第一章終了おまけ【私のお兄さん】【愛って何ですか?①】
【私のお兄さん】
お兄さんがいる。
それだけでこの世界には価値があり、それが失われたならば価値の一切を失う。
それが美川聖の世界観だった。
美川聖は十四年前に現在も入院している――いや、していた病院で産声を上げた。
産まれたときは誰でも同じ、そこまで変わりない顔にしか見えないが彼女の両親はそうは感じなかったという。
この子は絶世の美貌を持つことになる。
その予感があったそうだ。
普通ならばただの親馬鹿になりそうなものだが、聖の場合そうはならなかった。
小さな顔に、パチリとした吸い込まれそうな瞳、淡いピンク色の唇に目が行けばきっと離せなくなる。
何よりもの特徴として、足まで伸びた黒の長髪。カラスの濡れ羽色のそれは聖の絹のような真っ白な肌によく映え、身を動かすたびにさらさらと揺れて、誰をも魅了する淡い甘い香りを常に漂わせている。
彼女がほほえんでくれるのならば、なんでもすると言う者もいるだろう。それどころか、すべてを擲ってでも彼女を自分のものにとたくらむ者もいるかもしれない。だが幸か不幸か、聖が人目のつく場所に行くことは少なく、そのようなことはなかった。
そんな彼女を両親は兄の次にではあるが、大層かわいがった。特に父の方は目に入れても痛くないと豪語するほどであった。
だが、その美貌の代償か。彼女は虚弱体質だった。彼女は人目のつく場所に行かないのではなく、行けないのだった。
幾度も入退院を繰り返し、自宅にいた時間よりも病院にいる時間の方が長いといった有様だ。
両親には仕事もあったため聖の面倒を見る時間は限られていたが、それでも色々なおもちゃや絵本を買い与えるなどしてその愛情を示した。
だが、聖はそんなことよりももっと自分に会いに来てほしかった。
幼い頃の聖の世界は、遊び方もわからないおもちゃと読めない絵本と病院と時々実家、それだけだ。一番上の兄は習い事で忙しく、両親は仕事で忙しい。病院のナースはよくしてくれたが、やはり仕事という側面が大きい。
彼女の世界はまるで人形のお家のように小さかった。
そんな世界の扉をたたくものがいた。
それは、京。聖の兄である。
京は病院でも家でも聖によく構ってくれた。おもちゃの遊び方を教え、絵本を読み聞かせ、聖と一緒に過ごした。
聖が家で苦しんでいるときに両親に連絡したのは京だ。そのおかげで病院に連れて行ってもらえ、長く苦しまずに済んだ。
両親につながらないときは、おぶって病院に連れて行ってくれたりもした。身長もそこまで変わらない人間を背負っていくのはきっと重労働だったろうに、それでも病院に連れて行ってくれた。
聖が一人にしないでと言ったら、学校があっても休んでそばにいてくれた。
最後に両親が見舞いに来た時に内にある衝動のままに暴れかけ、恐れとともに暴徒の疑いがかけられた後も聖の見舞いに来てくれた。
いつの間にか、聖の世界には兄しか存在しなくなっていた。
他の家族も人間もどうでもいい。京さえいてくれたならば、なんでも構わない。頭に乗せられた手のひらの、抱きしめてくれているときの体全体のぬくもりがあったならば。
もし、京がいなくなることがあれば、それは世界の、自分の終わり。
聖は心の底から純粋にそう思っていた。
そして、これこそが、この気持ちこそが愛であると確信していた。
ところで、聖は同年代の子供たちと遊ぶことどころか学校に通ったことすらもごくわずかだ。
テレビは精々ナースや京がつけたときに見る程度で、パソコンやスマートフォンなども持っていない。情報媒体といえば、京やナースとのコミュニケーション、京が買ってくる少女漫画雑誌や幼い頃に読んだ絵本ぐらいのものだ。
どこまでも純粋に育った少女、箱入り娘、それが聖だ。
そんな彼女に一般常識は通用しない。
――この世界に王子様はいないよ。
――いるよ。だってお兄さんがいるんだもん。
――兄妹はキスもしちゃいけないし、結婚も駄目なんだよ。
――ふーん。そうなんだ。それで? 私には関係ないかなぁ。
――この世界にずっと幸せに暮らしました、なんて絶対にないんだよ。
――私はお兄さんと一緒に居れたら、ずっと、永遠に、幸せだなあ。
聖はなぜ、京のことを幼い頃から呼び慣れた『お兄ちゃん』ではなく『お兄さん』と呼ぶのか。
それは夫婦の証だからだ。すでに自分たちは夫婦であると主張しているのだ。
聖と京の母、成美は夫のことを『秀一さん』と呼ぶ。
そう。単純に聖はそれを真似ているのだ。
自分だけの兄で、夫。
だから、『お兄さん』なのだ。
そんな彼女だから、兄と会えないと知ったときどんな行動をとるのか。
「お兄さああああああああああああああん!!」
月明かりだけが照らす薄暗い闇の中、銀糸をきらめかせ踊り続けているのは聖だ。
白銀の髪が反射する月明かりと瞳の真紅の残像だけがその場にいた証。誰もその姿を追い続けることはできないほどに素早い動きをしている。
聖が腕を振るうたびにどちゃり、どちゃりと肉の塊が音を立てて地面に崩れ落ちる。どういう原理か、腕とともに赤い鞭のようなものが伸び、辺りを薙ぎ払っているように見える。その赤い鞭に薙ぎ払われた場所は例外なく、すっぱりと切り裂かれていた。
聖の半径五十メートル以内は当の前に血まみれになり、血に濡れていないところを探すのが難しいほどだ。
だが、聖が倒しても倒しても、目の前に現れる人型の何かがいなくなることがない。
なぜならば――彼らは倒されてから五分もすれば、飛び散った肉片が再集合し結合、立ち向かってくるからだ。
「お兄さんお兄さんお兄さんお兄さんお兄さん!! どこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどぉぉぉおおお!!??」
聖が現在いる場所は、ヨーロッパの片田舎。
日本が夜ならば、ここは朝である。
だが、日本と変わらず闇に支配された月のもとで、聖は兄と引き離された怒りと体を駆け巡る熱さに身を任せ、目に付くすべてを破壊してまわっていた。人も建物も例外なくだ。
聖に虚弱だったころの面影はなく、その力は獣の特徴を宿した暴徒たちをも上回っていた。
どうして、私の兄がいない。
どうして、私はここにいる。
どうして、どうして、どうして!
心に身を任せ破壊の限りを尽くしていた聖の頭に声が響いた。
『少女よ。お前の願いを叶えてやろう』
聖の体はやっとのことで動きを止める。
――畢竟、彼女はどこまでも『京』のことを愛しているのだ。
Ψ Ψ Ψ
【愛って何ですか?①】
美川京: 何それ、食えるの?
美川聖: 私こそが愛だよぅ、お兄さん!
女木桜: 愛があれば、殺してもいいですか?
????: ……たべること。おいしかったら、すき。
????: 厳しさこそ愛……ではないだろうか。
お待たせしました!
予告していたちょっとしたおまけです。
【愛って何ですか?】は、ナンバリングが示す通り、これからも続きます。章が終わるごとに掲載する予定です。少しずつ変化していく部分もあると思うので、わずかでも気にしていただけたらと思います。
それでは、またよろしくお願いします!




