最初から気が抜けません
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驚いた。
本当に、本当に真っ先に思ったのがこの一言。
目の前にいるのは、一週間後に婚儀を上げる相手。
わたしの祖国サルディル国の隣にあるトルデス国王フレデリックだ。わたしは今日、この国へ王妃となるためにやってきた。もちろん政略結婚だ。今日初めて会う人でもある。
初対面でこれはない。
もしかしたら、この婚姻を破棄するつもりなのだろうか。
謁見の間で出迎えたフレデリックの隣にいるのは愛妾だと思われる、無駄に豪華な衣装を身に纏った女。まあまあみられる程度の美貌だ。貴族女性なら普通の容姿。そんな特に優れているところもなさそうな女が、さも当たり前のようにフレデリックの隣に立ち、自分こそが王妃だと言わんばかりだ。この状況に笑いがこみあげてきたが、無理やり腹の底に押し込める。
どういう振る舞いをしようかと思案していたが、かなり気合を入れないと後々面倒になりそうだ。余裕の笑みを浮かべると、隣の女は無視してフレデリックに視線を合わせる。彼はわたしを見て、不機嫌そうにだんまりだ。
先ほど紹介された宰相が慌てて場を取り持とうとしていた。申し訳ないが、無視させてもらう。
今、わたしは喧嘩を売られているのだ。
受けて立とうじゃないの。
「どうやら、この結婚は不要のようですわ」
「……」
無言を貫くフレデリックに、わざとらしくため息をついて見せた。
「これほど馬鹿にされたことはありません。このまま帰らせてもらいます」
「お、お待ちください!」
悲鳴のような声を上げているのは、場を取り持とうとしている宰相。にっこりと唇だけの笑みを作る。
「初めから無理することはないと父からは言い含められていますので。これほどはっきりとした意思表示があったとなれば、従者たちも間違うことはないでしょう」
「……負け犬はさっさと帰ればいいのよ」
本当に、本当に小さな声での呟きだ。これを呟いたのは間違いなくフレデリックの隣に立つ愛妾である女だ。確かどこかの伯爵家の長女だったはず。わたしが国に帰ると言い出したものだから、勝ったと思ったのかもしれない。
冷めた目で彼女とフレデリックを眺めた。この場は公式の場。胎の中で何を考えていても無言を貫くのが常識。それを思わずというような感じで呟くところが、甘いというのか、こちらを舐めているというのか。
聞こえたのはわたしだけではなかったようだ。きんとわざと音を立てて、後ろに控えていた護衛が剣を抜いた。
そう、これは公式の場だ。大国の王女に対して、格下の小国の身分のない愛妾が侮辱した。これがどれほどのことなのか、理解していないのだろうか。
何も言わずに護衛がこの女を斬捨てたところで、何の問題もないくらいの暴挙だった。無礼を働いた愛妾を斬捨てたことに抗議をしようものなら、即開戦となってもおかしくない。
「おやめ」
ちらりと抜刀した護衛を見れば、無表情ながらもいつもよりも口角が上がっている。
やれやれ。
彼はこの縁談の反対派だ。ここで破談に持ち込もうという算段だろう。それでもいいかとも思う。こんな公式の場に始末の悪い愛妾を連れてくるような国だ。いくらお父さまの友人の願いだからと言っても、心を砕く必要などどこにもないのではないだろうか。
抜刀した護衛を見て愛妾の女が真っ青になり体を震わせた。顔色を悪くしたのはフレデリックも同じ。フレデリックはきちんと今の状況を理解していると受け取っておこう。
「ちょっと待ってほしい」
「この場を弁えない女はどこの娼婦です? そもそもわたしの目の前にいること自体あり得ません」
わざと娼婦と言う。
さあ、どうするのかしら?
わたしに喧嘩を売って無事だと思えたのはそれだけ侮っているということよね?
このまま帰るなら、わたしはわざわざ出向いたにもかかわらず拒否されたことになる。離縁よりも傷が浅いような気もするが、立派な傷物だ。きっとお父さまも彼との結婚を許してくれるに違いない。予定よりも望みが早く叶うのなら、護衛の思惑に乗らないこともない。
護衛を押さえながらも、剣を下げるように言わないことに周囲がざわめいた。
さてどうしようか。
「王女殿下、お待ちください」
宰相が飛び込んできた。なかなかの命知らずだ。多分一番の苦労人なのかもしれない。でも、わたしの前に出るなんて、捨て身すぎる。どうする気なのだろう。
「その女に関しましては、私どもの方で対応いたします。今は……控えてもらえないでしょうか」
「信用なりません。そもそもこの場に、国王の隣にいることを許したということは、わたしの母国もわたしも侮っていた証拠でしょう」
「それは」
よほど斬られたくないらしい。後処理も大変だしね。気持ちはわかるが、無難にやり過ごしたかったらこの女をこの場に入れなければよかっただけだ。わたしはもう一度震えあがっている女を見た。
少し考えるように見つめ、笑みを浮かべる。
「そうね、ここで鞭打ちでもするのなら大目に見ましょうか」
「……あなたには心というものがないのか」
低い声でフレデリックが呟く。わたしはくすりと笑った。
「おかしなことを。今の状態で心がなんて関係ありませんわ。あなた方はわたしの国を侮辱したのです。今すぐ開戦してもおかしくないくらいに」
「しかし」
「それとも、陛下が格下の国に赴いた時、侮辱されても仕方ないと笑って許せると? 普通は許せませんよね? あら、もしかしたら、開戦を望んでこのような状況を作り出したのかしら?」
ゆっくりと言い含めるように告げるわたしを恐ろしいものでも見るようにこの国の貴族たちは息を詰めている。わたしは貴族たちに視線を向け、ゆっくりと一人一人の顔を見ていった。半分は真摯に受け止めていたが、残りはできるはずないだろうとどこか侮ったような顔をしている。そして、中には面白そうに愛妾とわたしを見ている者もいる。
半分がわたしを、わたしの国を侮っているのだ。信じられないことだった。こちらの援助がなければ、数年のうちに立ち行かなくなるというのに、これはないだろう。
やっぱり帰るのが一番だ。援助金だって領民が苦労して作り出したお金だ。こんな国に使うなんて、勿体ない。
「王女殿下」
勝手に結論付けていたが、後ろからやや呆れたような口調で声がかかる。付き添いで来ていた母方の従兄であるナイジェルだ。わたしは作り笑いを消した。
「何かしら?」
「あまり脅さぬようお願いいたします。ここで王女殿下が戻られましたら、国境近くで待機している騎士達が怒りのあまりに攻め入ってしまいます」
舌打ちをしたくなった。いつもわたしの味方であるナイジェルが止めに入るなど考えていなかった。ナイジェルは父に何かを言い含められているのだろう。少なくとも婚姻は成立させる意図が見える。さりげなく国境に兵を配備しているとちらつかせて、相手もこれ以上の行動がとれないように脅している。
「お前はこんなに馬鹿にされているのに、わたしに矛を収めろと?」
「いいえ。確かに侮られていたままにするのは問題があります。ですから」
彼はつかつかと愛妾のところへと歩いて行った。ぐっと無造作に彼女の栗色の髪を掴むとためらうことなく懐から出した短刀でざっくりと根元から切り落とした。
「何を……!」
驚きに甲高い声を上げたのは愛妾だ。その隣にいたフレデリックは何もできずに呆然としている。
「死罪のところをこの程度で許そうというのだ。さっさと出て行くがいい」
床に膝をついた愛妾を一瞥すると、彼は元の位置に戻ってくる。余計なことを、とも思わなくもない。ただ振り上げた拳を収めようとするなら、これは無難な選択だ。
これで少しは暮らしやすくなかったと考えよう。わたしに手を出すと大変なことになる、と意識が刷り込まれれば上々だ。
呆然としている愛妾は騎士達に引きずられるようにしてこの場から退出した。邪魔がいなくなったところで、一つ息をついた。手を振って、護衛に剣を下げるように指示する。
「では、改めまして。サルディル国第一王女イレアナです。よろしくお願いいたしますわ」
何事もなかったかのように笑みを浮かべて見せた。フレデリックはやや青ざめていた。
「ああ、こちらこそ」
顔色は悪いが、しっかりと返事をしたので及第点を付けた。
しばらくはこの国に世話になるが、1年……ううん、半年以内には離縁して国に帰ろう。
そう決意した。