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楽しむのが正解

作者: 篠崎春菜

 体育の授業は苦手だった。

 何で授業で走らなければならないのかよくわからなかったし、ボールは投げても蹴っても思う所には飛んでいかなかった。チームメイトはいい奴ばかりで「ドンマイドンマイ」と笑い飛ばしてくれるけど、俺はそれでも憂鬱で。頭は普通なのに運動は得意じゃないって……と湧き上がってくるため息はどうすることもできないままに口から出て行った。


「どうしたん」

「!」


 横から声がかかった。元々のイメージと少々違った関西弁を話す彼はこの間きた転校生だ。煩いタイプではないが自然と周りに人が寄ってくるタイプの性格をしていると俺は思っている。教室の中、休み時間は寝ているかボーっとしているか音楽を聴いているかの俺とは関わりがなく、俺は話しかけられたことがひたすら意外だった。


「別に」

「ふーん」


 マイペースに着替えだした和泉を見習い俺も着替え始める。体操服を被り視界が遮られたときに、彼の声がした。


「深川、走んの速いやんか」


 「今日は陸上やろ」と落ち着いたそれに言われ、怒られたような気になる。

 何勝手に諦めてんだよ、と言われたような気がした。


 陸上が得意なのは中学でやっていたからだ。部活に入っていたころはもっと速かった。やめたのは高校に入って伸び悩み、そこから抜けられなかった時期に運悪く足を怪我したからだ。怪我は治って走れるようにはなったけれど、一度諦めてしまったものは戻ってこなかった。それ以来、中途半端に記憶に触れる体育の授業は本当に嫌いで。


 授業に出るたび先生の視線が刺さる。

 何度か言われた「陸上に戻らないのか?」という言葉は俺を苛立たせる以外の機能はしない。


「いちについて、よーい」


 バッと下げられた赤い旗。スタートブロックを不機嫌さに任せ思いっきり蹴る。走り出して横に人がいないことに違和感があるのが大会の名残だと気づいたときほどむなしかったことはない。走り抜け、白線を踏むとタイムが告げられた。ほとんど反射的にそれを覚え、レーンを外れる。


「うわーやっぱ深川はえー」

「遅かったら大会なんかいけないだろ」


 体操服の裾で汗を拭く。長距離よりはましだが、苛立ったまま思いっきり走ればほどほどに汗をかくわけで。はーっと深呼吸をして息を整えた。


(……何やってんだ、俺)


 周りを見てみると、記録を取る流れで「どうだった?」「お前は?」の会話が発生していた。そこに入りたいと思えないのは、俺が今のタイムで速いと言われることを物寂しくおもうからだろう。そういうのは仕方がないと思いながらも、なんとなく納得できなくて。


「深川」

「和泉」

「記録、書くやろ?」


 そういえば和泉は体育委員だったか。記録ボードを持ってきて俺に差し出す彼からお礼を言って受け取ると、サッと書いて差し出した。「見てもええ?」。そう律儀に聞いてくるものだから少し呆気にとられたが、「いいけど」と一言返す。和泉は無表情のままボードを見て視線を滑らせ俺の名前のところまで持っていくと確認し終わったらしく視線はずれた。


「やっぱ、速いやん」


 ほら、やっぱり言われた。俺の記録を見た奴は大体同じ反応をする。ただ、なんとなく、周りと和泉の雰囲気が違うから、言われないかもしれないと、少し期待しただけ。俺は「まあ……」と気のない返事をした。それを聞いて彼は何かに気づいたのか、視線だけを動かして俺を見る。


「速いねんで。皆に比べたらな」

「……え?」

「タイム見たらそんなんわかるやろ。数字は誤魔化されへんよ」


 「深川、アホなん?」。オブラートの欠片もないような言い方に一瞬呆け、おい、と文句を言おうとした。そのとき見えた和泉の顔は若干笑っているように見えて、俺は文句を言う前に口を閉ざしてしまう。


「昔の、ちゃんとやってたときと比べれば駄目やと思うのは仕方ない。でもそれを皆にわかってもらうのは無理や。速いもんは速いんやし」


 パッと思っていたことを言い当てられてドキリとする。和泉はいつも落ち着いていて、あまり変わらない表情をニヤリと歪めニヒルに笑ってみせた。「当たり?」。そう、わかっているくせに聞いてくるのが憎たらしい。


「まずは楽しまなあかん」

「……お前に言われたくない」

「俺は楽しんでるわ。これでも」


 「見えない」という俺の主張に「心の目で見ろ」と無茶を言う。こいつでも冗談を言うものなのかと少し驚いて、俺は横目に和泉を見た。

 考えたことを簡単に言い当てられた。会話すらほとんどしたことないのに。そう考えたとき、かすかな違和感を感じる。そして、違和感を感じたならその理由にはすぐに気づく。

 俺は、陸上をやっていたことなんて教えていない。


「なあ和泉」

「なんや」

「何で俺が陸上やってたこと知ってんの」


 それを聞いた瞬間、彼は驚いた顔をしたがすぐに呆れたような表情になった。なんだよその馬鹿を見るみたいな表情は。そう思ってムッとしたが和泉に気にするような様子はない。


「君、大会上位常連組やったやんか」

「……まあ?」

「否定せんののがうざいわー」

「おい」

「聞き流せやめんどくさいな。……俺んとこ、兄貴が陸上やってて何回か大会連れていかれたことあんねん」


 そういえば一つ上の学年に和泉という苗字の選手は一人いた。フォームが教科書みたいに綺麗で、種目は二百メートル。中学二年の夏の大会でコンマ二秒の差まで俺を追い詰めた、関西弁に明るい笑顔で、眉だけを少し下げて悔しがっていた、そんな人。


「……そういえばいたな」

「なんや、覚えとったんか。まあ、その兄貴が散々言うねん。『深川っつー一つ下の奴が凄いねん! お前今度の大会で見ててみ!!』とかって。ほんま鬱陶しかったわ。お前どうしてくれんねん」

「いや、別に俺のせいじゃないし」

「走ってるときはかっこよかったのにこんなヘタレとか。兄貴に言ったら喜ぶわ」


 ヘタレって! 散々な中身ばかりを晒してしまっている俺としては、反論したくてもできなかった。眉根を寄せて和泉を睨むと、「残念ながら事実やわ」と悪びれずに言う。校則が緩いとはいえ真っ茶っ茶な少し長めの髪だとか、ニヒルな笑みが似合いすぎる十人並みを少し抜けたくらいの美形だとか、そういうのを見ていたら俺の方が男らしい外見をしていると思うのに、性格に関しては多分、おそらく、和泉の方が何倍も男らしいだろう。否定できず視線を逸らすと横で声を出して笑っているのが聞こえて内心でこのやろう、と思う。


「兄貴もこの学校きてんねん」

「……そうなのか」

「せやのに陸上の顧問に聞いたら深川やめた言うやんか」


 「結構落ち込んでたで。ほんまうざかったわ」。和泉は今まで聞いたことがないくらい饒舌に話しながら笑う。うざい、という表情なのかそれは。俺には面白がっているように見えて仕方が無かった。いいとは言えない彼の目つきは少々鋭く、猫のように見える。何でもかんでもを見透かされそうな気分になる。


「……和泉兄は今も陸上やってんの?」

「バリッバリやで」


 放課後遅くに帰ってきたら飯を食って風呂に入って爆睡なのだという。うちの高校の陸上部は妙に力の入った練習が名物だ。それは野球部よりもサッカー部よりも熱が入っていて、実際結果も残している。俺も初めはそれが目当てで入ってきたわけだが、今はそれからも離れてしまって。


「……和泉の兄貴、はちょっと気になる」

「お、ほんま?」

「和泉の弱味とか知ってそうで」

「なんやそれ!」

「うん、でも、ちょっと」


 「ちょっと、なんや?」。今度は茶化すふうではなく、だが笑って。


「ちょっと、陸上やりたくなった」


 中学では学校内じゃ負け知らずだった。他のどの部員よりも、どの先輩よりも速かった。長距離も短距離も両方出来て、お前サイボーグか! なんて茶化すように言われるのだって、彼等が褒めてくれているとわかっていたからそれはそれで気持ちよくて。

 だから、中二でコンマ二秒なんて距離にまで詰められたとき、心臓はドクドク鳴って苦しくて、いつもよりずっと焦っていた。抜かれてたまるか! そんな闘争心が沸いた。部活の中だけにいれば味わうことのなかった、陸上競技の、多分本当の楽しさ。自分の記録が伸びていくのは勿論嬉しい。だけど競う相手がいないのは味気ない。部活は楽しかったけど、俺にとってそれは馴れ合いの場のようになっていたのかもしれなかった。


「コンマ二秒とか、初めてだったんだよ」

「今やったら兄貴の方が速いで」

「いいよ、また抜くから」


 「なんや、深川も楽しめるやんか」。面白そうに笑った和泉にチョップして、「ありがとうな」と笑うと、アイツは「はあ? 何もしてへんわ」とそっぽを向いた。案外天邪鬼。思ったより子供っぽい。誰だよこいつのこと落ち着いてるとか言ったの。真に受けたじゃねーか。


「お前、無愛想だけどいい奴だな」

「深川イケメンやのに超ヘタレやん。イメージ崩れたわ」


 憎まれ口を叩きあって、俺達はハハッと軽く笑う。拳と拳を合わせるなん、安っぽい青春ドラマみたいだと和泉がまた笑った。

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