それぞれの結末
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ナイジェルの持ち込んだ大量の書類は時間潰しには最適だった。
王妃の居室には執務ができるようにと小さめの机が持ち込まれていた。王妃の居室は広い部屋なので狭さを感じさせないが、優雅な内装の部屋に置かれた質の良い机はどっしりとした重厚さがあり、どことなく浮いた感じだ。しかもその机には遠慮のない大量の書類も積まれていた。
できれば文官の手伝いが欲しいところだが、一日のうち2時間ほど午後にやってくるのが精一杯だ。彼らの手間が多少なりとも省けているのならと集中して仕事を行う。
事務的に処罰を待つ貴族からの要望書は弾き、残った書類の内容を精査する。それだけでも半分以下になるのだから、無駄が多いとわかる。
わたしはこの国の気候や状況など熟知しているわけではないので、本当に必要なものかどうかの判断がつかない。ただ、判断できなくとも内容の整合性などは理解できるので文官が後から確認できるようにとさらに整理した。本当に通してもいいと思える案件はとても整合性があり、説得力が違っていた。そんな書類は最終確認の方へと分ける。
こんなことを10日も続けて入れば書類も減っていくわけで、次第に自分の考える時間が取れるようになる。
「どうぞ」
わたしの手が止まったところで、侍女がお茶を用意した。カップの横には小さな菓子が添えられる。珍しいと思い、侍女を見ると彼女はにっこりとほほ笑んだ。
「陛下からの差し入れでございます」
「そう」
フレデリックは毎日忙しいのか、顔を合わせるのは本当に朝と夜だけだ。朝は挨拶、夜も挨拶。少しだけ雑談することもあるが、毎日ではない。国王の部屋は隣なのに、その存在を感じるのは稀だ。
書類をわきに寄せ、菓子の乗った小皿を手に取った。その可愛らしい菓子にこういうところはマメだと思う。流石に毒に倒れたため花は贈ってこないが、時折こうした何でもない小さな贈り物が届けられていた。
初対面の時は愛妾たちの傍若無人な振る舞いを許す腑抜けぶりに腹が立ったが、事情を知ってしまえばその態度も仕方がないかと受け入れた。いまだに思い出せば腹が立つが、ある程度は飲み込むことはできる。
確かに母国にいる兄たちに比べたら、足らないところの多い国王だとも思う。頼りないし、信頼する部下も少ない。謀略とかもどちらかというと苦手だと思う。
お茶を飲みながら、物思いに耽っていると来客が告げられた。
「通して」
護衛に告げれば、フレデリックが入ってくる。明るいうちに来るなんて珍しい。立ち上がると、フレデリックを迎え入れた。
「処罰が決まった」
誰の、とは聞かなかった。フレデリックが長椅子に座るのを見てから、その向かい側の椅子に浅く腰かけた。背筋を伸ばし、彼の話に耳を傾けた。
想像通りというのか、ヴィリアズ侯爵は毒杯、入れ替わりが行われた貴族たちはエディーラ国へ送還、その他は罪に応じて毒杯から領地没収まで様々だ。貴族名を聞いてもわからないので、黙って聞いていた。
聞いている感じだと、この城にいる半分の人間が何かしらの処罰を受けるようだ。それはそれで立て直しが大変な気がする。
「最後に、アラーナとブリアナだが」
彼は憂鬱そうに付け加えた。
「アラーナは毒杯、ブリアナはエディーラ国へ送られた。おそらくエディーラ国での処刑となる」
「そうですか」
アラーナまで毒杯になるとは思っていなかった。理由を聞こうと口を開きかけたが、やめた。聞いたところで何もならないからだ。すでに体を壊し長く生きられないのであれば、毒杯は優しさなのかもしれない。
「エディーラ国に行った使者は数日で戻ってくる」
日程的にそろそろカルロが戻ってくるのはわかっていた。そして、わたしもきちんと考えなければいけないとも。少し目を伏せた。フレデリックはそんなわたしを探るようにじっと見つめてくる。
「……離縁は半年、待ってもらえると助かる」
「半年?」
「ああ。それぐらいには後始末も終わって、それなりになっているだろうから」
1年と言っていた期間が半分に短縮されて、驚いた。顔を上げて真正面から彼を見れば、とても申し訳なさそうな顔をしていた。
「できれば希望通り、すぐにでも離縁するのがいいのだろうが」
「わたしもそこまで我儘を通すつもりはありません」
「かなり本気で出て行くつもりだった気がするが」
納得できないのか、ぼそりとした呟きにわたしはくすくすと笑う。フレデリックは今すぐにでも離縁しても構わないと言った言葉を気にしているのだ。
「だって、お金お金って騒ぐマティスの態度が気に入らなかったから。さっさと離縁して帰りたいとは思っているけど状況を考えずに押し通すつもりはないわ」
「マティスの態度については謝罪しよう。言い訳にしかならないが、マティスは金策で駆けずり回っていたからどうしても欲しかったのだと思う」
それにしてもあの強硬な態度はいただけないと思うのだが。まあ余裕がなかったのだということで今回だけは目をつぶる。
「それに短期間で離縁して、次の結婚を申し込むのはちょっとね」
「相手も分かっているのだろう?」
フレデリックが本気でわからないのか、首をひねっている。こうして気軽に話せる相手はいないので、ちょうどいいと少しだけ話すことにした。
「ナイジェルから王命で結婚を強いるなと言われて」
「そうなのか? 政略結婚と思えば気にすることはないと思うが。どちらにしろ王女の結婚など王命でしかない」
政略結婚。そう言われてみればそうだとも思う。ただ、そこにわたしの気持ちが入り込んでしまったために複雑に見せているだけだ。
「……カルロの幸せも考えてほしいと」
フレデリックがますます理解できない顔になる。しばらく考え込んでいたが、やっぱりわからないのかため息をついた。
「愛し合っている夫婦を別れさせて結婚するのならともかく、すでに死別していると聞いている。遠慮する意味が分からない」
そう言われて、今度はわたしが黙った。
カルロが妻と死別したのはわたしと出会う前。
すでに10年以上前だ。その間、彼が女性と付き合っている話は聞いたことがない。男性なので、色々あるとは思うが公の恋人はいなかった。
忙しく頭を働かせた。ナイジェルは何を言いたかったのだろうか。ナイジェルが意地悪でわたしにあのようなことを言ったとは思わない。それなりの信頼関係は彼との間にはあった。
「ナイジェルは気持ちだけで進めるのではなく、もっとちゃんと話し合ってほしいと思っていたのではないのか?」
「そうなのかしら?」
よくわからない。
好きという気持ちはわかる。
彼を見つければドキドキするし、誰よりも綺麗だと思われたい。いつでも前を進んで歩いている彼だから、少しでも近づきたい。誰よりも認めてもらいたい。この特別な気持ちがわたしの中に沢山育っている。
その特別な気持ちもカルロには事あるごとに伝えていた。
それなのにさらに話し合ってほしいというのはどういうことだろうか。カルロだって奥様を一番愛している、わたしを大切に思うが愛することはできないとはっきりと告げていた。その度に傷つくが、カルロの気持ちだから受け入れた。
「何を話し合うというの……」
迷子になったような気分だ。これほどよくわからないことになるとは思っていなかった。
フレデリックもこちらを見て他人事のように笑っているが、たぶん私と似たり寄ったり。
だって彼は恋などしたことはなさそうだ。クラリッサは幼いころからの婚約者で特別だったかもしれないが、話を聞いている限りではどちらかというと家族だ。そうでなければ、簡単に他の男に嫁がせるわけがない。
「そういえば、陛下はわたしと離縁した後どうするの?」
「うん?」
「また別の誰かと結婚するの?」
つい気になって聞いてみた。フレデリックはぬるくなったお茶を飲んだ。どこまで話そうかと迷っているようにも見えた。伏せた目を上げてわたしを見るときにはその迷いは消えていた。ゆっくりとした、なんでもない口調で話し始めた。
「結婚はもうしないな。イレアナと離縁したら退位して隠居しようと思っている」
あまりの言葉に唖然とした。
「退位して隠居……?」
「そう。こんなにも国が荒れてしまったのは、未熟な王である俺の責任だ。ある程度道筋がついたら、王位はジョナスに譲って田舎で暮らす」
もう引っ越し先は決めてあるのだ、と楽しそうに続ける。
「本気で?」
「もちろん。どうせ俺には子供ができないだろうから」
衝撃的な発言が続いて、さらりとこぼれた言葉がどれほどの重みがあるのか気が付かなかった。ただ疑問に思ったことを口にした。
「子供ができないなんてわからないでしょう?」
「わかるさ。ずっと愛妾二人に子供ができないように薬を飲んでいたんだ。副作用がよくわからないような怪しい薬でな。体にどう影響するかもよくわからない。ただ7年間、どちらにも子供ができなかったのだから、効果はあったのだろうな」
なんだろう、もっと違うやり方はなかったのかとそんな気持ちが湧いてくる。
フレデリックとしては怪しい薬を愛妾に盛るのに抵抗があったのかもしれないが、この結末には二人の処罰しかないのだから避妊薬くらい飲ませたっていいと思うのだ。
ただ、過ぎてしまった話なので言わない。
ただただ目の前にいる穏やかに座る彼を見つめていた。
完結まであと少しです。