花の香
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一度、気になりだしたらダメだった。
自室に戻った後、窓際に椅子を運び、座ってぼんやりと外を眺めてみた。こうして外をゆっくりと眺めるのは初めてだ。
二階にある王妃の間から見えるのは美しく手入れされた庭だ。それなりに手がかけてあるのか、形が整えられ、季節の花が咲き乱れている。王族しかいない中庭をここまで整えていることに驚きもある。掃除すらできない使用人がいる一方で、素晴しい腕を持つ使用人もいる。
すべてが不均衡。それでも成り立っている国。
少しでもバランスが崩れたらすぐにでも壊れてしまうだろう。
行儀悪く窓際に肘を置き、頬杖をついた。
政略結婚という名目でわたしはここにいる。婚儀は上げる必要があるが、結婚してしまえばいつでも離縁していいと言われている。
お父さまが親友夫妻のお願いだから、という理由はすべてではないはずだ。あれほどわたしを大切にしてくれるお兄さま達が反対しなかったところを見れば、わたしの知らない何かがあるのだ。
単純に考えれば、内政干渉するための口実だ。わたしが王妃という立場であれば、理由を付けて干渉が可能になる。戦争だって大義名分を持つ。
ただ本当にそれだけなのか?
真正面から聞いたところで教えてくれない。それはわかっている。お父さまができれば膿を出す手伝いをというのだからそれに従うまでだと考え、特に詳しく聞くこともしなかった。トルデス国がわたしをきちんと扱ってくれたのなら、大人しく婚儀を上げ、それなりに手伝いをした後自分の国へ帰るつもりだった。
来てみればそんな甘い状況ではなかった。自分という存在を軽んじられるつもりはなかったから、手加減なく叩いた。王女としての存在を示すためにも必要だったし、それが膿を出す手伝いになるのではと思っていた。
だけど、あんなにも平和に幸せそうな光景を見せられてしまうと肩ひじ張った思いは脆くも崩れてしまう。部外者であるわたしが頑張ったところで、やらなければならない人が何もしない。わたしが手を貸す必要なんてない。
お父さまには親友夫妻という存在があるけど、わたしには守るべきものがこの国にはないのだから、手伝おうという気持ちはすぐになくなってしまう。
初日から軽んじられ、頭の悪い事ばかり要求され。
せめてフレデリックがわたしの行動に理解を示し、率先してこの国を変えようとする姿勢を見せてくれるのなら手伝いをしてもよかった。なのに、フレデリックは変わろうとしない。彼自身、わたしが一時的な王妃だと割り切っているのだ。
何もかも面倒くさい。
援助金の3割をマティスにでも渡して、好きにしてもらった方がいいかもしれない。お金はゴミ箱に捨てるようなものだけど、その方がわたしにとって精神衛生上、優しい。与えられた部屋で好きなことをして時間が経つのを待てばいいのだ。
「はあ」
ため息をつくと、扉をノックする音がする。不思議に思って顔を上げると、部屋の隅で控えていた侍女がわたしに確認するように視線を向けてくる。
婚儀が終わるまではわたしに直接取り次ぐのはナイジェルだ。ナイジェルは今、調整のために部屋にいない。そのことを理解している侍女はすぐに動かず、わたしの判断を待ったのだ。
外の護衛が止めなかったのだから、さほど変な人物ではないはずだ。わたしは侍女に出るようにと頷いた。
扉の前には護衛もいるから心配ないとは思うが、つい聞き耳を立ててしまう。聞こえるわけがないのだが、侍女と訪れた誰かのやり取りしている様子はうかがえる。切迫した空気を感じたらすぐにでも対応するつもりでいたが、侍女は無難に訪問客を追い返していた。
「贈り物でございます」
「誰から?」
「陛下からだと伺っていますが、持ってきたのは陛下の侍従だという男です」
届けられたのは大きな花束だった。大輪であたたかな色合いのピンクの花は強い甘さのある華やかな香りを漂わせている。
「どうしますか?」
怪しいとも怪しくないともいえる贈り物にわたしは首を傾げた。どう判断していいのかわからない。
「……陛下がわたしに何かを贈り物をするなど、思えないけど」
「誰かに進言されたのでは?」
侍女の言い分ももっともだ。
先ほどのフレデリックとブリアナの様子を思い出した。もしかしたらブリアナが言い出したのかもしれない。少し夢見がちなところがあるから、あり得なくはない。アラーナは……絶対に勧めそうにない。あとは、宰相あたりか。
じっと侍女の持っている花束を見つめた。華美な存在感のある花だ。
花束を突き返そうかと迷ったが、持ってくるようにと告げた。侍女は静かに花束を持ってこちらにやってきた。わたしは少し姿勢を直し、彼女から花束を受け取った。花束を抱き込めばとても強い香りがする。
よく見れば、似たような花の中に一輪だけ異なる花が入っていた。この花が気になり、一本抜きとった。まじまじと手に取り、一輪でも存在感を放っている花を見つめる。他の花とは違い、少しだけ小さめだ。鼻を近づけて香りを嗅ぐと、甘ったるい匂いがした。
「え……?」
くらりと視線がぶれる。
「殿下?」
侍女の怪訝そうな声。そしてすぐに悲鳴が響いた。
「殿下!!!」
ああ、失敗した。飲み物や食べ物は注意していたけど、ニオイでくるとは。
この甘ったるい匂い。
聞いたことがあったのに、何故、忘れていたのか。
遠のく意識の中で、自分の命が助かったらいいなと他人事のように思った。
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大丈夫だ。
そんな声が聞こえたような気がした。わたしの頭を撫でて、そんなことを言うのは一人しかいない。
大好き。
わたしだけの気持ちだと分かっているけど、本当に好き。兄達とは違う優しい人。
役割が終わったら、結婚を申し込もう。
困ったような顔をするかしら?
年が離れているから、再婚する気はないから。姫君にはもっと相応しい相手がいます。
柔らかいけどはっきりとした拒絶の言葉はカルロから何度も聞いている。だから、諾という言葉以外はいらない。必要なら国王命令を出してもらう。
今回はお父さまだって出してくれるはず。わたしはちゃんと王女としての役割を果たしたし、離縁して戻ってきたわたしにはもう使い道がない。
大国の第一王女であるわたしが18歳にもなって婚約者がいなかったのは、結婚できる条件の男がいなかったためだ。わたしが降嫁できるほどの貴族の家はお兄さま達をターゲットに子供を作っていた。男の子なら側近候補、女の子なら妃候補となるように。
そのため、わたしが生まれた頃にはすでに子供は10歳前後だ。もちろん、そこから子供を作ることも可能だが正妻は皆お母さまと同じ年代の人だ。わたしを産んだ時のお母さまは32歳だった。出産するには少し高齢だ。愛妾に産ませることも可能だが、貴族同士の結婚ではなく王族王女との結婚だ。正妻以外の子供に降嫁などあり得ない。
他国も同じ。バランスを崩す要因になってしまうため、迂闊に婚約を結べなかった。
大きくなるにつれて、自分の立ち位置が分かるとそもそも結婚など望めないのだと理解した。王宮の一角で静かに暮らすか、修道院へ行くか。運良く結婚できても、王家に都合の良い貴族家の後妻だ。
できればカルロの後妻がいい。カルロは王太子であるお兄様と同じ年の側近で、身分だって申し分ない。今はまだ侯爵位を引き継いでいないが、数年で父親の後を引き継ぐはずだ。
離縁して戻ったら、絶対に彼と結婚する。妹のようでも娘のようでも構わない。理不尽な扱いを我慢しなくてはいけないのなら、好きな人のためがいい。
「イレアナ」
そっと誰かが囁く。
誰だろう。
聞き覚えのあるようで、あまり馴染みのない声だ。声の主を確認しようと、眼を開けようとしてもなかなか瞼を上げられない。指を動かそうとするが、体も動かなかった。
ああ、そうか。
わたしは毒を吸い込んでしまったのだ。甘ったるい独特の香り。
毒……。
匂いを嗅ぐだけで死に至るという毒の話は聞いていた。ただとても珍しく滅多に手に入らないとも。
そう教えてくれたお父さまも実物を持っていなかった。特徴としてはどろりとした甘い香りがするとだけ教えられた。お父さまが知っていた使い方はハンカチにしみこませて口を塞ぐ方法だったと思う。まさか、花に含ませておくなど考えが及ばなかった。
そもそも、わたし生きて帰れるのかしら?
この香りはすぐに死に至るのではなかったかしら?
思いついたことを次々に考えながら、再び暗闇に落ちていった。