最終話
クタラの生活にも慣れ、帰還令が出る頃かと思っていた矢先だった。姿を消した聖騎士団と入れ替わるように、帝国の最終防衛ライン――超務庁長官ア・チョウが「休暇」の名目で突如として赴いてきた。
帝国最強と謳われるマッチョは、到着しなに、街の人に言付けてパレオをある場所へと呼び出した。着いたのなら街で顔ぐらい出せばいいものを、何を考えているのか見当がつかない。
それはないだろうが、怒られた時の保険に一つ二つ逃げ口上を浮かべながら、パレオはその地へ向かった。
キャリヴが恋人との再会を約束し、永年を経てアーサー王と邂逅した、あのアンドラ湖のほとりへと。
聖地に連なる山々はどこまでも大きく、広々とした湖面にまた、それが大きく映り込んでいる。
行ってみると相も変わらない。
森を抜けて広がる大自然の景色の中に、ムキムキな体躯を覆うマントが、大きくなびいていた。
広いおでこに×(ばってん)を刻む二束のちょび毛が、今日は湖にそよぐ風に踊っている。ただ居るそれだけで、この男のオーラはビシバシと伝わってくる。
ア・チョウは湖の向こうを、どこともなしに見つめていた。
「――まっすぐあるか、青年よ」
と、これもいつも通りの挨拶だ。
「よく歪むけどな、そのたびに正そうと努力してるよ」
「いい心がけだ。ずいぶんとまた大きくなったじゃないか」
「成長期ならとっくに過ぎたって」
「ははは、そうだったか。いつまでも子ども扱いでは、その剣も居心地が悪いな。それにしても、ここは素晴らしい景観だ。さっきから体が疼いて仕方なくてな」
森から爽やかな自然の香りが吹いたかと思うと、直後、ア・チョウは衣服を脱ぎ始めた。
巨躯に見合った、面積のだだっ広い布地が、ばさりと宙へひるがえる。
「剣に、ふさわしい存在だったのだ」
「……は?」
すっ裸になって、盛大にモザイクのかかる筋骨隆々の肉体が、突如として湖にぶっ飛び込んだ。ざぶーん! と、人間が落ちたとは思えない水量が頭上に跳ねあがり、
「って、なにやってんだいきなり!」
降りかかった大波にパレオは一息にびしょ濡れた。
まるで大型哺乳類が水面に勢いよく出てきたかのごとく、空へ上がるア・チョウは盛大に笑った。
「久しぶりの遠出だ! 泳がなければ損だと思ってついな! すまなかった!」
ふははは! と、図太い笑いが山々に轟く。
ともすれば怒られるやもと危惧していたパレオは、一息に気が抜けてしまって、自由気ままに泳ぎ始めたア・チョウを呆然として眺めた。皇帝の座へ通ずる唯一の空間「白平原」の守護者として常に気を緩めない頑なな男が、今日はまるで無防備なのを、改めて「人間」だったのかと感慨深く思う。
やがて満足し、まるでなんとはなし地に上がってきたア・チョウはぽつりと云った。
「ルスタ・ネンレールの血は、今もこの地に根付いている」
「――――!」
突拍子もないア・チョウの発言に、思考がはじける。
マーリンの見せた夢の中で、パレオはエクス・カリバーの生まれた経緯を知った。だからこそルスタ・ネンレールという人物のこともわかる。ウンディーネのキャリヴが待ち望み、ついぞ会うことの叶わなかった人間、当の本人だ。
夢の委細は報告済みだが、着いたばかりのア・チョウの口から、なぜその名が出る。
「いや、ルスタはだって」
「マーリン殿も知っていて〝あえて話さなかった〟のだろう。ルスタがその後にどうなったのか、子孫は誰で、アーサーの系譜がどういうものであったのかを。なに、どうせ要らぬことだ。知っても知らずとも関係ないなら、要らぬ余念になるだろうからな。どうであれ、お前はお前自身の力で、その剣を手にしたのだ」
「子孫……?」
そよぐ風がア・チョウのちょび毛に変化をもたらして、しばらく乱れた。やがて濡れっ気が乾いて定位置に戻り×印を再び刻むと、ア・チョウは衣類をゆっくり着始めた。
「もとより、帝国はこの地に根付くルスタの血が剣を抜くロジックだとみていた。エクス・カリバーの管轄を帝国に移管したのも、それが最大理由。クリオラのウンディーネだったカリバーが、ルスタ・ネンレールという人間と深い関係にあったのは、発見されたルスタ本人の手記によって知れていたからな。だからこそ、剣のみならず街そのものに介入を強めた。だが結局は、ルスタの系統に魔法的な意味はなく、ただ去りし歴史にすぎなかった。現に十年前、お前は剣にばっちり焼かれてしまっているだろう」
「……いや、まさかそれって、俺を育てたのは」
ははは! と、なぜか笑われる。
「誓って答えるが違うぞ。確かに、エクス・カリバーが街の少年を罰したと耳にしたとき、私は妙な噂が立つまえにお前を保護しようとは考えていた。が、それより先にだ。当人は街を出てすでに消息を絶っていた。帝都の路地裏で死にかけのお前を見つけたのは偶然だ。それがネンレールの末裔だとは微塵も思っていなかったさ。あの時、腕を隠そうとするおまえに妙を思ったのは事実だが、てっきりクタラの街にいるものと思い込んでいたからな。わかったのは、飯をたらふく食べ終わって、ようのやっと、名を明かしてくれた時だ。私がお前を鍛え育てたのは、飯を前にしてギラギラ光る眼の、生きようとする力に惹かれたからだ。血や出自なぞ、そんな矮小な理由は断じてない」
がははは、と笑いながら「少しでも卑屈だったならクタラに叩き返してやったが」と加えるア・チョウに、聞けてほっとするべきか、ぞっとするべきか、引き気味に苦笑した。
今度はふいに、ルスタという男への、やるせなさが湧いてきた。
「……キャリヴは、裏切られていたのか」
子孫がいたということはつまり、そういうことではないのか。
なにせ帰ると約束したキャリヴとではなく、ほかの誰かと一緒にいたということなのだから。
定かではないが、と始めてア・チョウは答えた。
「彼の手記には、キャリヴのもとへ帰ったとある。会えなかった、ともな。丁度このあたりのことだろう。約束の場所へ戻った時には、すでにカリバーは自身の魔力に侵されていた。あまりに濃い魔源が、周囲環境を変え、生茂る大自然の中に埋没させたのだ。ともに過ごした優しい場所は、跡形もなくなっていた。幾年か後にルスタは、国のために王妃をもらっている。子供も授かった。それでも、如何なる心境にあったのか、彼女を探し続けた。晩年は『いつか自分の子が彼女を探し見つけてくれるだろう』とも遺している。家訓にでもしたつもりなのだろうが、さすがに人間が精霊族を探す意味など後世には解らないからな。いつしか途絶えたのだろう。だが時は移ろい、運命か偶然か、アーサーに次いでお前がエクス・カリバーを手にしたのだ。『剣にふさわしい存在だった』と言ったのは、その感想だ」
「…………」
口がぱっくり開いたまま、言葉が出ない。
今更、自分の背景になど動揺はしない。
けれど、クタラの地に根付くルスタやアーサーの想いは絶えさせてはいけない。その繋ぎ目としての責任を、重みを、改めて感知したのだ。自分はどう振る舞い、生きていくべきなのか――。
気持ちに整理がつかないまま、パレオはエクス・カリバーに目を移した。
引き抜く直前、あの精神世界の中でキャリヴは言っていた。
――ルスタは帰って来てくれた、と。
彼女は幸せそうに笑ってくれた。
その笑顔はけれど、パレオの胸を余計に苦しくさせる。
自分の手のひらを見つめて、次いでエクス・カリバーの柄にそっと触れる。
もしまだ言葉が届くなら、聞きたい。
「……こんな形で、本当に良かったのか?」
問いかけには一切反応しない剣に代わって、ア・チョウが盛大に笑った。
「まさか、もう振り返ろうとしているのか? 未来は、前方広大な向こう側でお前を待っているのだ。それは長い道のりになるだろう。顔をあげて行ってこい。まっすぐお前らしく、堂々と」
逡巡するパレオに、エクス・カリバーは温かい光を帯びた。
あふれる輝きの中で、促されるように頷いた。
もう待ちきれないとばかりに、鞘がかしゃっと揺れた。
「抜かなきゃ絵になりませんよ」
などと言う。
苦笑して、剣の擦過音を、盛大に鳴りひびかせた。
世界を美しく照らす、刀身のひかりを、空に向かって高々と掲げた。
――そうだな。
「次はもっと、明るい未来を」
ずばっと斬り拓くために。
END




