好きという気持ち
ブクマ、評価ありがとうございます!
無様にも地面に尻をつけ、勝ち誇ったようなブリアナを見上げていた。
もう助からないと思っていた。
ブリアナの持っていた剣が嫌に遅く振り下ろされて、最後は見ていられなくなって目を瞑った。何があったかはその一瞬ではわからない。
わからないが、目を開ければそこにはカルロがいた。
助からないと思っていたのに、わたしを助けてくれたのはこの世で一番好きな人だった。
見慣れない騎士団の制服に剣、心配そうにのぞき込まれてしまえば気持ちが高まってしまうのはどうしようもない。気負っていた気持ちも、覚悟していた気持ちもすべてがどこかに消えてなくなって彼しか見えなくなっていた。
ただでさえ好きなのだ。
これ以上好きな気持ちとはないのだろうと思っていたのに、簡単に塗り替えられる。先を歩く彼の後姿を見ているだけで、先ほどまでの恐ろしさが霧散する。
「感動しているところ申し訳ないが……」
足を痛めたわたしを抱きあげて王妃の間に移動しているフレデリックがとても言いづらそうに声を掛けてきた。何度もカルロが助けてくれた場面を思い出していたわたしは彼を下から見上げる。
「何?」
「もう少し、痛そうにしていてくれ。端から見ると、俺にうっとりしているように見える」
「……」
そう言われて、そろりと周りを見回した。わたしとフレデリックの関係を正しく知っている護衛達はなんとも言い難い顔でこちらを見ていた。恥ずかしさに視線を彷徨わせそのまま顔を伏せた。常に感情を出さないようにしていたのに、カルロに助けられて周りの存在を忘れていた。
「彼が初恋の相手か?」
フレデリックが小声で聞いてきた。どことなく揶揄うような調子に恥ずかしくなる。そんなにも態度に出ていただろうか。顔を伏せたまま、ちょっと頷く。顔が熱くなるのが嫌でもわかる。
「騎士団の人なのだな」
「ううん。違うはずだわ。どちらかというと文官ね」
フレデリックが納得がいかないのか、とても変な顔をした。それは仕方がないと思う。今日の彼を見ればどう見ても騎士団所属だ。だけど、今まで騎士団に所属していたとは聞いたことがない。それにあれほど剣の腕があるのも知らなかった。無表情に敵を斬り伏せる彼は知らない人のようにも思えた。
「……迎えに来たのか?」
ぼそりした呟きにふわんと喜びが湧いてくる。
心配で来てくれた?
やだ、何それ。嬉しい。
ただ残念なことに、そんな単純な理由で王太子の側近であるカルロがここまで来るはずがないことも分かっていた。おそらく彼はエディーラ国へ王太子の代理として行くのだ。ここに来たのは状況把握のためだと思う。
カルロは少し先を歩いていたが、誰かに呼び止められた。どうやらここまでのようだ。また後で話す機会もあるだろうと移動する彼を見送る。
「離縁したら彼と結婚するつもりなのか?」
フレデリックは彼の背中を追うわたしに躊躇いがちに聞いてくる。
「ええ。そのつもりよ」
「大国のことは良く知らないが……そんなにすんなり認められるのか?」
わたしは何が言いたいのか、わからなかった。ただここに嫁ぐときにお父さまと約束したことを口にする。
「お父さまも離縁したら好きにしろと」
「国王の許可とか、そういうことではない。イレアナが離縁して国に帰ったとして、彼との結婚は周囲の……特に貴族たちに好意的に受け止めてもらえるものなのか?」
予想もしていない問いに、彼を下から見上げた。少し頼りない感じの優しい顔で心配そうにこちらを見ていた。黙ってしまったわたしにさらに問いかける。
「離縁して戻ってきた後に好きだと公言していた相手と再婚する。事情を知らない人間にしたらあまりいい印象を持てないのではないのか」
もっともなことだった。離縁して結婚することばかり考えていて、その後のことを全く考えていなかった。
短期間で出戻って結婚したいと好きだと公言していた相手と再婚。
とてつもなく印象が悪い。侯爵夫人として彼の傍らに立つつもりでいるなら悪印象にならない方がいい。
舞い上がっていた気持ちがしょぼんと萎んでいく。現実を見渡せば、浮かれている場合ではなかった。
「そう落ち込むな」
「落ち込むわよ。全く考えていなかったわ」
わたしの呟きに少し躊躇いがちに提案された。
「誰もが同情するような状況を作ればいいだけなのだが……手伝おうか?」
「手伝い?」
どう手伝うのかわからず、続きを促す。フレデリックはちょっとだけ笑みを見せた。
「そう俺たちがとても仲がいいところを見せつけて、国内の混乱を理由に離縁するようにすればいい」
「はい?」
「泣く泣く出戻った王女様は心許せる親しい相手と国王に命令されて仕方がなく再婚する。誰もが同情的になっていい筋書きだと思う。肉付けは想像力豊かなご婦人たちがやってくれる」
意外な展開にどうしていいのかわからない。
「仲良くってどうするの?」
「普通にここでキスしたらいいと思う」
わたしの返事も待たずに彼は顔を近づけ、ちゅっと音を立てて額にキスをした。
兄から妹にするような、そんなキスだった。
唖然として彼を見上げれば、彼は面白そうに笑っていた。
「噂なんて簡単に作れる。これぐらいしかしてやれることがないからな」
どうやら彼はわたしの初恋成就に力を貸してくれるようだった。
******
足のケガは大したことはなかった。痛めた後に無理に歩かなかったのがよかったのか、足首の腫れは3日もすれば引いていた。
少しの歩行なら許されているのだが、過保護な人間が多いのかほとんど王妃の間を出ることはない。寝室と居間を移動するだけの生活だ。
暇を持て余していると、ナイジェルが大量の書類を持ち込んできた。
「何、これ?」
「財務関係の書類だ。マティスがさばき切れていないから、殿下に手伝ってもらおうと思って」
「マティスは何しているの?」
興味なく積まれた書類を手に取る。ぱらぱらと流し読めば酷いものだ。明らかに数字がおかしいし、書いてある内容も疑問がわく。
「マティスは捕らえた貴族たちの処罰の方で忙しい」
ヴィリアズ侯爵に追従していた貴族たちは皆、捕らえられ、牢に入っている。これからは、それぞれの罪状を確認し処罰を決定していくのだという。その作業に文官達が割り当てられて大変なことになっているそうだ。文官の手が他に持っていかれてしまえば、通常の仕事が滞る。その滞った仕事をナイジェルはわたしに持ってきたのだった。
「誰か一人でいいから、手伝ってくれる人が欲しいわね」
「難しいかもしれないが、聞いてみよう」
ナイジェルの様子から、すぐには難しそうだなとため息を漏らす。この国の貴族の名前すらほとんど知らないのに、処罰対象の貴族を弾きながら処理していくのは無理があると思うのだ。まあ、それでも少しづつやっていくしかないのだが。
「それから、カルロ殿は明日からエディーラ国へ行くことになった」
「え、明日から? ずいぶん早いわね」
「こちらでの尋問は終わったからな」
尋問、と聞いて少しだけ目を伏せた。回廊を襲撃した者は、足の腱を切って逃げられないようにしていると聞いていた。もちろんそこにはブリアナも含まれている。
何とも言えない感情が沸き上がってきた。殺されかけているのだから庇う気持ちは全くないが、フレデリックがどう思っているのかを考えると落ち着かない。愛情はないとはいえ、数年愛妾として傍に置いていたのだから。
「……エディーラ国にはブリアナも連れて行くの?」
「ああ。エディーラ国の前国王の王女だと煩く喚いているから、その真偽も確認する必要がある」
ブリアナが元王族であることなどわかっていて確認するのだ。王族ではないとエディーラ国王にはっきりとブリアナを切り捨てさせ、二度とこのようなことが起きないようにするために。ブリアナが祖国に戻ればどうにかなると考えているのなら少し哀れだ。
毒に倒れる前に見た、フレデリックとブリアナの様子を思い出した。フレデリックはブリアナに愛情はなくても、ブリアナにはきっとあったのだと思う。
「ブリアナはフレデリックを愛しているから、わたしが邪魔だったのかしら」
「愛? ああいうのは、愛ではなくて執着というんだ。色々な欲の入った執着だな」
ナイジェルは呆れたように返してきた。
「執着?」
「そうだ。初めこそ恋愛感情もあったのだろう。だが、王妃の立場を欲しがり、相手のことを考えずに自分の気持ちだけ叶えようとする思いはすでに愛情ではない」
愛情ではない。
ナイジェルの言葉は心に重く響いた。それはわたしにも当てはまることだった。黙ったわたしにナイジェルは少し困ったような顔をした。
「殿下とブリアナは違う。殿下はカルロ殿の幸せもきちんと考えられるだろう?」
慰めてもらっても、答えることはできなかった。どうせなら好きな人の傍にいたいから、逃げられないように王命でも取ろうかと思っていたのだ。そんなことを言えるわけもなく、黙るしかない。
「……もしかして、王命を取ろうとしていた?」
勘のいいナイジェルはわたしの沈黙の意味を正しく理解した。やれやれとため息をつくと、手を伸ばしてくる。少し乱暴に頭をなでられた。この子供のような扱いは気に入らないが、口を開けると泣いてしまいそうだ。
「二週間後には戻ってくるはずだ。その時にでもきちんとカルロ殿と話した方がいい」
ナイジェルの言葉はもっともだ。
だけど、きちんと話したところで思いなど通じるものなのだろうか。今までだってずっと好きだと伝えているのに。好きだと言われて困ったような顔しか見たことがない。
カルロの幸せを考えてしまえば、離縁してカルロと結婚したいという気持ちが少し揺らいだ。
2/5 誤字修正