十番勝負 その五
第九章 帰郷
その後の旅では、特筆すべき武者修行での冒険、果し合いなども無く、大崎あたりまで足を伸ばし、松島を見物してから、帰路に着いた。大崎では、砲術指南の道場に逗留し、短期間ではあるが砲術を学び、修得した。名門斯波氏の流れを汲む大崎氏もかつての奥州探題としての勢いはもはや無く、伊達氏の後ろ盾を得て、辛うじて領国を保っているという有様であった。
年が改まり、季節は夏を迎えていた。
「伊達の勢いが強くなっておるな。大崎もこの分ではかつての臣下であった伊達に、臣従する日も近いのではなかろうか」
岩城に向かう帰りの馬上から、三郎が弥兵衛にぽつりと呟いた。
「えいこせいすい、これも、ときのながれだっぺかや」
弥兵衛も感慨深そうな口調で呟いた。
「なあ、弥兵衛よ。海はいいのう。海は人を詩人にさせるものよ」
三郎は潮風を胸一杯に吸い込んでは吐いていた。
「弥兵衛よ。昔、鎌倉の右大臣源実朝卿は海の波を見て、このような歌を詠んだと云う。『大海の 磯もとどろに寄する波 割れて砕けて 裂けて散るかも』」
「だんなさま、ほんとにいっさましいかんじのうただない」
三郎と弥兵衛は岩城北部の浜辺の磯を歩いていた。岬が突き出しており、先端のほうは波でかなり抉りとられ、洞門が出来ていた。洞門の上には、松、ぶなといった雑木が鬱蒼と生い茂り、白茶けた岩肌を見せている洞門の壁を一層鮮やかに見せていた。
「潮風は刀には良くないとされているが、この雷神丸、風神丸、竜神丸は平気の平左衛門よ。隕鉄から拵えたものゆえ、錆を知らぬわ」
浜辺は今を盛りと鳴く蝉の声と、寄せては返す波が奏でる潮騒の音、時々空から聞こえる鴎の鳴く声を聞きながら、久し振りに心安らかな時を過ごす主従であった。
海の彼方の遠くには、幾重にも重なった山々が青白く霞んで見えていた。
近くに漁師が数人居て、獲ったばかりの貝などを焼いて喰っていた。
いい匂いに誘われて、三郎と弥兵衛はその漁師の群れに近寄っていった。
「おさむらいさま、うにを喰っていったらいいべよ。どうだ、うまかっぺ。ほれ、ここに、あわびもあっから、いっぱい喰っていきなんしょ」
「おお、これはまことにかたじけない。では、お言葉に甘えることとしようぞ」
「いっから、いっから、そんな遠慮はなしにすっぺ。このしゅうり貝(ムール貝)も焼いて喰えば、ほんと絶品の味だっぺよ」
「おさむらいさまは、ほんとにいいからだしてっから、さぞかし、おなごを泣かしてるんだっぺ」
漁師の冗談に微笑みながら、三郎はふと、小百合の面影を思い浮かべた。
もうすぐ会える、と思うと、胸の高鳴りを感じた。
この武者修行の間、三郎の心の中にあった女性は唯一、小百合の君であった。
小百合の君、小百合殿、小百合さま、何とお呼びしたらいいものか、三郎はずっと決めかねていた。小百合殿と呼ぶのが、まあ順当なところであろうか。
郷里に帰ったら、早速小百合殿に会いに行き、小百合殿が、まあお懐かしいこと、と一言でもいいから、拙者におっしゃってくれた暁には、拙者の思いのたけを全て打ち明けて、妻になって戴きたいと率直に申し上げることとしよう、と三郎は痺れるような思いで決心していた。
そのためには、拙者を勇気付ける小百合殿の笑顔が何としてでも欲しいものよ、と思った。
その笑顔のためならば、あの砂金だって、少しも惜しくは無い、所望されれば、全て使い果たしても後悔は致さぬ、とも思っていた。
砂金と言えば、あの砂金を発見したのは、儂がちょうど十五歳の時であったか。
海を眺めながら、三郎の回想はその頃に戻っていった。膨大な砂金が埋蔵されている、という言い伝えは南郷家では相続する長子に当主が告げる一子相伝の秘事となっていた。三郎も父が亡くなる時に、死の枕元に呼ばれ、この言い伝えを聞いた。
「三郎、父はもういかぬわ。お前を残して死するのはいかにも口惜しいことではあるが、これも寿命ゆえ、仕方が無いと諦めねばなるまい。さすれば、お前に言い残すことがある。代々、相続すべき嫡男に告げることとなっているのだ。心して聴け。裏の山に洞窟がある。この洞窟に平泉の遺臣が残した砂金が埋められている。判官義経さまの残された砂金とのことじゃ。未だ、発見されてはいない。この父も何回か、洞窟に入り、探してはみたが、発見するには至らなかった。されど、宝は間違いなくある。疑ってはならぬ。が、洞窟はなにぶん複雑な迷路になっており、いつも道に迷い、怖くなって戻ることを余儀なくされるのだ。なに、戻るのは簡単じゃよ。壁の右を伝って、どこまでも進めば、いつの間にか、元の入口に戻るものゆえ。右じゃよ。途中で左に変えてはならん。途中で左右を変えたら、迷路にはまって、戻ることはかなわなくなってしまうからじゃ。三郎の運を祈ることとする。見つけたとしても、人に知られてはならぬ。巨額の富は人の心を徒にもてあそぶものじゃから。また、金持と灰吹きは溜まる程汚くなる、という格言もある。汚い人間にはならぬよう。それでは、さらばである」
七歳の三郎は泣きながら、父の遺言を聞いた次第であった。
しかし、子供のこととて、父のこの遺言はほとんど忘れかけていた。
十五の夏、ふとしたことで思い出した。
鉄砲の伝来と、キリスト教の伝来が巷間を賑わせていた頃のことである。
岩城家には昔から先祖伝来の砂金の蓄えがあり、折に触れ、砂金を懐紙に包み、褒美として臣下に与えたという話を近在の岩城の被官の武士から聞いた時のことである。
砂金。砂金と言えば、ということで三郎は父の遺言を思い出した。
早速、裏山に行き、洞窟の前に立った。
ぽっかりと口を開けた洞窟は何十年も人が入った様子も無く、不気味に静まり返っていた。
父は何回か探しに入ったと言っていたが、本当の話だろうか。ちゃんと準備をした後で、本格的に探しに入らなければ、見つかるものも見つからないだろうと思った。備えあれば、憂い無し、とばかり、三郎は極めて慎重に洞窟捜索にあたることとした。
翌日、洞窟の内外の下草を刈った。百匁蝋燭を百本買い、綱も纏めて買い入れた。
それから、洞窟に入った。蝋燭を三丈間隔で置いた。
洞窟の前の樹に綱をかけ、綱の束を持って洞窟の中に入って行った。
洞窟の中はなるほど迷路のように複雑に入り組んでいたが、綱と蝋燭の助けにより、気を楽にして奥まで入って行くことが出来た。
蛇と蝙蝠がやたら居り、追い出しながら進み、奥まで到達するのに延べ十日ほど要した。
入って行って、驚いたことには、何代にも亘って何回も捜索したのであろうか、突き当たりの場所が何箇所かあり、そこでは掘った後がそこかしこに見受けられたことであった。
先祖も存外、慾が深かったものと見える、と三郎は思った。
或る突き当たりのところが一番広いように思われた。ここが、洞窟の終わりかも知れない。
そこも、何箇所か掘られた後があった。蝋燭に火を灯し、そこを隈なく調べた。
何気なく、天井を見て驚いた。何か、家紋のようなものが見えていたのである。
灯りを近づけ、確認して更に驚いた。笹竜胆の紋であった。笹竜胆と言えば、源家の紋である。天井に彫り付けられていたのであった。ここに、砂金が眠っているのかも知れない。
しかし、地面はほとんど掘り尽くされており、宝が発見された痕跡も残ってはいなかった。
突然、三郎の頭に閃くものがあった。側壁を拳で叩いてみた。
堅い響きの中で、一箇所だけ鈍い響きのところがあった。
その側壁を忍びの老人から貰った「くない」で掘ってみた。
案の定、そこは柔らかく、埋め戻された箇所と思われた。
一尺ほど真横に掘ったところに、木の箱があった。木の箱は一尺四方ほどの大きさであった。
木はボロボロとなっており、無理に引き抜けば、砕け散る恐れがあった。
三郎はワクワクしながら、その箱を慎重に取り出した。
箱は極めて重かったが、全部で五箱あった。箱の中身は全て砂金で、小さな絹の袋に分封されていた。人に見られぬよう、夜間に乗じて自分の居室に運んだ。
全部で三十貫(約110キログラム)という重量の砂金を三郎は手に入れたのであった。
第十章 初めての恋の終わりはせつなくて
ほぼ一年振りに屋敷に帰って来た三郎を待っていたのは、腹が膨らんだ小百合と、相馬から家宰の吾平を頼って、はるばる辿り着いたおせき一家であった。
我が家はいいのう、気持ちがほんに落ち着くのう、と言いながら、三郎が玄関のかまちで足を洗っていると、お帰りなさいという元気な声がした。
声がしたほうを、庭先を見ると、そこにおせき一家の頭を下げた姿があった。
大小合わせ、黒い頭が横に四つ並んでいた。吾平のはからいで、今は三郎の畑を借りて耕していると云う。暮らしも何とか、ゆとりを持って成り立っているようであった。
おせきは元気一杯の齢相応の娘に戻っていた。おせき一家はこれで問題無くいくなあ、良かった、良かった、と思っていたら、とんでもない事態が三郎を待っていた。
翌朝、以前からの日課である神社での木刀振りに行った時のことである。
いつも通り、小百合が無表情に竹箒で境内を掃いていた。久し振りの儂の姿を見ても、どうも反応が無い、さびしいことよ、と三郎は落胆した。しかし、小百合の姿が前と比べ、どこか違うように、三郎には思われた。はて、面妖な、小百合殿におかれては以前と比べ、どこかが違うようじゃな。しばらく、木刀を振りながら、小百合の姿をちらりちらりと盗み見ていた。
その内、気付いた。あっ、分かった、分かったぞ、小百合殿は随分と肥られたのだ、特にお腹のあたりがふっくらと肥えられたのじゃわ。
でも、小百合殿、安心めされい、肥られても小百合殿は小百合殿じゃ、拙者の想い姫に変わりはござりませぬぞ。
「なあ、弥兵衛よ。半年振りに神社の小百合殿を見かけたが、拙者は驚いたぞ。腹がこんなに太くなられて。随分と肥えられたものじゃな。小百合殿は肥るたちなのかな」
弥兵衛は三郎の言葉をきいて、しばらく、きょとんとしていた。その後、こみ上げてくる笑いをこらえるかのように、目を白黒させた。
やがて、思い切ったように、三郎に声を潜めて告げた。
「だんなさま。小百合はふとったのではござりませんぞ。おとのさま、ちかたかさまのお手がついて、こどもをみごもっているのでござるよ。このあたりじゃ、ないしょ、ないしょのはなしだけんど、まあ、ゆうめいなはなしになっており、きのうのばん、うちのおかめがまあ、にぎやかにくっちゃべっておりましたぞい。ふじょうのからだとはなりやしたが、なにぶんおとのさまのお手がついたということで、小百合につめたいまねもできねっ、と神主の良兼さまもこまっているとのことだっぺよ」
「げっ、なっ、なんと。小百合殿が身篭った、と」
三郎は驚き、絶句した。
朝の神社での素振りという三郎の日課は無くなった。朝は、屋敷の裏で木刀を振るようになった。どこか、しょんぼりしていた。弥兵衛が心配して言った。
「だんなさま。このごろ、なんか前のようなおげんきがなくなったみたいにおもえるだよ。なんか、あったっぺかや」
「別に、なにも無い。心配するな、弥兵衛」
「だんなさま、どうだっぺか、そろそろ奥方さまをおもらいになっては。だんなさまなら、岩城のおひめさまをのぞけば、よりどりみどりだっぺよ」
「儂ももうじき三十一になるから。もう、そろそろかな」
三郎も満更でもなさそうな顔で言った。
第十一章 三郎の二度目の恋
その三郎が恋をした。二度目の恋であった。
相手は岩城重隆の側室が生んだ娘で、重隆の外孫であるが、請われて養子となった親隆から見たら叔母であり、妹でもある、お姫さまであった。
おまあさま、と呼ばれていた末の姫君で、齢は二十歳であった。
どこで、三郎が見初めたのかは定かでは無い。神社仏閣への参詣の折にでも見初めたのであろうか。おまあさまが三郎にとっては第二番目の想い姫となった。
無事に子供を生んだ小百合は別のところに移り、三郎の心からひっそりと消えて行った。
会うは別れの初め、会わぬも別れの初めだぞい、去る者日々に疎しだっぺよ、と三郎は心中秘かに思った。
しかし、三郎とおまあさまの間には何の進展も無く、一年ほど歳月はいたずらに過ぎて行った。三郎はこの恋を相談すべき人に打ち明けることもせず、本当に何もせず、無為に暮らしたのである。三郎の心に秘めた恋はそのまま秘めたままで終わることを余儀なくされていたのである。『夏の野の 茂みに咲ける姫百合の 知らえぬ恋は苦しきものぞ』、と三郎は読んだばかりの万葉の秀歌を時折口ずさんでいたのみであった。
田舎で暮らすということは、退屈を生きるということに他ならない。
そう思いながら、三郎はじりじりとした、行きどころの無い思いを感じ始めていた。
「弥兵衛よ、お前もだいぶ退屈しているようだのう。うん、間違いなく退屈している」
「んだ。だんなさまもそうだっぺ」
三郎と弥兵衛、またぞろ、武者修行の旅に出たいと思い始めていたが、なかなか思い通りにならないのが世の常である。いきなり、火の粉が降りかかって来た。