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最後の波瀾

ブクマ、評価ありがとうございます!


 歩くたびに長い裾が床を滑る音がする。


 婚礼用に用意されたドレスは後ろの裾がやや長い。侍女達が後ろからその裾を時折直しながら進む。後ろが長めに作られているドレスの立ち姿はとても美しいが、こうして回廊を歩くのはとても大変だ。

 大変なのが分かっていたら、選ばなかったのにと少しだけ後悔する。しかもこれから何が起こるかわからないような状況なのに。


 隣にはわたしの手を取るフレデリックがいる。彼も婚礼用の衣装でいつもよりも華やいだ意匠だ。織目が細かくしっとりと深みのある黒い襟の詰まった上着に施された金糸の刺繍はとても手が込んでいる。普段があまり装飾の少ない上着を着ているので、思わず見惚れてしまった。


 婚姻の書類に署名してから、二人だけの時間を少しだけ過ごした。わたしの離縁発言をなかったことにしたかったのか、色々な言い訳をして皆部屋から出て行った。二人にされたフレデリックが困ったような顔をしていたのが印象的だ。


 短くはあったが、二人だけの時間がよかったのか、意外にもすんなりとフレデリックの存在を受け入れることができた。母国にいる兄達のような強さはないが、まあこういう人なのだと理解したのだと思う。


 心の壁がなくなってしまえば何というか……顔立ちの優しさもあってフレデリックはできの悪い兄のようだ。押しの強い女性には丸め込まれそうなところがあるから、兄よりも弟なのかもしれない。末っ子なので本当のところはわからないけど。


 昨日のことを思い出しながら黙って歩いていると、フレデリックが話しかけてきた。隣で歩くわたしが聞きとれる程度のとても小さな声だ。


「もう少しだけ離縁を待ってほしい」


 ちらりとフレデリックの顔を見上げた。彼は真面目な顔をしてこちらを見ていた。


「どれくらいかしら?」

「一年はかからないと思う」


 どうやらヴィリアズ侯爵らの処罰が終わるまで付き合えということのようだ。わたしがいる限り、エディーラ国も手を出してこないだろうから納得だ。


「わかりました」

「……早く終わるように努力する。結婚したい相手がいるのだろう?」


 結婚したい相手、と問われて驚いてしまった。


「どうしてそれを?」

「ナイジェルが色々と教えてくれた」

「ふうん」


 人の恋を勝手に喋るなんて。


 少しだけ気分悪く黙り込んだ。フレデリックが不貞腐れたわたしを見て、声を殺して笑った。


「なんでも初恋だとか。案外、可愛らしい」

「……案外が余計です」


 なんだか仲の良いような会話をしていると、フレデリックの足が止まった。わたしを引き留めるように腕を引かれる。フレデリックの視線を辿った。


「ブリアナ」


 わたしは思わず小さく名前を呼んだ。

 大広間に続く回廊の柱からブリアナが出てきた。彼女はいつもと変わらない少女っぽいドレスを身に纏っていた。


 待ち伏せされたことに驚いてしまった。護衛達も彼女を警戒している。わたしが倒れたことで城にはサルディル国から来た騎士達も警備に入っている。特に狙われやすい大広間への通り道の警備は厳重なはずだ。彼女が愛妾として押し通したのか、それとも警備している者を排除したからここにいるのか。判断ができずにいた。


 どちらにしても、あまりいい予感はしない。

 ぎゅっとフレデリックの腕を掴んだ。フレデリックは唇を横に引き締めた。何かを探るように彼女を見ている。


「今日は部屋にいるようにと言ったはずだ」

「そうね。フレデリックが結婚を取りやめるなら言うことを聞いてあげたけど、やめてくれないんですもの」


 本当にこの令嬢はエディーラ国の王女だったのだろうか。そんな疑問がどうしても湧いてしまう。王族ではなくなり幽閉されていたとしても、王族ならばそれなりの教育がなされているはずだ。どうしてもこの庶民のような振る舞いが彼女を王族に見せない。


 ブリアナは少し拗ねたような口調で話しながら、フレデリックの方へと寄ってくる。フレデリックは護衛の位置を確認しながら少し後ろに下がった。ブリアナが毒をわたしに送ったと考えているためか、彼はとても彼女を警戒していた。


「部屋に戻れ」

「どうして? 今しか機会がないのに」


 ブリアナの顔には歪な笑みが浮かんでいた。フレデリックが突然わたしを後ろに突き飛ばした。そのすぐ後に数本、中庭の方から矢が飛んでくる。

 いつの間にかフレデリックは剣を抜いていた。何本かは弾いているが、すべてではない。後ろに控えていた侍女がわたしを庇い崩れ落ちた。護衛もすぐに動き、わたしの前に立った。


 突然の出来事に、わたしは立ちすくんでしまった。呆然としている間にも、敵が数人姿を見せる。フレデリックも護衛も襲撃を防ごうと剣を振るう。


 空を切る音に、剣で弾く音。


 初めての経験に、体が震えた。

 血の臭いも、怒声も、殺気に満ちた空気も、何もかもが怖い。


「早く逃げろ!」


 少しずつ後ろに下がり後退しながら、フレデリックが叫ぶ。


「だめよ。逃がさない。その女を殺すんだから」


 ブリアナの手が動くと同時に庭の方から剣を持った男が現れる。フレデリックが舌打ちをしたと同時に対峙していた男を斬捨てた。フレデリックはわたしに斬りかかった男の剣を受け、横に払った。護衛達がわたし達を守るように囲む。


「来た道を戻ればサルディル国の騎士がいるはずだ」

「でも、足が震えて走れそうにないわ」


 逃げるようにと強く言うフレデリックに首を左右に振った。彼は目を見開いたが、落ち着かせるように笑みを見せた。


「大丈夫だ。何も考えずに走って行けばいい」


 落ち着くことはなかなかできないが、逃げ道を確認する。その時に彼の肩越しにブリアナの茶色の目と合った。彼女の目には特に感情が浮いていなかった。ゆっくりとこちらに近寄ってくる。同時に護衛をわたしから離すために侵入者が斬りかかった。

 彼女はいつの間にか手に剣を持っていた。あまりにも似合わない組み合わせだ。


「逃げてください! 早く!」


 護衛の叫び声が聞こえるが、今すぐに逃げることは無理だ。ぐっと腹に力を入れ震える足を叱りつけた。

 フレデリックが剣をブリアナに向けた。ブリアナの瞳が少しだけ揺れる。フレデリックに剣を向けられるとは思っていなかったのかもしれない。


「わたしは王女なのよ。どうして王妃を望んではいけないの?」

「下がれ」

「あんなことがなかったら、わたしが王女として祝福を受けながらこの国の王妃になれたのに」


 フレデリックが小さく唸った。わたしは背中に庇われながらも、周りに視線を走らせる。ようやく気持ちが落ち着いてきた。この格好でどこまで走れるのかは不明だが、やるしかない。ブリアナたちの狙いはわたしで、フレデリックを殺すことではないのだ。このまま庇われた状態ではフレデリックが動けない。覚悟を決めて、ぱっと走り出した。


「待ちなさい!」


 ブリアナの声に反応したのか、庭の方から矢が飛んでくる。庭にもまだ敵が潜んでいそうだ。なんとか刺さらないように走り続けたが、華奢な靴と裾の長いドレスだ。すぐに足を取られてバランスを崩した。


「イレアナ!」


 フレデリックがこちらに来ようとしたが、庭に潜んでいた敵がフレデリックの前に立ちはだかる。その横をブリアナが歩いて抜けた。彼女は剣をもったまま、転んで座ったままのわたしの方へとやってくる。


「お前が来なければ、わたしが王妃になれたのよ」

「そうかしら?」


 なれるはずはないと、笑って見せる。虚勢を張るにも様にならないので本当は立ち上がりたかったが、転んだ時に足を捻ったのか立ち上がれなかった。


「無様ね、王女様」

「本当にね。髪もぼさぼさ、ドレスもこのありさま。同意するわ」


 余裕そうに見せるために肩を竦めて見せた。これで最後であっても取り乱すことはしたくない。


 ブリアナは剣をわたしに向けた。剣がゆっくりとわたしに向かってくる。その先を見たくなくて、思わず目を瞑った。そしてこれから起こる衝動と痛みを思い、唇を噛み締める。


「あああああ!」


 響いたのはわたしではなく、ブリアナの悲鳴だった。がらんと床に剣が落ちる音がした。


 そっと目を開くと、右腕を抱え込む蹲るブリアナとその後ろにはよく知った人物。


「遅くなって済まない」

「カルロ……?」


 彼は軽く血を払う様に剣を振る。そして鞘にしまうと、呆然と床に座り込んでいるわたしの前に片膝をついた。


「よく頑張ったな」


 ぽんと頭を撫でられた。

 

 いつもと同じ優しい手。

 呆けて彼の顔をただただ見上げた。


 何故こんなところにカルロが?


 しかも彼は騎士団の服を着ている。カルロは騎士団所属ではなかったはずだ。


「どうして……」

「話は後で。早く手当てをしないと」


 穏やかにほほ笑まれて、口を噤んだ。わたし達が話している間にフレデリックが急ぎ足でやってきた。彼の方も小さな怪我をしているが、大丈夫そうだ。ほっとしたら、こわばった体から力が抜けた。


「立てるか?」

「いいえ。足を捻ってしまって」


 申し訳なさそうに言えば、フレデリックが軽々とわたしを抱き上げた。


「え? えええ??」

「大人しくしていろ。すぐに医師に見せる」


 恥ずかしさに頬が染まる。

 どうして母国の騎士達とこの国の騎士達に見守られながら、抱き上げられているなんて羞恥以外ない。


「仕方がないだろう? 貴女はもう俺の妃なんだから」


 そう言われてしまえば、そうだった。フレデリックが無事であるなら、他の男性に抱き上げられるなどあってはいけない。


「では行きましょう」


 カルロがわたしとフレデリックの会話が終わったところで促した。ゆっくりと歩き出そうとしたカルロをフレデリックが止めた。


「待ってくれ。大広間はどうなっている?」

「ヴィリアズ侯爵らはすでに捕らえています。こちらの令嬢が引き入れた者についてはもう少しで捕縛できるかと」

「そうか。よかった」


 ほっとした顔でフレデリックは息を吐きだした。




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