ドレス代は高いわよ?
ブクマ、評価ありがとうございます。 感想も度々ありがとうございます。皆さま、鋭すぎてドキドキです。
宰相の部屋にいたのは壮年の男性だ。煌びやかな上着を着ていて、一目で貴族といういで立ちだった。彼は年を取っていても十分端正な顔立ちで、若い頃はさぞかし人気があったことがうかがえた。
一言で表せば、想像と違いすぎた。権力欲の強い上位貴族といえば、女好きな油っぽいおじさんだと思っていたのだ。
それがどうしたわけか。
年齢差を気にしない令嬢であれば、思わず秋波を送ってしまいそうなほどいい男振りだ。自分の歩んできた道に自信があるのか堂々としており、落ち着いた安心感もある。立っているだけで人を寄せ付けるほどの存在感だ。正直、フレデリックが太刀打ちできるわけがない。
初日にアラーナとやり合った時にはいなかったことに気が付いた。これほどの存在感だ。いたら気が付くはずだ。それに黙ってみているような人でもなさそうだった。いなかったことに疑問を感じながら笑みを浮かべる。
「あら、先客がいたようね」
約束の時間だと言い、訪問者がいると渋る護衛を押し切って宰相の執務室に入っていった。中にいたのは宰相とヴィリアズ侯爵だ。ヴィリアズ侯爵は不機嫌そうに眉を寄せた。
「王女殿下、お待たせして申し訳ありません」
宰相は立ち上がると、深々と頭を下げる。わたしは謝罪を受け取ると、頭を上げさせた。
「用件はこの計画書の却下を伝えに来ただけです」
ナイジェルから書類を受け取ると、宰相に渡した。宰相も何が書かれているのか理解していたのか、中を見ることはしなかった。
「わかりました。ではそのように」
ヴィリアズ侯爵を無視した形で話を進めた。ヴィリアズ侯爵は苛立たしそうに黙って立っていたが、わたしに声を掛けることはしない。どうやら声を掛けていい立場ではないことを理解しているようだ。
アラーナが常識知らずなので、その伯父も同じかと思っていただけに感心した。アラーナは愛妾であっても王妃に一番近い位置にいるという自負で、わたしと同等だと勘違いしているのかもしれない。
「どうしても必要ならば陛下の資産もしくはご実家で用意してください」
「……わかりました」
歯切れ悪く、宰相が応じた。
「陛下の資産とはどういうことだ」
ヴィリアズ侯爵は宰相に問いただした。ヴィリアズ侯爵はわたしに紹介されていないため、直接聞くわけにはいかないが、宰相と話すのは問題ない。宰相はちらりとわたしを見る。ヴィリアズ侯爵に紹介してもいいものかどうか、迷っているようだ。
わたしは少しだけ笑みを見せ、初めてヴィリアズ侯爵に視線を向けた。視線で促されて、宰相がほっとした表情で侯爵を紹介する。
「こちらはヴィリアズ侯爵です」
ヴィリアズ侯爵は紹介されて、ようやくわたしと視線を合わせた。模範的な礼をしてきたので、軽く頷く。
「アラーナ殿がドレスを新調したいとご希望ですが、王女殿下の援助金からは出せないと回答をいただいたのです」
「ドレス」
ヴィリアズ侯爵は眉を潜めた。何やら考え事をしている。
「では、わたしはこれで戻ります」
「……陛下の資産から出せばいいではないか」
ヴィリアズ侯爵は宰相に向かって告げた。宰相は困ったように首を横に振る。
「無理です。財務を預かっているヴィリアズ侯爵ならばお分かりいただけると思いますが、すでに陛下には資産がありません」
「ならば侯爵家が受けもとう。ドレスは陛下に選んでもらって欲しい」
この国のお金がない理由を理解した。フレデリックの後見であり、アラーナの伯父、さらには財務を担当。マティスの話から、賄賂も横行しているようだ。賄賂がないと入り込めないが、逆に言えば賄賂さえあれば職にありつけるし、事業にも投資してもらえる。ヴィリアズ侯爵の天下だ。
黙っているうちに、宰相とヴィリアズ侯爵が話し合っている。ヴィリアズ侯爵としてはアラーナがわたしに馬鹿にされるのは困るはずだ。王妃になるのは無理でも、王妃よりも権勢を誇る愛妾であってもいいわけだから。見た目で劣るわけにはいかない。
今回のことで言えば、フレデリックのアラーナへの愛情の深さとも受け取れる。わたしは国から持ってきたドレスであるが、アラーナはフレデリックが贈るドレスなのだから。どちらを重きを置いているのかは自然と分かる。それを狙って、ヴィリアズ侯爵はわざとわたしがいる前で話しているのだろう。
「それは侯爵家の負担になるのでは……」
「ドレス1枚だろう?」
うふふふ。
引っ掛かった。
ドレス1枚、ちょっと何かを我慢すれば出せると思っているところが勘違いだ。宰相もきっと金額を知らないに違いない。お金を持っている大抵の男性はドレス1枚にどれほどのお金がかかっているのか、知らないものだ。わたしだって、侍女に聞くまで知らなかった。
しかもわたしが持たされたドレスは兄達の妃である義姉達が心を込めて用意した物だ。そのあたりで売っているような安物とは違う。同等のドレスを用意するとなると、わたしの持ってきた援助金の半分は使うほどだ。
この国の水準からすると侯爵家と言えどもかなり痛い出費だと思う。
後から慌てるところを想像して楽しんでいると宰相が書類を見て固まっている。
「……殿下、この予算にある金額は一体」
「参考までにわたしの一番安い普段着のドレス代を入れておきました」
涼しい顔をして告げると、宰相が目を見開いた。ヴィリアズ侯爵が宰相の手から書類を奪う。
「……何だこの金額は」
「殿下」
ヴィリアズ侯爵が葛藤しているような表情でぽつりと呟やいた。想像以上の金額が記載され、頭では忙しく計算しているに違いない。
侯爵家からと言ってしまった手前、簡単には取り消せないだろう。笑みがこぼれそうになる。宰相が縋るようにわたしを見つめた。
いいじゃないの。賄賂で集めたお金なのだからドレス代になっても問題ない。
「無理ならやめたらいいだけです。今ならこの部屋の中だけのお話です。アラーナ殿にも伝えなければ知られることはないでしょう? では、わたしは戻ります」
固まった二人からの返事を待つことなく、宰相の執務室を出た。
どのくらい歩いただろうか。人が少なくなってきたところで、ナイジェルが困ったように聞いてきた。
「……あの金額、普段着るドレスの10枚分じゃないか?」
「そうだったかしら? 急いでいたから桁を間違えてしまったかもしれないわね」
ナイジェルの指摘に機嫌よく答える。帰りの足取りはとても軽い。
「おや」
ナイジェルの足が止まる。わたしは立ち止まった彼を振り返った。
「どうしたの?」
「いや、仲がいいなと思って」
彼の視線の先には、庭で楽しく話しているフレデリックとブリアナがいた。どうやら散歩の様だ。穏やかに笑うフレデリックと楽し気に笑みを浮かべるブリアナは心から愛し合っているように見えた。
二人の姿を見て、モヤモヤした何かを感じた。
「……」
無言で彼らを見つめるわたしに、ナイジェルがそっと歩くようにと促す。
「殿下は離縁して国へ帰るのだろう?」
「ええ」
政略結婚だとしても、少しくらい誠意を見せてもいいと思うのだ。わたしがこんなにも受け入れられない環境に甘んじているにもかかわらず、フレデリックは自分の愛する人と一時でも楽しく過ごせることに苛立ちを感じた。
ヴィリアズ侯爵をやり込めた楽しさが急に萎んできた。
一体わたしは何をやっているのだろう。
ただ婚儀を済ませて、少ししたら離縁するだけでいいのに。お父さまに言われたからって、わざわざこの国のために膿など出す必要などない。近い未来にわたしはこの国にいないのだから。現状を変える理由は何もないのだ。
それに、膿を出す手伝いといったのはお父さまだ。フレデリックや宰相などから言われたのではないことに今更ながら気が付いた。
フレデリックとブリアナが幸せそうであることに納得がいかない。わたしの気持ちなんて彼らには関係ないのに、何故かモヤモヤする。
突然出てきたもやもやの感情にやや戸惑いながらも、自室に向かって歩き続けた。
1/15 胸の痛みをモヤモヤした感情に変更しました。
1/16 誤字修正




