不透明な未来 - フレデリック -
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アラーナが婚約者から愛妾になったと言っても、何も変わらないと思っていた。それが間違いであると気が付いたのは、アラーナを愛妾にして2週間が過ぎた頃だった。
「王妃に近い婚約者の方が立場は上じゃないのか」
疲れたように執務室の椅子に沈み込んだ。その様子を呆れながら見ているのは、宰相とマティスだ。マティスは他人事だと思って可笑しそうに笑っている。
「愛妾の方が寵愛を受けていると言いやすいですからね。しかも今回は、陛下が我慢がきかずアラーナ様に無体をしたことになっていますよ」
「アラーナ様は陛下の気持ちを汲み、婚約者ではなく愛妾になることを甘んじたと」
「あり得ない……」
あれほど自分を鼓舞して抱いたのに、どういうことだ。どうして俺が彼女を愛しているという話になるのだ。
「今まで迫られても誰とも関係を持たなかった陛下が隠すことなく朝まで籠っていれば、いかほどの寵愛かと」
朝まで、とマティスに言われて黙った。あれには理由があるのだ。
まず、アラーナが盛った薬が意外と持続したため体が自由にならなかったこと。次に抱きたくない気持ちが大きすぎて、なかなか事が進まなかったこと。
ようやく終わった時には空が白んでいた。お茶を始めた夕刻から考えればほぼ半日籠っていたことになる。
どちらがましなんだろうか?
男として役に立たないと陰口を言われるのと、寵愛が過ぎると言われるのと。これだけ噂が蔓延した状態で彼女への寵愛はないと言っても、今更誰も信じないだろう。
「半分はヴィリアズ侯爵が煽っているのでしょう」
「そうか」
事実を知らない宰相の言葉に疲れたようにため息をついた。実際、アラーナを抱いたのはあの時の一度きりだ。忙しいこともあり、あれから会ってもない。
「それにしても変われば変わるものですね」
しみじみというマティスはどこか遠い目をした。
アラーナは寵愛を得て自信を持ったのか、裏で出来損ないの令嬢と嗤っていた侍女たちを苛め始めていた。大量の仕事を一人に押し付けたり、使用人の仕事である掃除なども目の前でやらせたりしていた。下級とはいえ貴族の令嬢だ。使用人がするような掃除などできるわけもない。
侍女達もアラーナの要求を不満に思い、初めは抗議していた。アラーナは婚約者から愛妾になったが、彼女は公爵を伯父に持つ伯爵令嬢だ。下級貴族出身の侍女が口答えなんて本来は考えられない。今までアラーナは何を言われても黙っていたので彼女たちも調子に乗っていたのだろう。
アラーナは抗議した侍女たちを逆らったとして罰を与えた。罰といっても取り立てて注意するような内容ではないのだが、聞いているのもうんざりするような罰だった。それも何度か続けば、逆らうものはいなくなる。アラーナは俺の寵愛を笠に着て、自分の居心地の良い環境を作り始めていた。
さらに後押しするように、アラーナを貶めていた侍女たちの実家は失脚し始めていた。こちらはヴィリアズ侯爵が手を回しているのだと思う。
マティスの調査によれば、例えヴィリアズ侯爵が関与していたとしても失脚するのは妥当であるという。城に入って愛妾を狙うような令嬢の家だ。そもそも大した才覚はないのだ。
問題はそれだけではなかった。目まぐるしい人員の入れ替えにより、下級貴族ではあるがヴィリアズ侯爵を支持する一派が入り込んでいた。
前から仕えていた貴族たちはクラリッサがジョナスへ嫁いだあたりから、王家との距離を取るようになっている。アラーナが愛妾になったことで、さらに離れていった。少し前ならば苦言を告げてきていた貴族たちが何も言わなくなった。
アラーナが寵姫となったため、ヴィリアズ侯爵に反抗的だった貴族たちは諦めてしまったのかもしれない。
「こうやって王家というのは求心力をなくしていくんだな」
離れていく臣下達を思い、一人取り残されたような気分になる。最初に彼らの手を取らなかったのは俺の方だというのに。
思い出すのは両親がいて、妹がいて、国を良くしていこうと考えてくれる臣下達がいて。
足りないながらも父のもとで政務をはじめていた俺に一つ一つ道理を示し、導いてくれていた。理論で打ち負かされて凹めば、クラリッサが慰めてくれた。妹もそれを楽しそうに笑って見ていた。
だから余計に失いたくないと思った。ヴィリアズ侯爵が囲っているのがエディーラ国の暗部の者でなければ、きっと一緒に立ち向かっただろう。彼らの手を取り、最後まで戦うことを選んでいた。
でも、知ってしまったんだ。この国の精鋭ともいえる護衛を連れていたのに、不意打ちとはいえ、皆殺されてしまった。暖かな環境で育ってきた俺にはどうしても彼らの先を歩くことができないのだと。皆を巻き込んで、最後まで立っていられる自信がなかった。
国を護りたい気持ちもある。敵を取りたい気持ちもある。時間が経ち考える余裕が出てくれば、生きている人を失いたくないという気持ちが一番大きかった。
残念ながら俺の才覚では、皆を遠ざけることしか選べない。今だって、どうしたらいいかなんてわかっていないのだ。
「エディーラ国の逃げた王族はこの国にいるんだろうな」
ぽつりと呟けば、宰相が反応した。
「隠しているとしたら、ヴィリアズ公爵でしょう。探らせていますが……」
「ああ、その件で一つ気になったことが」
マティスは少し考えながら、口を挟んできた。俺と宰相が彼を見た。
「何だ?」
「まだ確実にそうだという証拠があるわけではないのです」
そう断りを入れてから、彼は続けた。
「一部の男爵家が代替わりしているようです」
全く関係ないような説明に、俺は首を傾げた。こういう周り持った言い方は何を言いたいのかよくわからない。説明を求めるように、視線で促す。
「2年ほど前からでしょうか。今まで領地経営を携わっていた人間ではない者がぽっとやってきて、色々な事情から爵位を得ている人物が数名います」
「不可能ではないのか?」
「普通ならば。今まで盛り立てていた一家全員が何かしらの理由で亡くなれば、遠縁の者が跡を継ぎます」
マティスが何を言いたいのか、理解できずに眉が寄る。宰相も何か考えているのか、黙り込んでいた。誰も答えないと分かると、マティスは続けた。
「では、その遠縁の者は本当に遠縁の者でしょうか?」
「は?」
「遠縁であるという証明は何でするのかということですよ」
通常ならば家系図を辿れば問題がない。この国では生まれ育った土地に根付いている者が多いから、誰もがどういう血筋であるかを知っている。マティスが問題にしているのはそこではなかった。土地に誰も残らないような血縁者の少ない場合だ。
その土地に残る血縁者が少ない場合は、過去を遡り探し出す。探し出すので断絶することはないが、突然連れてこられた人物が跡を継ぐことも出てくる。ある程度は国の方でも調べるが、本人かどうかなど過去の経歴と名前くらいしかわからないのだ。入れ替わっているかどうかなど、書類上確認は不可能だった。
それに男爵家などの下級貴族になってしまえば、国は事務的に処理をするだけだ。マティスもヴィリアズ侯爵を調べている過程でそのことに気が付いたくらいだ。もし調べようとしなければ、今でも気が付かずにいただろう。
「そうやって内部に入り込んでいるということか」
納得したのか宰相がため息をついた。俺は信じられなくて、ただただ呆然としていた。マティスの話を信じれば、襲撃以前から徐々に入り込み始めていたということになる。
「では、今、ヴィリアズ侯爵が城に入れている貴族たちは」
「エディーラ国の人間でしょうね。暗部だけではなかったはずです。処罰された王族に追従していた貴族たちもそれなりにいたと思います」
頭が痛くなってきた。この国は知らない間に虫に入り込まれていたらしい。
「……ヴィリアズ侯爵は何がしたいんだ」
「わかりかねます。ただ、この国で一番腐っているのはこの王都でしょうね」
マティスが肩を竦めた。
「どうにか……ならないだろうな」
「難しいと思いますよ。ヴィリアズ侯爵はやっていることはあれですが、やはり切れ者ですから。陛下が出し抜けるとは思えません」
もっともな言葉に、がっくりと肩を落とした。父はこのことに気が付いていたのだろうか。思い出したのはヴィリアズ侯爵と楽し気に話している姿だ。父の性格から、ヴィリアズ侯爵が手引きしていると思いながら、あのように接することなどできない。
「こうなってしまえば、仕方がありません。膿は王都に集めて、領地を持つ貴族たちは自分の領地を固めることに専念してもらいましょう」
「元々この国は複数の領主が集まってできた国ですからね。税率を今のまま据え置いておけば、心配しなくとも王都など切り捨てて生き残りますよ」
腐っていくのは王都だけだと言い切るマティスに俺は頷くことしかできなかった。
この最終地点はどこになるのだろうか。
不透明な未来に俺の命だけで何とかなるなら安いものだ、と漠然とした思いが胸を満たした。
まだフレデリック視点、続きます。どんどん話のボリュームが増えていく……。
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