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虚無の記憶  作者: 妻子
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卵と僕


僕の鋭い目の先には卵がある。その卵の殻は、薄そうなのに表面は目の細かいヤスリのようにざらりとして無表情で、脆い命を守るための冷徹さを発している。


それにしても、異様なのだ。普段僕達が目にしている、冷蔵庫を開ければ大人しく陳列しているそれら食用の白い卵とは、これは違うのだ。中学二年の中でも大きい方の僕の両手に丁度収まるぐらい大きい上に、鉛のようにそれは重い。手が垂直に強い重力に引かれるような、しっかりした重さだ。

その卵には、たしかに何かが息づいているのだ。


僕の家には赤みの強い脚の長いちゃぶ台がある。今時大変珍しいが、僕は嫌いではない。しかし、独特の筋目と木の模様の上に浮かぶ見事な白い卵の光景はやはり異様だった。 さながら初めて毛糸玉を見た猫のように、その卵を見つめている僕自身も異様と言えば異様なのだが。

僕はその卵の果てのない白さに想像を映し出す。これをフライパンの上に割ったならどうだろう。それか鍋で茹でてみてはどうだろう。或いは、桃太郎やかぐや姫のお伽噺にあるように、中にはヒトが居るのかもしれない。だとしたら、僕はどうしたらいいのだろう。胸がキリキリと縛られる。

季節は夏だ。僕が住んでいるのは札幌だし、今は休日の午後1時特有の怠けた空気が流れているが、決して涼しい訳ではない。特に今日は34度まで気温は上がる。唇は幾ら潤しても乾くくせに汗だけはダラダラと流れ出す。一呼吸して、僕は行動に出てみることにした。

忙しく命の限り叫ぶ蝉の声を窓で塞ぎ、ドラム缶テレビとショボい扇風機の電源を切った。


コツン。


とりあえず、震える爪で殻をノックしてみた。目に見える変化は無いようだ。

柔い耳を不気味に冷えた殻に押しあて、目を閉じる。

…………スー…スー…スー…スー…

聞こえてきたのは正常で乱れひとつない無防備な寝息であった。

それは、間違いなくヒトのそれと同じものだった。驚くほど冷たい汗が頬を伝い、日焼けした首筋を伝い、よれた白いTシャツに染み込んでいった。 そのあと、僕は必死になって卵の中の誰かに暫くノックや声かけなどをしてみた。


……されど、中から出てくるのは中年の髭がだらしなく生えたオヤジかもしれないし、もしかしたら粘液にまみれたグロテスクな鳥の雛かもしれない。一抹の不安が電光のように頭を掠めた時、卵にヒビが入った。一斉に音を立てて至るところにヒビが入り、どこからともなく破片となった殻はちゃぶ台の波の模様の上に散っていった。少しとんがった頂上から丸い底面まで、全ての殻は粉々に散っていった。

そして白い殻に代わるように、ごく薄い橙色の半透明の膜がマトリョーシカのようにして現れた。その膜の中では、独り、全裸の少女が胎児のように身を丸めてこちらを見ていた。全長25cm程度の人形のような少女が。


異様である。僕は改めて胸の中で呟いた。


昔、僕は特殊な液体の入ったカプセルの中で太古の特殊能力を持った美女が延命させられているSF映画を見たことがある。クレオパトラとかマリー アントワネットとか、そういうメジャーな美女(とされている)をベースにしているものだ。

まるでその映画の主人公の少年になった気分だ。最も、その少年は両親が学者の金髪の10歳の少年だったし、僕はサラリーマンと看護師を両親とするどこにでもいる14歳だったが。

彼女の黒髪は絹糸のように橙色の水中にたゆたい、頭や両の肩や足の裏はピタリと膜にふれあっている。


未知への恐ろしさと不安に襲われながらも僕は彼女を色んな角度から見続ける。と言うよりは、目が離せなくなっていた。


完璧なカーブを描く高い鼻や何処までも黒い目、赤く染まった唇は太古の美女も顔負けだろう。身体つきや顔立ちを見るに17歳位だろうか。膝で辛うじて隠されている陰部や豊満で生々しい胸にドキリとする。 彼女は一体何なのだろう――――――?


宛度無い焦燥感が再び胸を襲い、僕は一度リビングから玄関へと出て、玄関のドアを開けた。蝉は果たして鳴いているだろうか、空気は熱さに揺らいでいるだろうか、前を通る子供は熱に目を細めているだろうか。

現実感と日常風景を僕は求めてドアを開けた。

途端に蝉の声が入り込み、熱苦しいそよ風が僅かに吹いた。子供は通らないが、間違いなく僕は、僕の知る場所に居るようだ。


彼女を僕はどうにかしなくてはいけない。なんとなくそんな使命感を感じ、僕は振り返ってリビングに戻ろうと決めた。


「……うわっ」

僕は今日一番の大声を上げた。振り返ると僕よりも少しだけ背の高くなった彼女が僕の後ろに浮かんでいた。天井から吊るされているようにふわふわと浮かんでいる。膜を裂いて出てきたようだ。柔らかな光の中で白い肌は輝き、体の輪郭は美しい曲線を描いている。


「オドロカナクテイイ」


彼女のその言葉の意味が驚かなくていいであると気付くのに少し時間がかかった。不思議な声だ。低いけれど、どこかこもった子供っぽい声だ。


「…き、きき、君は、何なの?」


完璧に造られたその人は、困ったように眉に皺を少し寄せて長い睫毛をパタパタさせた。本当に人みたいだ。


「…あの、ひとまず、リビングに戻りましょう。」


「リビング……?」


「あっちへ行こう。」

僕は廊下の向こう側の、ちゃぶ台のある質素なリビングを指差して足を踏み出した。とにかく座ってしまいたかった。こんな状況でも、成熟した彼女の体を前にして健全な少年である僕の腰は熱く疼きだしていた。


リビングに向かう時、彼女は体を床に平行に浮かせ、足を優雅に動かして空中を泳いでいった。驚きはするものの、彼女ならもう何でもアリなんじゃないかとさえ思えてきた。僕もこんな風に空中を泳いでみたいなぁなどと漠然と僕は考える。


「君はこの卵の中から出てきた。そしてその卵は、朝僕がリビングに降りてくると、ちゃぶ台の上に立っていた。」


僕は記憶を整理しながら落ち着いた声で話しかける。朝、今日は休日だからと僕は毎度の如く寝坊をした。タオルケットがくしゃくしゃになった布団を出て一階へ降りると、おそらく仕事へ出たであろう両親は既に居なかった。……何故だか、もう当分帰ってこないような気がしている。そして、その代わりのようにこれがあったのだ。 彼女は僕にならってちゃぶ台の前にぎこちなく正座している。


「何も覚えていないかい?」


僕は彼女の白く豊満な乳房に目をやるが、彼女は気にしていないようだ。


「私が知っているのは、」


彼女は目をぴったり閉じて、考える。


「あなたが何も知らないということぐらいよ。」


彼女ははっきりとした声でそういい、澄んだ目を僕に向けて僕の目に写るもの全てを見渡すように微笑んだ。


続く

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