愛妾 -フレデリック-
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クラリッサとの婚約が解消されて、代わりにやってきたのはアラーナ・スタンリー伯爵令嬢だった。アラーナは1歳年下で、夜会などで何度か挨拶を受けたことはある。これといった印象はなく、名前と顔ぐらいしか知らなかった。
「これからよろしくお願いします」
王位を慌ただしく継いでから、彼女は城へやってきた。
栗色の髪に緑の瞳。クラリッサのような華やかな雰囲気は持っていないが、それなりに美しい女性だ。
ただ、俺の心を惹きつけるものは何もない。
彼女が悪いわけではない。事情を彼女が知っていると思っていないが、ヴィリアズ侯爵の姪というだけで嫌悪感があった。意識しなければ、顔が歪んでしまいそうだ。
「あなたには私の婚約者になってもらいたい」
特に温度を感じさせない平坦な口調で告げた。婚約者と言われ、アラーナは戸惑いを見せた。
「伯父からは王妃に望まれていると伺っていたのですが」
「今の時点であなたをすぐに王妃に据えたら、クラリッサを押しのけた悪女、とあなたの評判に傷がつくことになる」
「ですが」
なかなか納得しないアラーナに初めて笑みを見せた。アラーナがその笑みに頬を染める。
「クラリッサが無事に結婚し、子ができるまで我慢をしてもらいたい」
クラリッサには婚約白紙を求めて、すでに了承してもらっていた。婚約白紙を話した時、クラリッサはヴィリアズ侯爵の思惑通りになるのを良しとしなかった。一緒に立ち向かうことを懇願された。今ならまだ未熟な王である俺の味方になる貴族は沢山いる。
だが、俺がダメだった。クラリッサまで亡くすなど耐えられない。
何度か話し合いを続けた。クラリッサは最後には諦めたのか、コンウェイ公爵であるジョナスのところに嫁ぐことを受け入れた。ヴィリアズ侯爵よりも身分の高い相手に選んだのは、彼女を殺させないためだ。彼女に子供ができれば、クラリッサは周囲から王妃にと求められないだろう。そうなれば、より一層安全が確保される。
「子ができるまで……長いですわ」
「クラリッサは幼い頃から王妃教育を受けている。それを押しのけるのだ。無理に王妃になったところで誰もあなたを認めないだろう」
王妃教育、と言われて彼女は黙り込んだ。伯爵令嬢でしかない彼女は一般的な令嬢がたしなんでいる程度の教育しか受けていない。王妃教育には、王家のしきたりや表に出ていない王族の歴史など様々なことが含まれていた。幼い頃から王族と変わらない教育を受けているクラリッサに対抗するほどの何かを彼女は持っていなかった。
「それとも、王妃教育が終わるまで婚約者候補としようか?」
婚約者候補と言われて、アラーナが息を飲んだ。婚約者候補はあくまで候補であり、他にも候補を立てることが可能だ。婚約者候補として手を上げるだろう令嬢を思い浮かべたのか、アラーナは唇を噛み締めた。
「わかりました」
思っていた通りの選択に、笑ってしまう。俺は意識して優しい笑みを浮かべて見せた。アラーナは頬を染め、うっとりとした視線を向けてきた。
気持ちが悪い。
なんて気持ちが悪いんだ。
******
どうしてこうなった。
長椅子に押し倒されて、ため息が出た。体に力が入らない。どうやら先ほどのお茶に何かが入っていたようだ。いつもはお茶を用意した後に壁際に控える侍女が部屋から下がった時に気が付けばよかった。
アラーナに城の部屋を与えてから半年。一週間に何度か婚約者との交流のために、アラーナに与えた部屋の一室で顔を合わせていた。そのため、出てきたお茶を疑うことなく飲んでしまったのだ。
言い訳のしようがない。あのお茶に入っていたのが毒でなかっただけマシだ。
国王に対して薬を盛る行為についてどう思っているのか。このまま処罰してもいい気がする。護衛達は扉の外にいるはずだから、声を上げればすぐにでも踏み込んでくるはずだ。
「陛下が悪いのです」
アラーナが俺の体に乗り上げ、うっとりと潤んだ瞳で俺を見下ろしていた。このまま首を絞められたら死ぬなと冷めた思いで彼女の顔を見ていた。
「早くわたしを王妃にしてくださらないから……」
「ここで人を呼べばお前は罪人になる」
じっとアラーナを見つめ続けた。彼女にはどこか危うい雰囲気がある。いつもは控えめで、こんなにも攻撃的な感情をぶつけてくることはしない。
「呼んでもよろしいですよ?」
自信満々に言われると、すでに捕まらないように策を練っているのだと分かる。俺は大きく息を吐いた。
「俺を殺したいのか?」
まさかアラーナに殺されるとは思っていなかったが、ヴィリアズ侯爵であっても同じだ。多少は混乱するかもしれないが、俺が殺されアラーナが罪人になればヴィリアズ侯爵の失脚も見えてくる。それはそれでいいかもしれない。最悪、ヴィリアズ侯爵家が潰せれば十分だ。
「いいえ」
アラーナの手が俺の胸に置かれた。ゆっくりとボタンが外される。その手が気持ちが悪くて、息を詰めた。彼女の手を振り払いたいのに、力が入らない。焦りが伝わったのか、彼女は楽しそうに笑みを浮かべた。
「よせ」
「陛下がわたしを嫌っているのはわかっています」
なんでもない天気の話をするように彼女は囁いた。俺は驚いて目を見開いた。心のうちの悪感情に気が付いているなど思っていなかったのだ。上手く隠しているつもりだった。
「……嫌っているわけではない」
「うふふ。そうしておきますわ。わたしもバカではないのです。陛下が伯父を……姪であるわたしを憎んでいることを知っています」
「アラーナ」
驚きすぎて、言葉が続かない。彼女はシャツを寛げ、俺の素肌に手を当てた。確かめるように何度も優しく悪戯をするように撫でる。その色をうかがわせる手の動きに落ち着かなくなる。
「それも当然だと思いますわ。前国王陛下がお亡くなりになった後の伯父の行動を見ればどんな子供でもわかります。それに伯父に反抗的だった貴族たちが皆不審死しているんですもの。疑うなという方がおかしいですわ」
「……」
言葉を返すことができなかった。彼女はどこまで気が付いているのか。何をしたいのだろうか。声を上げたところで、この状態を見た護衛達はきっとお楽しみだと勘違いするだろう。
「ねえ、陛下。わたしは陛下の寵愛が欲しい」
彼女は少しだけ自分の体を起こすと、するりと胸のドレスのリボンを解いた。大きく胸元が開き、下を向けばこぼれ落ちそうだ。どくどくと嫌な耳鳴りがする。ぞわりと鳥肌になる。
「……ここで関係を持つと、慣例に従って婚約者から愛妾になる」
「構いませんわ。どうせわたしを王妃になんて考えていないのでしょう?」
貴族たちがアラーナを王妃としての資質がないと囁き合っているのを知っているようだ。確かに彼女は勉強が苦手なようで、王族のしきたりは及第点であっても、歴史や語学といった教科はなかなか身についていなかった。
それをさも大変な欠点であるかのように陰で嗤っているのだ。最近では、クラリッサが戻ってこないことを確信した下級貴族の令嬢が俺の愛妾になりたいために侍女になることも多い。そのような侍女たちもアラーナを貶めることを常に口にしていた。
「でも、わたしにも矜持というものがあります。女として愛されないまま捨てられるよりは、愛妾として寵愛を得た方がましですわ」
俺は彼女を見くびっていたのかもしれない。何も知らない令嬢だと。だが、彼女は彼女なりに情報を集め、色々考えたのだろう。そして、罪に問われないぎりぎりの方法で挑んできた。彼女は自分が王妃にはなれないのだと気が付いているからこそ、踏み切ったのだ。
「それに子供さえできてしまえば、すぐにでも王妃になれますもの」
王妃になる未来を想像してなのか、恍惚とした笑みを見せる。俺は諦めたように体から力を抜いた。
動きにくい手を動かし、ゆっくりと彼女の頬に触れた。彼女がぴくりと体を揺らす。
「本当にいいんだな?」
確かめるように告げる。
少しは彼女の立場に同情する気持ちがあったのかもしれない。冷静に考えれば、彼女はヴィリアズ侯爵に利用されているだけだ。しかもヴィリアズ侯爵の姪であるという一点だけで俺は彼女を嫌っている。
今まで見ないようにしていたことを目の前に突きつけられて、冷静ではなかった。
本当ならここで護衛を呼ぶべきだろう。こんな中途半端な気持ちは後で問題を引き起こすかもしれない。だけど、従順で素直だった彼女の決断を押しのけることができなかった。
アラーナは返事を返す代わりに、唇を合わせてきた。
萎えそうになる気持ちを叱咤して、キスを返した。
フレデリック視点になってから、彼の持つ背景ばかりでなかなかイレアナを復活させられず……ややストレスです(>_<)
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