな余裕はあるだろうか?咄嗟のことに走って逃げることを選ぶことになりそう。ただそれではこの分岐のない長い一本道ではどうしても追いつかれてしまいそうな気がするし、自転車をこちらに置いていくかあちらまで乗っていくかは、難しい選択ではある。四人は自転車に乗ったまま街灯の光が届かない闇の中に入り進んでいく。不安はあるがあまり怖くないのは一人ではないから。ここには四人もいる。

棚葉の自転車の前かごに乗せられたバッグは中身のせいでパンパンに膨れている。その中にはのこぎりが入っているらしい。ゴルフバッグは用意できなかったと言っていた。その中にはある程度のものならまるまる包み込んでしまえる大きな布も入っているはず。

一本道の端。工場敷地の前に自転車を止め、そこからは歩いていくことにした。敷地の周囲は高いトタンの壁に囲まれているものの門は開いており、難なく進み入っていく。前来た時となんら雰囲気が変わっていないことで少しだけ不安が和らいだ。足取りはゆっくりだが、誰かがいることはまずないので強く警戒しないでいい。時折足元にがれきが転がっているためそれに注意して歩く。向かうべきは一番奥。そこには深い穴がある。

四方を厚い鉄で囲まれた無機質な穴。さび付いてはいるがそれはいかにも頑丈そうで見下ろすと吸い込まれるようでちょっと怖い。落ちたら一人では出る術が無いように思う。そこに収められた鉄の折れ曲がった棒や細い鉄骨、窓枠、車の骨組みなどと思われるものやそうでないもの。その一番上にあの肌色の群れがある。


四人は勢いをつけて放り込む。マネキンは半回転すると穴の闇の中に吸い込まれ、他のマネキンたちと同様にあおむけになった。その光景は今でも鮮明に頭に浮かぶ。四人は逃げるようにその場を後にしたのだ。


心配なのは、あれらたくさんの中からどれが例のマネキンかがわからなくなっていないかということ。あれから台風があったりもしくは強風の日はいくつかあったように思うし、鉄のがれき類と違って人形となれば風で動いたり、よほど強ければ舞い上がってしまうこともあるかもしれない。それに多少かき混ぜられてしまった可能性もある。

例のあれは他のマネキンと違って、どんな特徴を持っていただろう。それには自分たちが施したことを思い起こせばよい。あれにはウィッグをかぶせている。長い黒髪のそれはかつらのようにすぐ外れてしまうことのないよう頭とその間を糸で縫い付けてある。そうすることで人形を草むらから出すたび髪を毎回かぶせる手間が省けるし、それよりもウィッグの微妙なずれはその輪郭の印象に違いが出るものと聞く。日によってそういった違いがあることでなにか噂に影響しないものか、そういったことが極力無いようにしたいという意図があったためそうしたものである。転がっている中に黒い髪を生やしたマネキンがあったなら、それが目的のものであることはほぼ確定的であるし、その黒髪をかき分ければその下には自分たちが施した下手なメイクも確認することができる。あとそれが持つ特徴といえば右の手。例のマネキンにはそれがない。だがそのような場所にうち捨てられたものたちにおいてはどこかしら欠損していてもおかしくはないだろうから、その特徴は特定の作業に役立つものとはなりえない。どちらにしろその作業はそんなに難しくないように思える。

だがもしも、首が取れていたら?

その時四人はどう対応すればよいだろう?頭を見つけたとして身体はどうする?なんとか探し出してそれもまた引き上げ、持ち帰るべきことはわかっている。だがその特定はうまくいくだろうか?もしも右手を欠損したものがほかにもあったら?同じように首がなく、また同じような長さで手首の部分から切れているような全く同じ特徴を持ったマネキンを二つ以上見つけてしまったなら。マネキンの身体部分についての特徴はそれしか知らない。疑わしいもの全部を持ち帰るという選択肢以外、他の方法が自分たちには思い浮かぶだろうか?

思いを巡らしつつみな押し黙って進むと間もなくそれがありそうな場所に近づいてきた。穴はすぐにそれとはわからない。闇の中では特にそう。地面を濃い影がなにやら覆い始め、よほどそれに近づいたところでその淵ギリギリに立ってはじめてそれが穴だったと気づくような危険な代物。梯子の先端を行く棚葉に念押しで注意するよう伝えるべきか。しかし彼も、それがわかっているのか徐々に歩幅を狭くしている様であり、歩調も遅くなっていくのが同じ梯子を持っている自分たちに伝わってくる。月にかかる雲は今のところなさそう。

その瞬間、前からの押し返す強い力を感じた。彼の背中は完全に静止している。

後ろ姿からは彼がまっすぐ前を向いているようにしか見えないが、その目はそれを捉えているのであろうことが読み取れた。みな梯子を置いて彼の見ている方をのぞき込む。


「え?」


穴があった。二十五メートルプールよりは少し狭いがその分深さがある大きな穴。しかし自分達が知っているその様子とはだいぶ違っている。穴の半分以上を満たしていたがれき類とその上に添えられていたマネキンたちの群れの姿が無い。中身のない穴はがらんとしていた。

あれらはどこにいったのか。きっと撤去されたに違いないがしかし、この四人にとってはそれは不味いことなのだ。あり得ることだが想定していなかった。いや、あえて考えず目をそらしていたこと。


「・・、どうしよう。」

「やることなくなっちゃったね。」


誰もが途方もなく穴を眺めているしかない。

あたりはとても静か。風もない。だが暑苦しくはない。


「あ、」


彼女が口を開いた。


「穴の下の方に見えた気がする。」

「なにが?」

「あの人形。」

「あったの?どれ?」

「あの辺。」

「よく見えないけど。」


室浜がむやみにライトの光を上下させるせいでうまく目を凝らすことができない。


「どこらへん?」

「ちょっと見失っちゃった。黒く汚れているのかも。私もよく見えない。でもあの辺にあった気がするの。」

「あのマネキンが?」

「それはわからないわ。」


望みは薄い、しかし確かめる価値はあるかもしれない。瓦礫が消えて多少深くなった穴だが幸いなことに、梯子は下まで届きそう。


「ちょっと待って、全員は下りないほうがいいかもしれない。」


梯子の最上段に手をかけようとしたとき、三番目に降りていた棚葉がそう声をかけて来た。彼の言うことに明確な根拠はないだろうが言いたいことはわかる。上まで届く梯子はあるものの、なんとなく全員が下りてしまうのは縁起が悪い気がするのだろう。理由はないが、もしも予期せぬことが起きた場合万が一詰んでしまう可能性もないとは言い切れない。ましてやこんな場所、なにかある気がしないでもない。彼の考えには乗って然るべきだろう。

下から響く足音から、薄く水が張っている様子がうかがえる。いや、それというよりは少し粘度のあるような油といったものか。余程滑りやすくなっているのだろう、かすかに見える影はどれも前かがみにそろそろと直進していく。

下にいる三人はどのような風景を目にしていることだろう?懐中電灯を持っていない一人は自分は下りる意味はなかったと思ったりしているだろうか。穴の底は周囲を囲む壁によって多少、それともよほど暗く、月の光だけが真上に大きく主張している。そして上を見上げているとふとあるものが目に入ってぎょっとするのだ。

穴をのぞき込む真っ黒な影。

心臓の鼓動が一瞬止まったかとおもったが、すぐに気を取り直して下を見ると目の前に黒いなにかを見つけ手を伸ばす。それは黒い髪の束。次の瞬間後ろからなにかに触れられた気がして勢いよく滑って転んでしまう。体中が油まみれになりながら顔を上げると、すぐ額の先に目があった。

まっすぐこちらの瞳を凝視してくる目でない目。

突然なにかが地面にたたきつけられるような衝撃音が走ったと思ったら、次に叫ぶ声が響いた。そちらを見るも暗がりでなにかがうごめいている様子しかわからない二人は恐怖に足がすくんで動くことができない。

とっさに走り出す。

一人は彼女に、一人は梯子に走りだすだろうが、いずれも穴の上に上がってくることは叶わない。女の手は既に手が空いていて、駆けつける彼の体をそのまま捕らえようと左右に大きく広げている。彼は激しく後悔しながらもすべる地面は身体をもうしばらくそちらへ運び続けてしまう様子。その目元は恐怖に歪むしかない。

梯子に手を付いたほうの賢明な彼はステップに足を乗せるものの、滑って地面に手をついてしまい、うまく上ることができないまま上を見上げるしかない。後ろから不穏な気配が迫ってくるが恐くて振り返ることができない。

下でなにが起きようと、上にいる立場としてできることは何もありはしない。きっとそれは言い訳ではない。唯一下りないことが自分の役割そのものなのである。詰んでしまうことが無いように。とにかく自分はこの場所から離れて人を呼んでくることが一番正しいことなのだ。電話をかけようにもこの場所がどこかを説明できる自信がない。いったん離れて落ち着いた後に電話をするか、近くの民家に助けを求めることにすればいい。


月明りの中、門に向かって全力疾走する。来た道順をたどれば足元のがれきに躓くことはない。この速さで走っているなら勢いよく飛び越すこともできる。自分は穴には入っていないし、彼女が叫んだのを聞いても上から呼びかけたりもしていない。もしかしたら自分の存在は気づかれていないかもしれない。視界の隅に一本道が見えてきた。あのまっすぐな長い道。


門を抜けると急いで自転車に走り寄りすぐさまハンドルを掴みスタンドを外すと、またがりながら右足を乗せるべきステップを探す。足に体重を乗せようと瞬間に勢いよく踏み外してしまったが、すぐに持ち直して漕ぎ出そうとしたその時、ふとハンドルを握る手が妙に白くそしてシミが多いことに気づく。

自分の手の甲を別の手が覆っていた。


「あっ、」


思わず声が出た。

自分のその目の前には一本道とその手前に四台の自転車が並ぶ。それはただの妄想だった。我に返り自転車の横を全力疾走で駆け抜ける。その背中はすぐに小さくなり、少しも経たないうちに米粒ほどになる。その様子を梯子を上り切った彼らのどちらかでも見ていたなら、彼は仲間を置いて瞬く間に逃げ去っていくその様子に呆れるか、もしくは一人助かりそうなのを見て恨めしく感じるか、それとも既にあんなに遠く離れては何があってもきっと助かるだろうと一種の安堵感に包まれることもあるかもしれない。

次の瞬間、その目の前をものすごいスピードで何かが横切り、既にゴマ粒のようになった背中を勢いよく追いかけていく何かを見る。ひどくいびつな挙動だがとても速い。そのずっと先を走る小さな点。きっと助からない。

一本道が終わらないうちにきっと追いつかれてしまうのだろう。

その光景を目にして絶望しているのは彼ではない。きっとそれは自分なのだ。視線の先には相変わらず一本道の手前に自転車が並ぶ様子があるだけ。それらに向かって力のない足取りでなんとか一歩を踏み出そうとするが、追いついた手に右の肩をがっしりと掴まれてしまった。結局助からない。


「ちょっと。大丈夫だって!聞こえなかったの?」

「あ、うん。」


空は白みを帯びていて、困惑する棚葉の顔がはっきり見えた。自分はどんな表情をしているだろう。


「あれらはどこにいっちゃったのかな?」

「不法投棄だろうから撤去されたんだよきっと。」

「でもなんでこれだけが残っているのよ。後から放り込んだことに気づかれたのかしら。」


三人が穴の底から引き揚げたマネキンは髪の毛を失っていたが例のマネキンに違いなかった。なぜこのマネキンひとつだけが残っていたのか。彼女が言った通り、これだけが後から放り込まれたことに気づかれたのか。しかしそれは理由にならない。他のすべてを撤去した人は、人たちはなぜこれだけを残したのか。そういった意図はなく偶然にこれだけが転がり落ちて底に残ったものか。よりによってこれが。

そんな偶然があるだろうか?

不可解だが、みな疲れているのか追求する気は起きない様子。マネキンは全体的に黒く焼けただれたようで汚い。その様子を見た四人は部分的に切断して運ぼうなどとはもう思わなくなっていた。黒い布が役に立った。グルグル巻きにしてそのまま運ぶ。梯子よりはずいぶんと軽いので今度は室浜一人が抱えるだけで済んだ。穴の下で転んだ彼女はところどころ油で汚れてひどい状態である。四人は話し合った結果、このまま朝方を待ちその足でマネキンを寺にもっていくことに決めた。

この際もう見つかったらしょうがない。寺の前の駐車場の一端にちょうどいい洗い場を見つけたのでその場所でマネキンをゆすぐ。焦げているように見えたのはこびりついた油と、それらに砂利や砂がくっついてそう見えただけで、濡れタオルで擦り流水でながしまた擦るを繰り返すと少しずつ本来の肌色に戻ってきた。

打ち返す水が気持ちいい。

昨夜はそれほどでもなかったように思ったが、今はもう十分に蒸し暑い。


「どういう言い訳するんだろ。あの油まみれの姿。付き添いで行ったほうがやっぱりよかったかな。僕達じゃあれだとしたら君が。」

「いらないってことだったからいいのよ。口裏を合わせるのも煩わしかったのかもしれない。それか家にこっそり忍び込んで一気にシャワー室に駆け込んじゃうつもりなんじゃないかしら。私だったらそうするわ。」


洗っているホースの水を隙をついて腕にジャバジャバかける。回を重ねるごとにどんどんそれは腕の付け根の方に上がってきて、袖が少し濡れるくらい。既にスニーカーはグショグショだ。洗いきる前に靴下を脱いでしまおうか迷っている。一足先にシャワーにありつける彼女がちょっとうらやましい。ちょうど家に着いた頃だろうか。


「深夜から出かけてもうすっかりこんな時間なんて、意外とかかったね。」

「いきなり叫び声を聞いたときはびっくりした。」

「すっころんで顔をあげたら目の前にマネキンの顔があったって言ってた。」

「そりゃ叫ぶよね。」

「マネキンを上げるのは大変だったよ、手も足もつるつるしてさ、髪もないから引っ張り上げることもできない。」

「手伝わなくてごめんなさいね。」

「いいんだよ、上にいる人は保険としてそこに残ることが重要なんだから。でもいつのまにかいなくなったと思ってあわてて門の方に走ったら、自転車の前で棒立ちになっててさ。なにしてたの?」

「何していたのかしらね。」

「ねえ、メイクも取れて来たけどなんか目のプリントも取れてきそう。」

「ギリギリやれるとこまでやろう。」


室浜と二人してマネキンを傍らに置き、駐車場の木陰で涼んで待っていると棚葉が帰って来た。彼は寺に上り、不在の住職に替わってその奥さんと思われる人に丁寧に事情を話したが、人形の処理について取り合ってはくれなかったらしい。というよりも、今はそういったことはこの寺では受け付けていないというのだ。住職本人がいてもそれは同じとのこと。では他でやっている場所はあるか聞いたが、そういうことをやっていた所も今はなくなってしまったらしく、簡単にいうと知らないという話だった。

だが彼はその女性からある紙の束を受け取ってきていた。その紙に目を通していくとどうやらいわくつきの人形を処理する方法やその手順が載っている様子で、恐らく寺がそういったものを処理していた頃に行っていた手順が書いた代物になるのだろう。そのコピーを彼女は取ってくれたのだ。大事なものではないのかと思ったが、今にしては使う機会もないからくれたのだろうか。

しかし彼女は最後にこう言っていたらしい。そういうものとはなるべく近づかないほうがよく、離れることを優先したほうがいい。それらはどうあっても、ただ近くに寄っただけでそういうものは組み付いてしまうことだってある。たとえ何をしなくても。

半日後に彼女が再び合流し、四人はその日のうちに記された手順通りのことを済ませ、それをもってひと夏の小旅行は終わりを迎えた。



白い壁


二学期は学生にとってなにかと忙しい日々。体育祭のほかごちゃごちゃとしたイベントはその内容を思い出せないが、とにかく一学期や三学期と違って、物事に本格的に取り組まない理由がないため、全てのことは何の猶予なく進行されていくことが強いられる。授業だってここぞとばかりに先生たちはハイペースで進めていくので、ストレスが強くあまり好きな時期とは言えない。

学校の行事や勉強の他、家でもある出来事があった。父方の祖母が亡くなり、二日間の休みを取って遠くの田舎へ行くこととなったのだ。父はどうやら仕事先から車で現地に向ったようで、こちらは母と二人で新幹線と急行列車と普通列車を乗り継いで向かう。車窓からの景色は夕日に照らされた水田がキラキラしていたのが印象的で、母はいくつかスマートフォンに残しているようだった。新幹線を降りてからがとにかく長く、なじみの薄いボックス席は背もたれが窮屈で腰は痛いし、足はきつい。途中駅弁を買ってワクワクしたものだが、その直後に学生たちがどっとなだれ込んできては恥ずかしく食べた気にもならない。

父の実家は大きな日本家屋をちょっと古くしたような感じで、門の中に足を踏み入れたときから、ところどころ鳥の餌のにおいが立ち込めている。家の中は既にそれらしいセットが施され、空気も少しばかり張りつめていた。ここには二度くらいしか来たことはなく、周囲は知らない人ばかり。着くとすぐに宴会のようなテーブルの配置につき、お寿司を適当につまんでいたがあまりおいしいとは感じなかった。親戚のおばさんが注いでくるオレンジジュースもなんだかやけに甘い。

ふとふすまが外された向こうの部屋の奥が気になった。そこにたたずむ箱の中に亡くなった祖母が入っている。親戚の人たちが時折顔に当たるであろう部分の上の扉をあけてなにか話しかけているが、自分たちはいかなくていいものだろうか。母はいいかもしれない、だが自分はどうだろう。こう考えている内にもたぶん自分から何をしようともしなければ、このまま顔を見る機会はないのだろう。それにしてもあそこに祖母が入っているなんてなんだか不思議な感覚ではある。それはもう意識はなく身体だけ。事実としてはそうだろうが、親戚のみんなは眠っているかのように接しているしそう認識している感じ。恐くは感じなかった。しかし夜中に同じ部屋で一人眠るとなったらそれはとても避けたいもの。

夜も更けてきて、ここに泊まることになるものか周囲や母の様子を観察しつつ、どうやら想像したことと似たようなことになりそうだが、どうせ眠るなら皆がいるこの部屋がいいし、変に気を使われて別の部屋に一人きりで眠らされるなんてことになるとそっちのほうが嫌だ、などと考えていると父が姿を見せる。そう言えばここに来てから父の姿を見ていなかったとその時初めて気が付いたが、なにか必要な手続きを兄弟たちとしていたらしい。父は他の人たちと同様に席に着くことはなく、そのまま母と自分を連れ出して、そこを後にすることになった。雰囲気的に見て揉め事があったというわけではなさそうで、泊まる必要もなくそのようにするのが誰にとっても差しさわり無いことなのだということだろう。そのままシティーホテルに泊まり、翌日はその周辺の行楽施設で一日遊んで帰ってきたがその時のことはあまり覚えていない。父に友達に渡すお土産はいいか聞かれた覚えはあるが、母がこういう事情で来たのだから用意しなくていいし用意しないほうがいいことと、私自身も疲れていたので特に買うこともなかった。帰りの車の中では後ろの席で完全に横になって眠りこけていたが、父はよく休まずにいられるものだと思う。私の思っているより父はタフなのかもしれない。

たった二日間の休みでは勘を失うことなく学校生活に戻ることができたが、友達は特に休んだ理由を聞いてくることもなく、自分もまた一度もそういったことを話題にすることはなかった。

学校での日々は変わらず過ぎていくし、それは確かに忙しい毎日なのであるが、なにかが足りていない感覚がいつも自分の中を漂った。

やはり四人でやってきたあの活動は、自分の身体にしみこんでしまっているのだろう。集まっていないわけではない。進行していく噂を耳に入れたらその日のうちに連絡を取り合って四人は集まるようにしていた。だがこれだけでは物足りない。他のメンバーだってなにかしら思うところはあるはずである。適当に電話でもしてみても悪いことはない。付き合っているとかそういう噂が流れない程度ならきっとなにをしたっていい。もしかしたらみな電話をしようとしているものの、その用事を、四人が集まるようなその理由、やることなど口実を考えているのかもしれない。であれば何があるだろうか。四人は集まったならなにをすればいいだろう。これからも集まっていくような、なにかいい用事を思いつくことはできるだろうか。できたなら電話してみたいと思う。

いや、その前でもいい。学校生活は無期限に続くわけではないのだから。


「ねえ、最近どう?」

「どうって?」

「学校生活とかなんか。」

「普通だよ。そっちはどう。」

「特に変わったこともないかな。そう言えば修学旅行の行き先を書くアンケートがあったよね。」

「うん。」

「私は関西方面って書いたわ。そっちは?」

「同じ。」

「そう。」

「なんか忙しすぎると、思い返す時間もないからすぐに時間が経っていっちゃう感じだよね。」

「そうかな。」

「きっとそうよ。あなたもこの時期に有ったことなんかあとから思い返そうともかなわない感じなのだからね、きっと。」

「そうかな。」

「そう言えばこの頃集まってないわよね。」

「そう?」

「あれ、そうじゃなかったわね。ついこの前の月曜日も集まったばかりだったかしら。新たな噂の動きがあったってことで。誰が招集をかけたんだっけ?まあその噂を真っ先に耳に入れた人ってことになるけど。」


姿を見せなくなった女は、これから浚おうとしているものに対してだけ一度だけ顔を見せる。それはなぜか。顔を確認するためではない。その反応を見て、その相手が本当に自分の浚おうとしている相手か最終的に確かめるためでもない。

それは運ぶため。

なにを?どこへ?

誰にも見られない場所へ。

女の顔を見たその相手は恐怖で逃げ出し、必死になって走っている内にいつしか一人になってしまうのだ。その女の意図した通りに。

そうならないためには?何か方法がある?誰か友達を呼ぶとか。それは無駄なこと。いつかは必ず一人になるのだし。例えばそれは自分の家の自分の部屋だとか。案外そうなのかもしれない、女にとって都合のいい場所というのはそこであり、女はそこに相手を運ぼうとしていたりするのかも。


「電話をかけて来たから、また噂を耳にしたとかそういう連絡事だと思った?」

「うん。」

「私達ってやっぱりあの活動以外では一緒に行動する用もないような仲なのかしら?」

「さあ、わからない。」

「そうだったらあなたはどう思う?」

「僕のことはどうでもいい、君の気持ち次第だよ。」

「そう。」


「さっきからなんだか世間話のようなことばかりで、とりとめがないようなことばかりよね。きっとそっちとしたら相手が電話をしてきた理由について知りたいとか訝しがっている頃合だろうっては思うの。自分だったらきっとそう。それがわかっているのにね、きっとひどく動揺してるのよ。」

「動揺?」

「思ったの。私達ってこれまで噂しか耳にしてきていないものよね。その女については。見たこともない。私はそうだったしあなた達もきっとそう。そうであるのにおかしいじゃない?ただの噂だけなのになんでこんな思いをしているのかしら。あれはどんな見た目をしているの?姿形も本当のところを知らないのに何でこんなに怖いの?」


コンクリート造りの白い壁は暗い中で非常灯のまぶしい緑を無機質に照り返している。闇の色は所々違っていて、四角に近いほど黒く、距離が遠いほど濃い。まるで靄でもかかっているかのよう。相手になにを伝えるべきか。今この場所に自分がいる理由とそれを説明するための経緯。時間は全くないに近いのに、いざとなると言葉がうまく出てこない。それ以前にまず自分が今電話している場所、そしてこの普通じゃない心理状態をできるだけ相手にわかりやすく伝えないといけない。いいや、率直に助けを求めたほうが早いかもしれない。

電話の向こうがいつもの彼なら要領を得ない言葉を羅列したところで、その意図を読み取ってくれるだろう。だが不思議と今の彼にそれは期待できないような気がする。さっきから彼の受け答えはどこか味気ない。彼の最後の言葉、全く同じことを前に聞いたような覚えがあるが気のせいだろうか。この彼から。

背後の遠く奥のほう。確かに感じる。

肌のべとつきや喉の渇きを忘れるほど動揺する一方で、神経は研ぎ澄まされていくばかり。それはほんの僅かな空気の揺れ。いち早くこの場から離れなければならない。向こうにあるものは今こちらを向いている。

足音を気にする余裕もないままに通路をひた走る。目の前に現れては横に流れていく風景の中で絶えず後悔し続ける。額に汗を浮かべ口を縦にあけたまま走ってくる自分の姿、そのような光景を想像してしまうのをどうしても止めることができない。手前に走ってくる自分が、さらにその目の前に続く通路を右に折れたり左に折れたりする様子。それが走り去ると空っぽになった通路の風景が一瞬だけ残り、次の瞬間また別の通路を自分が手前に走ってくる様子が現れ、それが走り去るとまたほんの一瞬通路だけが残る。なにかがすぐ後ろに迫っているわけではない。しかし一瞬だけ見せられる誰もいなくなった通路、そこになにかが現れないかだんだんと不安になってきて、心の中では早く次の光景に移ってほしいと毎回願うのだ。

目の前に扉が現れる。緑の塗装が施された薄い鉄の扉。取手をひねる前にカギがかかっていることはわかっている。自分はその扉のカギを持っている。数ある中から選んだものを鍵穴に入れるが違っていた。震える手を抑えつつ、ようやく別のカギに差し替えてカギを回す。

扉を開けて通り抜けると目の前にはまた同じような通路の一本道が続く。薄暗がりの中、そのすぐ向こうには靄で作られたような黒があるだけ。意を決してその中へ走り去って行くその背中が闇の中に消えて、足音がどんどん遠くなっていく。それが聴こえるか聞こえないかあいまいになった頃、何の前触れもなく髪の長い女が通路の左側から勢いよく出て来ては、その背中を追うように闇の中へ走り去っていく。

その光景を鮮明に想像しても、目の前の闇に走っていかざるを得ない今の自分が不憫でしょうがない。


記録係の彼女


その闇の手前には左へ延びる通路があったのだろう。彼女は暗闇の中に飛び込む直前にも横目で見ていたかもしれない。なんにせよ彼女の運命を思うとかわいそうになる。

その女が四人を浚う理由だが、実のところそんなものは存在しないらしい。恨みや嫉みではない、女は自分に関わったものに対してただそのようにするだけ。そこにはなんの理由もない。この噂はどのくらい彼らを動揺させただろう。一連の噂の変異によって彼女たちが女に対しなにかしらの人間味を感じていたものなら、その質感はまた元のマネキンに戻ったような感覚になったのではないだろうか。少なくとも私はそう感じている。

もしもこれらの噂をノートに記していたなら、もうそろそろ二冊目がいっぱいになるところ。実際に記録しているのはスマートフォンのメモ機能になるが、今まで耳に入れた噂、特に女に関するものについては漏れなくすべて書き記してきているため感覚的にはそれくらいのボリュームはあると思う。そうしてきたのはそれが自分に課された役目だから。噂を記録する係にこの自分が選ばれたのは、学年やクラス単位、それ以下の規模に存在する各グループ、コミュニティにまんべんなく顔を出しているところに目を付けられたのだと思う。確かに自分であれば学校でされているような噂ならなにかしら耳に入れ、聞き漏らすことはまずない。

女の変容する噂を漏れなく記録していく形で自分は四人の活動に参加してはいるが、実のところ自分が記録せずともそういう噂はすぐに拡散されて学校全体に共有されることになるため、彼らはちゃんとすべての噂を耳に入れているだろうし、またその変遷だってちゃんと頭に入っている。その証拠に彼らは私が記してきたこの記録を見に訪れたことはなく、そしてなんとなく最後までこの記録は必要とされない気がしている。いや、今のところ間違いなくそうなりそう。下手したら彼らはこの自分の存在を忘れ去ってしまっている恐れすらあり、仮にそうであるならきっと割と当初の段階でそうなっているのだ。この実験に自分の役目はいらないとつくづく思うのだ。それでも自分が記録作業をやめることが出来ないのは、今まで積み上げて来た記録があるからだろうか。それともただの習慣かもしれない。

彼らは近いうち実験結果を発表するものだと思っていたが結局はなにもなかった。自分はどうせ壇上に一緒に並ぶよう呼ばれることもないだろうからどうでもよかったが、実を言えば少しだけワクワクしてはいたもの。彼らが発表を見合わせたのは恐らく、噂の変容を観測していく途中で自らの身の危険を感じたからだろう。

そういうことがあって四人は噂のもとを辿ろうとしたものの、その中途において誰かしらは噂を聞いた人を思い出せない人が出てきたり、または辿る中で同じ人物に戻って来るなど堂々巡りになってしまったりして結果的には断念せざるを得なかった様子。不思議だったのは集団でその噂話を聞いた状況で、その中の一人としてその話をしていた人物を覚えていないことがあったこと。人は集団になると、記憶かもしくは感覚が希薄になる傾向があるのかもしれない。それに加えて自分たちが女の噂を発生させた張本人だと知られては、噂の観測活動は意味のないものになるし、女に浚われそうになっている四人は相当悪いことをしたのだろうという認識がうっすらと皆の中に広がっていることを感じ取ったため、彼らは噂を聞きこむにあたっては慎重にならなければならなかった。四人がそういった活動をしていたことは自分たちを除いて誰も知ることはない。それは発表の時まで隠され続けないといけない。


「だからなにがあっても四人は誰にもこの件を言わないでいると思う?」

「やっぱりそんなことはなかったわ。さすがに身の危険を感じたんだと思う。誰か大人の人に相談したみたい。もっとも求めていた答えは得られなかったらしいけどね。」

「言ったことが信じてはもらえなかったのかどうなのかわからないけど、まだその身に何が起きたというわけでもないのだから。それも分かっているうえで相談したのだけどね、例の四人は。」

「実に大人らしい答えが返って来たのだって。そういった噂に振り回されないようにするのが一番だって。それはそうだなって思うわよね。でも私たちはまだ子供だもの。というよりは当事者なのだからそんなことは言っていられない。必死よね。彼らだってそういう大人的な立場、言わば他人ごとならそう答えたものと自覚してはいたものだけど。」

「でもやっぱり欲しい反応はそういうものじゃない。では真摯になって彼らたちの求めた通りに応えようものなら、その人はどういうことをすべきだったのかしら。その大人の誰かは。」

「そういうものがいないか見回ってもらうだけでなく、町中を探してもらう?警察などにに掛け合って。でもそれではだめね。だってどうせ見つからないわよ。」

「それは町中の隠れられるべき場所を知り尽くしているのだから。路地や雑居ビルの隙間なんかをくまなく探しても結局はダメ。それはどこか独居老人なんかの家にでも入り込んでいるかもしれないし、そうして探している間は決して出てこないものなのよ。」

「それで、結局何もいないじゃないかって苛立ち気味に言われたりなんかして、そして飽きられてしまい親身になってくれたその人は去っていくわ。だからあとは何もしようが無くなってしまうのね。」

「そんなことがあって彼らは絶望するのだけど、大人たちが言った通りそんなものいないのかもしれない、なんて考え始めながらふと一人になったりするとね。部屋の中にその女と二人きりになっていたりするのよ。」

「四人の誰もが、もしくは少なくとも一人くらいはそんなことを想像していたに違いないと私は思うのよね。」


「彼らの活動にささやかながら関わって来たしずっと見て来た、いいえ耳に入れて来た立場だもの、あの人達の考えそうなことは簡単にわかってしまうわ。」

「ちなみに彼らのそれぞれの名前。竹。棚葉。室浜。片井。それらは本当の名字でないことは言っておかないとね。」

「本当のものじゃない?」

「ええ。それは言わば識別番号みたいなものなの。だってその活動中に何かの拍子でお互いのことを大声で呼ぶ必要があるときがあるかもしれないじゃない?そんなときはもちろん、本名では具合が悪いでしょ?」

「それにそういう仮の名前で呼び合ったほうがなんだか面白いもの。だったら呼び名なんて自由に決めていいんだし普通の名前じゃなくてカタカナの呼び名にしたりもしていいはずだけど、彼らがそうしなかったのは誰もが気恥しさを感じてしまったからなのかもね。」

「だけど普段の学校生活ではその名で呼び合うことも、そもそも目を合わせるくらいで言葉を交わしあう関係にはないものだからね。四人は自分たちが関係していることすら隠しておくべきだとしてそうしていたのだもの。彼らはその名前をつけたその時だけ面白がって呼び合っただけで活動の最中においてはお互いを呼ぶ機会にも恵まれず。結局一度としてその名前を使ったことはなかったの。唯一それが有効に使われているとしたら、私がこうして記録に残したり、彼らのことを話すこの時だけってことになるわね。その四人の顔も知らないこの私だけが。」

「四人の顔を知らないの?」

「そうよ。私は学校においてその四人というのを見たことはあるかもしれないけど、その中の誰が彼らにあたるものなのかをまるで知らないのよ。でもよかった、こういうことが話せる相手が近くにいてくれて。親になんて、こういう類の話はしにくいじゃない?心配させたくないっていうか、それよりも気恥しいのよね。学校生活の、しかも周囲にも秘密にしていることにはなるのだし、なんとなく踏み込んでほしくないプライベート的な部分にかかることだと思うもの。ほら、友達とのあれこれを親に知られたくない感覚。わからないでもないでしょう?」

「ええ。」

「だから兄の彼女さんっていうわたしにとってそういったことやなんでもを話してしまえるような人がいる私は機会に恵まれているし、幸運だとよく自覚すべきなのよね。そしてもちろんお姉さんに対して感謝するの。」

「ただし私が慕っているからって、兄とこの先も付き合い続けて、ゆくゆくは次のステップを踏んでいかなきゃいけないっていう感じのプレッシャーは受けないでほしいとも思うの。私としては今この時、このタイミングだけをもってわたしとこういった立ち位置にいてくれたってだけでありがたいものなんだから。」

「この先お姉さんが兄とどうなっていくことになっても私は口を出さないし、特になにを思ったりもしないわ。涙を流すこともね。」



とある学生の行方


図書館で参考書を開いていると電話が鳴る。すました態度で一息吐くとスマートフォンにゆっくりと手を伸ばす。ひどくのんびり見えるだろうがそれでいい。電話がくると動悸が早まって慌ててしまうことが多かったが、こういう態度を習慣としてからは出なくていい相手からの電話に出ないで済んでいる。画面を見て相手を確かめるとしかしそのようなことをしている場合でなかったと後悔する。幸い相手は怒ってはいないようで、軽い挨拶のあとすぐに本題に入ることができた。相手もまたそれを望んでいる様子。

この電話の声をいぶかしむ目もきっと無い。ここは併設されたカフェと空間を共有しているため、喋り声や人の往来の雑音、コーヒーメーカーの時折出すひどい音などにまみれて、この話し声は誰の耳にも届かない。たとえ聞こえたところでその相手もまた自分の会話に没頭している。ゆえに自分とテーブルを共有する目の前の女性たちも、コーヒーのカップを片手に会話を続けこちらの存在すら忘れている次第。こちらの手の届く範囲の隅にも同様に、既に湯気を立てなくなって久しいカップと水で少しばかりふやけてしまった紙コップが隣り合って並んでいる。そうした環境の中で参考書を開きノートを取ってきたものであるが、聞こえてくる会話の興味深い内容に時折気を取られることがあるぐらいで不思議と高い集中力は保つことができ、頻繁にネットを見たり他のことに取り掛かってしまう自分の家の部屋にいる時よりもずっと作業効率は高く、有意義な時間を過ごすことができていた。

目上の人にかしこまった口調で話すこちらの様子を、特に目の前の彼女たちに見られることを少し気恥ずかしく感じたが、気にしないよう努めて相手の言葉に集中し始めるとなにやら電話の相手は謝っている様子。


「途中で話を切って悪かったね。」

「いいえ、忙しいのにすみませんでした。用の方はもう大丈夫なのですか?」

「ああ。それより僕としてもその話を聞けて良かった。ぜひやめさせるべきだと思う。」

「彼女が噂を気にすることを、ということでしょうか。」

「ああ。そしてもう一つ、噂の記録をしていくその作業をだ。」

「それはやはり彼女がこの先、噂を気にしないようにするため。」

「そうだがそれだけなら君が私に相談した意味がないね。君は私だからこそ得られうる回答を希望したために、先ほどはわざわざ私をつかまえて話をしたわけだろう。」

「すみません。」

「いやいいんだ。わたしこそそういったことは自覚しているし、期待されることは時と場合によるが悪い思いはあまりしない。それに君の関係するその子がそういう状況になっている中不謹慎なことを言うようだが、私もまたそういう話が嫌いなわけじゃないからね。」

「やはり彼女の思い過ごしなのでしょうか。そもそも彼女からしたらその四人の存在すら確かなものではないようですし、彼女が心配する要素はただの噂だけ。」

「なんら実害を被ってもない。」

「はい、なにも起きてはいないのです。彼女からしたら。」


通話の相手は自分が通う大学の教授の一人。彼はその手のことに詳しく、この類の相談事を受ける機会が多い人物。だが聞くところによればそれは彼の専門分野ではなく、過去に研究課題を取り組むにあたってそういったものに触れ、知識を深める機会があったことからそういった分野に多少詳しくなった、というようなことらしい。彼は自分の講師の一人でもなく、彼がそういった相談をよく受けているという話は聞くものの、どういった心境で日々相談事を聞いているものかはわからなかったため、どう反応をされるか心配で恐る恐る声をかけたものだが、意外とすんなり話を受け付けてもらうことが出来た。


「噂というものは夢と同じく触れていなければすぐに忘れ去られるものだ、そこに実体がない限りね。それは流行のようなものでもあり、いつまでもそれを話題にすることはそれから取り残されることと同義となる。」

「学生に限らず噂話をする人たちの頭の中ではそういった心理が働いていると。」

「他の生徒と比べて彼女の場合多少時間はかかるだろうが、しかし同様に忘れていくことに変わりはない。彼女はまず噂の記録をやめ、そして今まで記録してきたノート類があるのならそれを手放してしまうべきだ。出来ればそのノートはもう開くことすらしないほうがいい。」

「捨てさせるということでしょうか。彼女はノートではなくスマートフォンのメモ機能に聞いた噂を記録してきているようですから、そのデータを削除させてしまえばいいということになりますが・・。」

「捨てさせるわけではない。それがノートならぜひ送ってもらえるよう頼もうと思ったのだがそれなら早い。彼女のそのデータは私が引き受けて保管したいと言っていると伝えてくれないか。」

「確かに彼女としても、今まで漏らすことなく積み重ねて来た噂の記録をなきものにするのは抵抗があるでしょうが、その結果が大学の教授に渡され、活用もされてあわよくば評価されるということになれば素直に応じてくれるかもしれませんね。」

「そういうことだ。」

「ですが急にやめさせては逆に不安になりませんか?私はそれが心配です。その記録は彼女にとっては言わばその恐ろしむべき女の噂に対する目のようなもの。それを失うことは、噂に対して視覚を失うか、目隠しをすることと同じ意味を持つと彼女は感じるのでは。」


席を立ち上がって、カフェとは反対の本棚の群に向かう。その先には大学棟に通じる出口があり、その先をずっと見通せるようになっている。テーブルに広げた荷物類はそのままだがこの際どうでもいい。十数歩もしないうちにさきの喧噪は嘘のよう静かになり、図書館特有の張りつめた空気に包みこまれる。カーペットを革靴で踏む足触りはどうしても慣れることはない。


「そうかもしれない。君は彼女の気持ちをよく理解しているようだ。」

「私は彼女の気持ちになってあげたいのです。彼女は今この時なによりも、誰か頼れる大人に自らの立場になって考えてもらえることを望んでいるのでしょうから。その希望の通りにしてあげることで彼女の抱えるものを軽くしてあげられるのでしょうし、そうでなければ根本的な問題の解決にはならないと私は思うのです。」

「数ある大人の中で彼女は君を選んだようだからね。」

「ええ。理由はどうあれこの私だけでもそうしてあげていいと思うのです。」

「だが彼女が不安に感じるかどうかは二の次になる。今はそれから離れることを優先すべきなのだから。それに僕が彼女にそうさせたほうがいいと思う中には、実のところ別の理由がある。」

「彼女の意識を噂に向けさせないことで妄想をそれ以上進行させないという、そのことの他に理由があると。」

「私はその話に心当たりがあるんだ。」

「心当たり?」


「あれは五年前か、それよりももっと前のことだったかもしれない。各ゼミを横断する大きな飲み会があった。それは多くの学生や教員も複数参加したもので、店を貸し切りにしても店内は人でごった返していた。それに参加していた私は隅の方でその様子を眺めながら学部の生徒と適当なことを話題にして話していたのだが、ひと時見慣れない学生が隣に座った。」

「見慣れない学生?」

「さして違和感もなく目につく光景でもない。彼らはせわしなく席を移動しているようであったし、席替えで偶然回って来たのだろう。その学生は私の生徒ではなくどこの学部の生徒かもわからない。いちいちどこどこの講師の生徒かわたしも聞くことはしなかった。学部に囚われない話をしたかったからね。」

「思えばその彼が他の人物と話す様子を私は見ていない。まあ見ていなかっただけだろうが、見ていたとしてもどうせその相手もまた私の知らない人物にはなったのだろう。あの彼についてそれが誰だったのかを知りたくても、今となっては特定できる可能性は低い。あの出来事は数ある飲み会のうちのひと時でのことだし、誰一人答えられる者はいまい。当時の生徒も既に近くにはいなくなってしまったし。彼の顔立ちも特徴も他と違ったところはなく髪型もそう。服装にしても自分の記憶が正しいかどうかわからない。今浮かんでいる彼の顔だって実際のものかどうか疑わしい。」

「その学生がどうしたのです?」

「彼は口数が少なく、というよりは言葉の種類が少ない。なにか話し方の印象が単調だったような・・・、」

「話し方が単調?」

「いや、そういうことを言いたかったのではない。彼は私にある話をした。どのような会話の流れでそうなったかは憶えていない。彼が話したのは噂の変容に関する実験の話だった。」

「噂の変容・・。」

「それが人の間で伝え話されていく中でどのように変容していくか。そういったことを観測しそこにある現象の秘密を探ろうというもの。その実験はその基点となる噂についても材料を用意し、任意の噂を人々の間で起こさせるものなのだそうだ。彼はその噂の具体的な起こし方についても私に話してくれたが、その内容はと言えばそれはどうだったと思う?」

「噂を起こす方法ですか。」

「今の君ならわかるだろう。」

「それは・・、例の四人がしていたこと。」

「彼の言った内容と、例の四人の男女が行っていたことは同じだ。」

「それは・・、その実験はその学生が発案したということでしょうか?」

「そう思うだろうがそうではない。彼は言っていた、そういう実験があるようだと。」


「私はいつからかこれを自分の考えたもののように思ってしまっていました。しかしそうではなかった。そういう本を読んだのか聞いたのか、もしくは盗み見たのか思い出すことはできないものの、なにかで目にしたことは確か。それが何だったか、私は思い出そうとしているのです。先生は何か知りませんか?このような話は今まで誰にもしていません。」


「そのようなことに教授がお詳しいと聞いて、その学生は聞いてきたのでしょうね。」

「いいや、不思議だがそれはまだ私がこういった類のことで名が知られる前のこと。そうであるにも関わらずなぜ彼は私にそんな話をしてきたのだろうか?今でもそれが疑問なのだ。関係のない私ではなく、自分を受け持つ講師なりにでもすればいいだろうに。」

「しやすかったのではないでしょうか。そういった話が。」

「しやすい?」

「普段話をする相手や関係する人間では話しづらかった。話の性質上人格を疑われてしまうようなことを彼は心配したのかもしれませんし、もしくはただ単に教授がそういったことを話しやすい雰囲気だったとか。」

「であればもっと真剣に聞いてやるべきだっただろうか。」

「しかしながら、教授。それがなぜ理由になるのでしょうか?彼女に日記をつけるのをやめさせ、これまでの記録を手放させることの。」

「なんとなく不吉な予感がする、それだけなのかもしれない。彼女が聞いているのはまだ噂だけ、なにも実害はない。だが彼女は不安に思っている、そしてきっと想像しているのだろう。これから自分の身に降りかかるであろうことについて。」

「それはとても具体的に。」

「根拠があるわけではないが彼女と同様、私もそんな気がしてしまっている。君もそうではないだろうか。そう思うからこそ、私に相談してきたのだと私は思うがね。」

「そうかもしれません。」


渡り廊下。進行方向上にに大学棟の通路が終わりまで続いている。

小さく見える突き当りはガラス扉でそこからベランダに抜けられるように思えるが、ここからではまだ遠くてわからない。


「ところで彼女はその四人を知らないと言ったんだね?」

「はい。」

「では彼女と四人との間には連絡係なる人間がいたのかもしれない。その連絡係が四人からの指示に基づいて彼女に依頼し記録係を引き受けさせたのだろう。」

「連絡係・・、彼女は四人がこれまで行ってきた活動の内容などをその連絡係から聞いていたということですね。」

「たぶんそうなる。」

「・・。」

「どうした?なにか引っかかることでもあるかな?」

「いえ、今ちょっと思ったことがあって。なぜ彼女はまた私なんかに相談したのかと思って。彼女は私だけにしかこの話をしていないと言っていました。しかし私じゃなくてもそういった連絡係なる人がいるならその人に相談すればよいと思うし、もしくはそれ以外にもそう言ったことを話せる相手は他にもいるはず、誰かしらは・・あっ、」

「どうした?」

「電話が入りました。恐らく彼女からだと思います。画面を見なければわかりませんが。」

「ぜひ出たほうがいい。」

「いいのですか?話の途中ですが。」

「こういうのは早い方がいいだろう。彼女なら私の言ったことを伝えてほしい。記録をやめるべきことを。」

「はい。」


歩みを進めつつ、通話ボタンであろう位置を親指で押して話し相手を切り替える。



藪の中の小屋


「今大丈夫?だめだったらかけなおしたほうがいい?」

「いいえ、今でいい。私も伝えたいことがあるから。」

「伝えたいこと?」

「この間話してくれた例の噂についてのこと。後から思えばあの話をしてくれたのはこの私に相談するためだったのよね。これからどうしていけばいいものか。それなのにあなたの期待を汲み取らずに、聞いたままになってしまってごめんなさいね。」

「いいの、ありがとう。でも今ある場所に来ていてね。」

「ええ。」

「四人が活動していた拠点というのがわかったの。」

「拠点?」

「彼らが噂を発生させるために行った活動、人形を出す作業というのはだいたい三日に一回くらいの頻度だったものでしょう?そうなれば当然平日も行っていたと考えるのが妥当よね。いえ、むしろ平日の方が土日なんかよりも生徒が一か所に集まっているし、彼らの活動には好都合よ。彼らは学校内に噂を起こしたかったのだから。」

「そうかもしれないわね。」

「平日となれば、それはいったん帰ってからとしていてはいちいち大変だし、きっとそれは主に放課後に行われていたものなの。じゃあ放課後に活動をするために彼らはどこに人形などを置いておいたのかしら。どこだと思う?」

「さあ。人目に付かないような場所?」

「それでいてすぐに持ち出せるようなね。お姉さんは学校内のどこかだと今考えついているかもしれないけどそうではないわ。学校内のロッカーなんて一人に割り当てられる分はたかが知れているし、縦長の大きなロッカーはどれも掃除用具や先生方のスーツやジャージが入っていて空いているところなんてない。もしも空いているロッカーを見つけたとして、人形を出し入れしている姿を万が一見られたのでは実験が台無しよ。だから使えない。ではそれはどこかといえば意外だけど学校の敷地の外だったわ。」

「敷地の外?それはどこ?」

「林の中。ここは道路からも公園からも遠くてね。ところどころ倒れて腐った木や、足元も落ち葉が厚くて歩きづらい。それにずいぶんと笹が茂っているわ。」

「そこに今いるということ?」

「ええ。でも想像できてる?なんの手もかかっていないようなうち捨てられた寂しい林を思ってみて。そういった光景が頭に浮かんできたならね。緑はそれよりもずっとうっそうとしていて、辺りをもっと大分暗い感じにすればいい。そうしたならね、目の前に小屋があるの。」

「小屋・・、もしかしてそこが彼らの拠点?」

「簡単で粗末な小屋。誰が何のためにここに建てたものか、彼らではないだろうことはわかるけどでも、少なくとも今は使われていない様だし、だからこそ彼らも勝手に使うことにしたのでしょうね。ただあまりボロボロの崩れそうなものということでもないの。屋根はなんだか薄い鉄がぐにゃぐにゃしたような簡素なものが乗っかっているだけなのだけど、壁の一つにはちゃんと窓も設けられているもの。擦りガラスっていうのかしら。そんなのがすぐそこにある。すぐ目の前に。」


藪に囲まれた中に建てられた小さな小屋。あたりは落ち葉が厚く堆積している。

そのすりガラスの窓になにかの影が見える。それはじっとして動かない。

その様子をじっと見つめる彼女の後姿。

いや、その後姿はそうじゃなく・・。


「どうしてあなたはそんな場所を訪れているの?」

「なぜか?その理由?」

「ええ。」

「噂ってしている分には楽しいけど、自分がされるのは想像したくもないでしょう?」

「怖い話もそう。誰かが体験している怪奇現象や恐い出来事、もしくは誰かが狙われて怖がっている様子は見ている分には楽しいものだし、聞くだけならちょっとした快感を得てもいるかもしれない。だって怖い話があるって聞くと、みんなで歩み寄って聞いてみたくなるものだし。」

「でも一方でその話の当事者となれば話は別。そんなのには絶対になりたくない。私はそういうものに対しては遠くで見ているだけ、ただ傍観者としていたいだけなの。そういうものでしょ?なのにいつのまにかそれがこちらに向いていたらどう?わたしはそれが怖くてしょうがないの。」

「それって?」

「今お姉さんが想像しているもの。」


「・・、どうしてそう思うの?」

「女は関わった全てをさらってしまうなら、この私っていうのはどうなのかしら?例の人形に触れたことも見たことすらない、彼らの活動に本当に間接的に関わっただけの私は。そう心配するのが当然かどうかはわからないけど、仕方のないことでしょう?それに・・。」

「最近その四人、私が話してきた彼らというのは本当に存在するものなのかどうか、私はそれが不安なの。」

「だって彼らを見たこともないし、誰がその四人なのかを私は知らないままなのだもの。」

「考えすぎだと思ってる?でも少なくとも当事者の私はそう思っている。それは変わらない事実よ。」

「それでその四人が最初から存在しないってしたとすれば、ひょっとしたらね。最初からその女はこの私のことを見ていたんじゃないか。なんてことを考えてもしまうのよ。」

「もしそうであればこの一連の噂自体なにか罠みたいなもので、それらはただ私のためだけに用意されたものになるの。」

「遠くから傍観していたはずが最初からずっと見られていたなんてね。」


「だから彼らが、彼らさえいれば、私は安心できると思うのよ。なんでもいいから彼らの痕跡が欲しい。なんなら例のマネキンでもいいのかもしれない。確かめられるなら。それをひと目見るだけでわたしはたぶんそれでいい。」

「カギはかかっていないことはわかっているわ。ねえ、それだけ見てしまっていい?」

「それだけ確かめてしまっておきたいの。」

「だってそうしないとこの場でこのまま引き返したところで、なんだか無事に帰れそうにない気がするから。だからお姉さんに何をアドバイスされて、わたしはそれを見ないほうがいいとしたところで、私はここから動くことはできなくなるわ。それでなにもできないまま、もうすぐやってくる夜の闇に飲み見込まれてね。消えてなくなってしまうのよ。」

「でも根拠はないのよ。そんな気がするような予感があるだけ。いいえ、予感もないわ。ただそう思っただけ、思いついただけなのかも。だから今言ったことは忘れていい。どうしてもそれを見て確かめたいっていう口実を得たいがために、私は今そう言っただけかもしれないから。」

「でもどうする?」

「他人事かもしれないけど、私の相談に乗ってくれているのなら考えて欲しいの。もしここに立っているのが自分だったらどうするか。今そちらがいるような安全な場所ではなく、この場所にいたのなら。想像してみてほしいの。」


辺りは大分暗くなっている。

寂しい藪の真ん中でただ小屋を前に立ちすくむ。

目の前にある窓のすりガラスの向こうにはなにもない。


真実を言えば彼女の今後についてなど最初から心配してはいなかった。

話を聞いた当初から本当のところそれは誰を狙っているものか、私はそれが知りたかっただけなのかもしれない。

通路の端に行き当たる。これ以上先に進めない。

窓に手を当ててよく見ようとするがそれはとても遠くにある。

しかし目を離すことはできない。

ぼやけているが、白い顔のようなものがさっきからじっとこちらを見つめている。

そんなように思えて仕方が無いのだ。



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