見えてきた終わり -フレデリック-
ブクマ、評価、感想ありがとうございます。フレデリック視点は最後です。
「こんなに簡単に手に入るなんて」
くるりと手にした花を回した。少し小さめの白い花びらを持つどこにでも咲いているような花。
少し独特なねっとりとした甘い香りをしているが、今はもう匂いを感じない。この花の怖いところは、香りも毒性を持っているところだ。切って少し香りを飛ばしてしまえば大丈夫らしいのだが、進んでこの香りを嗅ごうとは思わない。
この花はいつも定期的に孤児院で炊き出しを行った後にブリアナがお礼にと持ってくる。孤児院の裏庭で育ているのだ。故郷の花をたくさん育てられないか確認していると言っていた。初めは可愛らしい趣味だと思っていたが、これがエディーラ国の秘された毒花であると気が付いたの時には真っ青になった。
どれだけ大量に作り出そうとしているのか。この国の気候は合っているようで順調だと無邪気な笑顔が今では恐ろしい。
しかもたまたま気が付いたに過ぎない。気が付くまで貰うたびに執務室の机に飾っていたのだから、事実を知った時には気が遠くなったほどだ。
ぐちゃぐちゃに絡まったものがようやくほぐれ、俺にもわかるようになっていた。
何度も何度も議論を重ね、証拠を集め、証言を得て、ようやくここまで来た。
ヴィリアズ侯爵が手を組んだ相手はエディーラ国だった。襲撃があった当初、生き残った暗部を使いこの国の乗っ取りを考えているのだと思っていたが、一つ一つ証拠を集めていくにしたがって違うものが見えてくる。
この国の内部に入り込んでいるのが追われた王族であっても、エディーラ国であっても同じように見えて少し違う。追われた王族であれば、粛清しても外から戦争を仕掛けられる心配はいらない。こちらからつき返してもいいくらいだ。
「残念です。これだけ明らかになっても、私達ではどうにもならない」
宰相が小さな声でそう零した。いつも以上に声に張りがない。我が国が陥っている状況が明らかになったとしても、何もできないのは事実だ。ヴィリアズ侯爵が抱え込んだエディーラ国の人間と共に断罪するのは簡単だ。この5年でそれだけの証拠を集めた。俺が反抗しないと思っているのか、ここ数年は証拠を隠す気もないほどだ。
対応を難しくしているのは、断罪後だった。恐らく、エディーラ国がその後攻め入ってくる。国の中央はすでにガタガタだ。内部で粛清している間に軍を進められたら、あっという間に陥落してしまう。
エディーラ国が今この状態で静観しているのは、ブリアナに子供ができるのを待っているのだ。王位継承者を押さえれば、楽に支配できる。
見えてくるのはエディーラ国の恐ろしいほどの執着。
エディーラ国は未だサルディル国の侵略を諦めていない。削られた戦力の補填をこの国で行うつもりだ。サルディル国の力によって王位に就いた国王であったが、心の中は屈辱であったのかもしれない。それとも不満を持つ貴族たちを抑えきれていないのか。
「……サルディル国王に手紙を送る」
「陛下」
心配そうに宰相が呼んだ。俺が何をしようとしているのか、わかったのだろう。
「唯一の武器だ」
「コンウェイ公爵は反対なさると思いますよ」
「それでも戦争をしてこの国が壊れるよりはましだ」
わかっているのに戦争の駒になるつもりはない。中央から離した貴族たちは苦労しながらも領地を守ってくれている。それを戦争で損なうことはできない。
交渉を間違えれば、もしかしたら国ではなくなってしまうかもしれない。俺に大国との駆け引きができるとは思えないが、戦争をして国を荒廃させたくなかった。サルディル国にしても戦争は歓迎しないだろう。
「では、まずはコンウェイ公爵を説得するところからすべきかと」
ジョナスの顔を思い出し、ちょっと腰が引けた。今の状態に持っていくときもかなり怒られたが、サルディル国と条約を結ぶなんてことを言ったら手が付けられなくなりそうだ。普段がとても温厚なため一度怒ると本当に面倒なのだ。
このことを説明したら確実に反対する。俺が王族でいられなくなる可能性が高く、王でなくなればどこかに幽閉される。殺されはしないと思うのだが、説得は簡単ではない。
「すごく時間がかかりそうだ」
「これくらいできないようでは、大国との駆け引きなどとてもとても」
どうやら説得を手伝ってくれる気はなさそうだ。恨みがましく宰相を見ていると、扉がノックされた。取次の護衛の入出の許可を求める声がする。許可を出すと、静かに扉が開いた。
「陛下、至急会いたいとアラーナ様の侍女が来ております」
「至急?」
予定にない事であったが、至急ということで入室を許可する。
「何だ?」
くだらない事だったら、今後一切取次ぎを許可しないようにしようと心のうちに決めながら侍女を促した。侍女は真っ青になっている。
「アラーナ様がお倒れになりました」
「何?」
「医師に今見てもらっていますが、毒を盛られたようです」
毒を盛られた。
慌てて立ち上がると顔色の悪い侍女を急き立てて、部屋を飛び出した。
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じっと今は閉じている扉を見つめた。王女一行が到着するのを謁見の間にある玉座の前に立って待っていた。すでに城門を通り、ゆっくりと歩みで進んでいると連絡が入っていた。
謁見の間には子爵位までの貴族たちが集められている。声を落としてはいるが、それなりの人がいるのだ。囁き合う声が聞こえる。王都を離れていた貴族たちも集まっているのはとても久しぶりだ。
彼らは少し冷めた目でこの場に立っている。彼らの方が高位貴族であるにもかかわらず、扉に近い位置に配されていた。玉座に近い位置には我が物顔に荒らしている貴族たちが得意げに立っていた。この国の歪を表しているようだ。
サルディル国の王女が王妃となれば、何かがあった場合、この国は保護を受ける。立場が従属国になっても、サルディル国は交わした条約通りに従っていれば我が国にさほど干渉はしてこない。それは他の国との関係を見ていれば明らかだ。
細かな決め事はすでになされていた。こちらの要求がどれだけ通ったのかは最後の調印まで分からないが、素案を見る限りでは6割がた通っていた。サルディル国との交渉は一年近くもかかったが、こうして王女が輿入れし、調印がなされれば安心だ。
どんな王女だろうか。絵姿は見たが、大人しそうな線の細い女性のようだった。この城の中で生き残れるだろうか。サルディル国王がそれなりの護衛を付けると言っていたが心配だ。それに癖の強い愛妾二人の存在もある。
「陛下」
小さな声で呼ばれ、顔を上げる。驚きに目を見開いた。驚きすぎてすぐに声が出なかった。アラーナが王妃のように豪華なドレスを纏って謁見の間にやってきたのだ。彼女が俺の目の前で立ち止まった。
「アラーナ、今すぐ下がれ」
「嫌ですわ」
赤く塗られた唇が笑みの形を作る。顔色の悪さを隠すように化粧が施され、どこか人形の様だ。
2年前に毒を盛られ、彼女の体はすでにボロボロだ。毒の影響を見せないようにブリアナとは変わらず対立しているが、ドレスに隠されている肌には赤い斑点ができ、時折痛みでのたうち回っている。
あとどのくらい、生きられるのか。立つのも辛いはずだ。できれば最後はゆっくりと穏やかに過ごしてもらいたい。王女との間に軋轢を生んで欲しくない。
「出て行くんだ」
ここから立ち去ってもらいたくて、もう一度繰り返した。
「嫌です。世間知らずのお姫さまにわたしの立ち位置を示す必要があるもの」
「ヴィリアズ侯爵はどこにいる?」
ヴィリアズ侯爵に引き取ってもらおうと視線を謁見の間に巡らせた。アラーナは背筋を伸ばし、隣に立つ。
「伯父様? わたしの邪魔されては困るもの。薬を盛ったわ」
「……お前は」
頭が痛くなる。筆頭になっている侯爵が不在の出迎えなど、どうなんだ。
「ほら、お姫さまがもう到着するわ」
護衛に連れ出してもらうために後ろに視線を向けた。護衛もこちらの意図を理解したのか、軽く頷いた。
だが、少し行動が遅かった。扉が大きく開かれ、到着を知らせる声が部屋に響き渡る。護衛が動きを止めた。玉座の位置でアラーナを抑え込むなど目立ちすぎてしまう。
せめて俺の横ではなく、ヴィリアズ侯爵の位置まで移動して欲しかった。それで何とか体裁が整う。
「アラーナ」
もう一度強めに彼女の名を呼ぶ。彼女が何かを喋った。だが到着を知らせる声と重なり、アラーナの声がよく聞き取れない。思わず彼女の顔を見るが、それ以上は何も言わなかった。ただただ楽しそうな笑みがその口元に浮かんでいた。仕方がなくアラーナから王女の方へと意識を向けた。
扉からゆっくりとした仕草で歩いてきた王女を見て息を飲んだ。
艶やかな銀髪に鮮やかな紫の瞳。
緩く編み込んでまとめた髪にはいくつもの花の飾りがついている。身に着けているドレスは多くの装飾品はついていないが、後ろが少し長めだ。光沢のある薄い青色がとても清楚に見せていた。首元には大きな一粒の宝石。
どれもこれも彼女の魅力を最大限に引き出していた。
その美しい姿よりも、一際、惹かれたのは。
強い意志を秘めた瞳だった。まっすぐに射貫くような視線に体が震えそうだ。
その力強い姿に眩しさを感じた。
ああ、彼女はこんな国に留まっていい人ではない。
サルディル国王との条約には、彼女が離縁を言い出したら無条件に同意するようにと付け加えられていた。もちろん、その場合でもこの国を保護することは約束されている。
問題が片付いたらすぐに解放できるように、なるべく接点は置かないようにしよう。親しくならなければ、彼女もこちらを気にせず離縁を言い出せるはずだ。
彼女がまっすぐに見据えてこちらに歩いてくる。隣にいるアリーナも息を飲んでいた。少し震えているのは、具合が悪いだけではないだろう。それほどまでの存在感だった。
一歩一歩、こちらに近づくたびに俺の終わりが見えてくる。
この結婚は彼女には不本意だったと思う。ほんの少しの間だけ、この場に留まってもらえるだけでいい。
王女は俺の終わりを示す道しるべのようだった。