どんな時でも警戒心は必要
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ものすごく警戒していた。
例えば、晩餐会で我が物顔に振舞う傍系王族とか。
例えば、女王様のように傲慢なおば様とか。
はたまた、額を油でてかてかさせたでっぷりしたおじ様とか。ついでにいやらしく手がワキワキしていたりすると完璧だ。
物欲、名誉欲、色欲どれかを突き抜けて持っているような人物。この2日で見てきた国の城内にいる人たちを見れば、きっと王族にもいるはずだ。
初日に侍女と使用人達を追い払ってから、わたしについているのは国から連れてきた者だけだ。だが、城内を歩いていれば貴族出身と思しき侍女や文官、騎士などが品なく大きな声でお喋りしている光景に出会う。時には使用人たちに複数人で絡んでいる。通りすがりに見ただけでも、きちんと働いている人間の方が少ない。
働く人々がすでにこうなのだ。役職の付いているような貴族など、もっとひどいはずだ。初日の挨拶の時の貴族たちを思い出し、それでも全員ではないかと思い直す。
思いつく限りの王族にいて欲しくない人物像を想像し、晩餐会への心の準備をしていた。
過度な先入観は良くないが、驚くべき性質を持った人間の多いこの国。その頂点に存在している王族。
準備はやりすぎるくらいがちょうどいいはず。
そう考えて十分に心の準備していたというのに、フレデリックに晩餐の前に紹介されて驚きのあまりに言葉が詰まった。想像以上に普通過ぎて。呆然と仲良く寄り添っている一組の男女を見つめていた。
「お初にお目にかかります。ジョナス・コンウェイです。そして、妻のクラリッサです」
仕立てのいい黒の上着に同じく黒のズボン。襟と袖口には、目立たぬやや青色寄りの灰色の糸で刺繍されている。色は目立たないが、その意匠がとても美しい。ジョナスの落ち着いた物腰にとてもよく似合っていた。鍛えているのか、がっしりとした体躯をしている。
そして、妻と紹介されたクラリッサは濃い茶色の髪に琥珀色の瞳をしたとても美しい女性だった。華奢な体つきであるがぴんとした背筋が弱く見せない。彼女はわたしに向かって跪礼する。
この国に来て美しい仕草を初めて目にした。愛妾の二人がひどすぎるため、あれがこの国の普通かと思っていたがそうではないようだ。驚きを見せないように意識する。
「クラリッサと申します」
な、なんて普通なの……!
そのごく当たり前の挨拶に体が震えそうだった。何かの間違いではないのだろうかとさえ思ってしまう。
わたしの内心に気がつくことなく、フレデリックは二人の紹介を始める。ジョナスは公爵家の当主であり、再従兄夫妻にあたるようだ。
少し血が遠いせいか、フレデリックとはあまり顔立ちは似ていない。フレデリックは黒髪に青い瞳をしているが、彼は金髪にフレデリックと同じ青い瞳だ。瞳の色だけが王族の血を引くことを示していた。
フレデリックとジョナスは仲が良いのか、フレデリックの空気がとても柔らかい。わたしが会う時いつもは無表情または硬い表情になっていることが多いので、その変化にも驚いてしまう。彼もこんな風に笑みを浮かべることができるのだ。
わたしは受けた衝撃を隠しながら余裕があるように見えるように、少しだけゆったりとした仕草で頷いた。美しく見える笑みを浮かべて名乗る。
「イレアナですわ」
初めての普通の人たち。
自分の知る常識が当てはまる人たちに出会ったためか、知らないうちに警戒心がゆるんでしまっていた。
晩餐会に招待されたわたしとナイジェル、フレデリックとコンウェイ公爵夫妻の5人だけなので、食事中はとても穏やかに過ぎていった。身内ばかりのような晩餐会は気負いなく穏やかだ。
昨夜であれば上位貴族も含まれて招待された人間は多かったはずだが、不都合を排除した結果、王族に連なる人間だけになるのは驚きだ。密かに何があったのか、知りたい。
ジョナスがフレデリックよりも10歳年上であったが3人は仲が良いらしく、話題は尽きない。フレデリックとジョナスの幼い頃の思い出、継承権を持つ王族がコンウェイ公爵家しかないこと、フレデリックの両親の大恋愛の話、この国の者なら誰でも知っているような話などを当たり障りなく話していた。
時折、こちらからの問いを挟みながらあっという間に食事も終わり、談話室に移動するとわたしとクラリッサの二人になった。フレデリックとナイジェル、ジョナスは酒を注ぎながら、少し離れたテーブルで楽しそうに会話していた。
わたしは出されたお茶の香りを楽しみながら、久しぶりにゆったりとした気分でいた。これといって意識していなかったが、トルデス国に来ることが決まってから非常に気が張っていたのだと初めて気が付いた。晩餐の穏やかな空気が心地よく、気持ちの良い気怠さを感じる。
「王女様、お気を悪くしないでくださいね」
クラリッサはそう前置きをすると、先ほどの朗らかな様子とは打って変わって酷く真剣にわたしを見つめた。琥珀色の瞳にまっすぐに見つめられ、静かにその瞳を見返した。前置きの感じから、きっといいことではないのだろうなとやや身構える。
「何かしら?」
「先ほどは話しませんでしたが、わたしとフレデリックは幼い頃から18歳になるまで婚約しておりました」
ええ?
想像外の話の始まりに、眠気を感じていた意識がぱっと鮮明になった。いくら心地よく感じられても、信用できる場所ではないことを思い出した。物理的な攻撃をしてくるとは思わないが、念のため護衛の位置を確認しておく。
「フレデリックの両親と妹が亡くなった時、わたしの父も亡くなったのです」
何を思ったのか、事実だけを淡々とクラリッサが話し始めた。クラリッサの父は侯爵家の当主であり、国王夫妻の護衛として常に従っていたこと。夫妻が亡くなったときにも側におり、一緒に亡くなったこと。そして、クラリッサの兄が侯爵家当主になったが当時はまだ若く、フレデリックの後見としては全く役に立たなかったこと。
「フレデリックの決断でわたし達の婚約は破棄されました。その代わりにフレデリックは愛妾を迎え、わたしはジョナスに嫁ぎました」
そこまで話すと、彼女はカップを手に取り温くなったお茶を口に含んだ。この話をして何が言いたいのか、さっぱりわからないわたしはそのまま聞いているしかない。
「わたしは……わたし達はいつもフレデリックが幸せになることを願っています」
まあ、そうだろう。
フレデリックとクラリッサの間に恋愛感情があったかはわからないが、同じ年の幼馴染でもある。幸せを願うのは当然と言えば当然の感情だ。それはわかるが、だから何だというのだろうか。
「ですから」
クラリッサは言いにくそうにしながら言葉を区切った。じっとわたしの目を見つめる。
「王女様にはこのまま婚儀を上げずに、国に帰ってもらいたいのです」
はい?
唖然としてしまって、上手く言葉が出ない。先ほどまでとても普通であると感動していたが、どうしてどうして。突然、目の前にいる女性が得体のしれない人物に思えてくる。
「今なら愛妾二人を理由に婚儀をやめられます。こちらの落ち度で構いません」
「……それは、陛下の意見でもあるのかしら?」
喉が渇いていたが、無理に声を出すと引き攣った感じがした。彼女の話を聞いているうちに、緊張していたようだ。
「いいえ。彼は知りません。わたし達の独断です」
「この国への援助はどうするの?」
援助の対価は王妃の座だ。わたしが結婚しないで国に戻るということは、援助も途絶えるということにもなる。破談の理由がこの国の落ち度だと認めてしまえば、父が黙っていないだろう。そのこともきちんと考えているのだろうか。大国を敵に回して、この国が武力で抵抗できるとは思えない。
「必要ありません」
「とても簡単に言うのね。王である陛下よりもあなた方は決定権があるのかしら?」
クラリッサは力を抜いた笑みを見せた。
「もちろんありません。だから、これは王女様へのお願いです」
「……本当にこの国はろくでもないわね」
クラリッサがわたしの呟きに顔を強張らせた。わたしは彼女から目を離すことなく、テーブルに置いていたカップを手に取った。かさつく口の中を潤すようにいつも以上にゆっくりとお茶を飲んだ。
「わたしがこのまま国へ帰った場合に何が起こるかわかっているのかしら? 仮にも王妃候補であったのでしょう?」
「賠償金ならお支払いします」
「お金の問題ではないわ。面子の問題よ。大したことのない小国が大国に否を突きつけるのよ。国として存続できるわけないでしょう?」
あまりの底の浅さにため息が出てしまった。頭まで痛くなってきた。
昼の愛妾たちとのやり取り、そして王族の血筋である公爵家のお願い。
どうしてこう軽く考えているのだろうか。わたしの母国とこの国が対等だと思っているところから間違っている。
「あなたは公爵家の人間であり、夫は王位継承権を持っている。だから」
わたしはそこで言葉を切った。自分の失言に気が付いたのか、クラリッサの顔色が悪くなった。その様子から彼女はわたしがこの婚儀に不満を持っており、お願いすれば帰ってくれるものだと思っていたのが分かる。
馬鹿にされたものだ。いくら気に入らないとはいえ、これは政略結婚だ。よほどのことがない限り、わたしが父の命令を拒否することなど許されない。婚儀を取りやめる理由がわたしにない場合はそのまま開戦だ。開戦すれば多くの血が流れる。気に入らないから、不満だからという理由で引き起こしてはならないのだ。
「今回は聞かなかったことにしてあげるわ。ただし、もう一度同じことを言ってみなさい。相応の処罰を覚悟することね」
「王女様」
苦しそうにクラリッサは息を吐く。彼女はわたしから視線を外すと、助けを求めるように視線を彷徨わせた。こちらの様子がおかしいと思ったのだろう。フレデリック達がこちらにやってくる。
「どうかしたのか?」
問いかけるフレデリックを無視し、カップのお茶を飲み干すと立ち上がった。クラリッサは途方に暮れたような顔をしていた。これが長年、王妃としての教育を受けた者だと思うとため息が出る。自国の立場も、大国に対する礼儀も何もあったものではない。
「美味しいお茶でしたわ。部屋に戻ります」
ナイジェルは特に口を挟まなかった。無言で差し出された手を取った。
部屋に戻ったら、咎められない程度に暴れよう。
うん、それくらいは許されると思う。
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