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選王の剣  作者: 立花豊実
第九章 ~神と王と人間と~
68/71

68話

 

 崩壊した肉体から、精神はすでに途切れていた。

 昇るでも落ちるでもなく、自分という存在がこの世界から霞んでいく。あの世への道に、まるで彷徨っているような感覚だった。

 やるべきことはやった。すべては終了した。

 もう退場してもいいはずなのに、しかし、パレオは未だ虚空に浮かぶ剣を前にしていた。

 放たれる何某の圧力は、大陸を裂いて貫くも、それはうなずけるほどの存在感だった。

 刀身は光を宿して告げた。

「我こそは、王を待ちわび幾星霜の刃なり」と。

 十年前のあの時から、なんら変わらぬ物言いの剣に、パレオは思わず笑ってしまった。

『知ってる。お前はエクス・カリバーだろう。アーサー王の、伝説の剣だ』

 パレオが握手を求めて伸ばした指先を、剣は、自らの主でないことを知ってすぐに拒否した。

「王でなくば用はない」と。

 当然の回答に、退くどころか、パレオは増して押し付ける様にその手を伸ばした。

『ああ、俺はアーサー王じゃないさ。でもどうか、その眼を開いてくれないかカリバー。一度でいい、お前とちゃんと向き合ってみたいんだ』

 パレオの残留する想いが取り巻こうとするのを、剣は煙たがって払った。

「我が力の所有の者は人間王だ。他の者に用などない」

 かたくなに拒むエクス・カリバーの意を、パレオは『わかってる』と同調しながら『だけど、』と続けた。

『アーサーは死んだんだ。とっくの昔に、その時代は終わったんだよ。残念だけど、お前の主は二度と帰って来やしないさ』

 それはさぞ受け入れ難かろうことを、とかくド・ストレートに突きつけるパレオに剣は絶して拒んだ。

「王は我に帰ると約束した。人間の王は、偽ることを知らぬ真実の者。なればここに、必ず帰ってくる。お前は偽りの者だ」

 剣が放つ威圧は凄まじくとも、今さら恐れるものもなかった。

 まっすぐに見つめて、パレオは首をよこに振って言った。

『共に、数々を戦った。幾多の困難を乗り越えてきた。凛々しく立派な人間王の傍らに、お前はいつも居たんだ。だからこそ願ったんだろう、もう一度王と一緒に戦いたい、と。信頼の厚さが、その結果お前を呪縛し続けたんだ。最愛の戦友だったアーサーのことを、本当は分かっていても、待ち続けた。お前を生んだキャリヴ同様、大好きな人を延々とだ。叶わない夢を永らく見ていたんだよ。わかるさ、俺も一緒だ』

 それでも剣は、かつての所有者が戻りくることを曲げようとはしなかった。

「偽り者が何を言う、王はしかと約束した。黄泉からも帰ると、必ずここへだ」

 荒れ狂う伝説の刃の光が、パレオの残留思念を跳ね除けようとする。だが、パレオの思念は形となって、白き台座にその両足をしかと踏みしめた。

『だからこそ、代わりを告げる時がきたんだ。王が何を想い、どんな気持ちでお前をこの世に残したかは解らない。だけどきっと、アーサーは災厄が訪れるのを予期していたんじゃないか。そうであるからこそ、お前に〝必ず帰る〟と約束したんだ。いくら拒んでも時代は移っていく。次へ、また次へ、そのまた次へと。人は変わることを望みながら道を歩み、時にはその足を大きく踏み外してしまう。そんな時にこそ、きっと剣は、活躍の舞台に帰るんだ。アーサーの〝約束〟は、ちゃんと帰ってきたんだよ。そのために俺は、ここへ来た。眼を開けてくれないかカリバー。今、剣は必要とされているんだ』

 しばらくの沈黙を破って、それでも剣はアーサーを待っていた。

「永遠をともに戦うと誓った。たとえ死すとしてもそれは、共にあるものと。王の死は我が死と同義だ。我が運命は常に王と共にあるのだ」

 パレオの想いはいつしか剣を取り巻いて、柄をつかんでいた。力ではなく、ただ心を込めた。

『ひとりの人間に永遠なんてものはないよ。人はいつか必ず死ぬ。王だろうとそれは変わらないさ。故にアーサーは、次代を見つめていた。自分の亡き後も、遠く彼方の子供たちのことを見ていた。そのためには己の人生すらも投げ打つ覚悟で、すべての戦いを全うしたんだ。カリバー、眼を開けて見てくれないか。世界は変わったよ。お前とともに伝説を遺した王は去ったが、その恩恵を受けて世界は、こんなにも大きく花開いたんだ。平穏を望む者たちの手が、ここまで大切に紡いできたんだよ。広くたくさん、数多くの愛や希望が謳われてきたんだ』

 聖地ダラウ・メリエを漂う濃厚な魔源を介して、柄を握る残留思念の手にさまざまな想いが集っていく。愛や希望、慈悲、勇気の光、恨みや辛み、嫉妬、臆病の影。正も負もなく人間が有する心の形すべてがパレオと同心となって、剣を台座から引きはじめた。

 ぴしり、と一つ、二つと、白き台座に亀裂が走ってゆく。

 大地にすら衝撃がわたり、空にさえ黄金の筋をたなびかせながら、パレオは剣をにぎりしめ続けた。

『聞いてくれ。今、世界は脅かされている。担い手だったアーサーは、もういない。だが時代は新しい息吹にあふれているんだ。理不尽に泣かされていた子供たちのない、笑う時代を。アーサーが心から希求していた世界を。実りある後世を、懸命に生きようとしている人たちが大勢いるんだ。こんなところで、王やたくさんの人たちが切り開いてきた未来を、途絶えさせるわけにいかないんだよ。お前の役目は終わってなんかない。遠く彼方の人々をも想って誰かが、アーサーの意志を継ぐ時なんだ。誰かが声をあげて護るんだ。お願いだカリバー、どうかその眼を――、』


 

 開けてくれ。



 踏みしめる両足が、ばきばき台座を砕きながら、深くまでめり込んだ。

 その圧がやがて台座の一辺を崩した。

 破砕によって転げ落ちた一欠片の、からんころんとした小さな音が水中にとけ込む。

 それが、深層で眠る彼女の瞳を、うっすらと開かせた。

 自分にかけられる声に、キャリヴは少しずつ目を覚ました。

 見上げる彼女と、パレオは目が合った。

 遠い約束を待ち望む瞳に、一体、自分がどのように映るだろうか。

 色々と考えた末に、パレオは「ごめん」と謝っていた。

 キャリヴは嬉しそうに笑った。

「約束、守ってくれたのね」

 深い水の底から、ぶくぶくと泡が昇った。

 水の精霊は、楽しそうに虚空を泳ぎながら、パレオの元へ寄ってきた。

 目の前までくると、パレオの周囲をぐるぐる泳ぎながら、やがて目の前に来て優しく微笑んでくれた。差し出された柔らかい手が、パレオの頬にそっと触れる。かつてクリオラの精霊が遭った悲劇は、彼女の元へ愛しきルスタを返してはくれなかった。はるか未来に生まれたパレオに、今さら彼らにどうすることもしてあげられない。ただパレオにできるのは、まっすぐ前を見つめることだけだった。

 パレオは、キャリヴと純真に向き合った。

『ごめん。俺はルスタじゃないんだ。それに、アーサーでもない。過去、君たちに会ってきたどんな人間でもないんだ。ただ想う、未来を見てみたいって。ルスタやアーサーが、求めていた世界を。君たちが、本当は一番欲しかったものを、その続きの物語を。ここからもう一度、前へ進ませてもらえないか』


 それ以上言葉は必要としなかった。

 伸ばされた手は、パレオの頬をつたう涙をぬぐってくれた。

「ルスタは帰ってきてくれたわ。とっても立派になって、わたしのもとにちゃんと。素敵な贈り物を、本当にありがとう。こんな気持ちは久しぶり、うれしいわ。大丈夫、意志はきっと繋がる。求めて手を伸ばし、歩もうとするあなたがいるなら、きっと。どうか聞かせて、」

 キャリヴが口づけするのを、パレオは拒まなかった。
































 ――あなたの願いは?





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