63話
「死ぬうううう!」
動かない体の代わりに声で必死に抵抗するパレオの背中へ、老人は容赦なく魔法陣を刻みつづけた。
「尚早なことを、認めるわけがないだろう。果たさねばならぬ使命が、お前さんにはまだ残っているのだから」
最後に一際強く、ぐっと押し刻んでから、マーリンは満足げに感嘆した。
「…………仕上がったぞ」
「ぐっへえ!」
立てずその場にゼェゼェへたれこむ。汗びっしょりの額からぽたぽたと滴が落ちた。
際して、背中をつたって落ちた自分の『肉片』に、ぎょっとした。
エレニクスは何もせず眺めていたが、やがて問うた。
「古き過去から取り残されてやってきた老人が現世で何をしようというのだ」
「貴様の歪んだ野望を、亡き王に代わり打ち砕いてくれる」
マーリンは向きなおり、杖を掲げた。
ふんわり、まるで歌のように紡がれた呪文の一口目が空へ舞うのと同時に、魔法陣の刻まれた背の痛みが、別種の違和に変化していくのがわかった。
みれば自分の身が淡い緑色の光に包まれていく。
マーリンへの承服を拒むように、エレニクスは全身にギラギラと対抗せんとする魔力をみなぎらせて笑った。
「終わりを告げれば次から次へと、よくもまあ妙なものをみせてくれる。つくづくしぶとい。人間しかしそれも、おもしろいだろう。どうにだってしてみせろ。この神を、とどめて置けるというのであれば」
容赦などなかった。みたび、指先を光らせたエレニクスはそれを盛大に撃ち放った。
まっすぐパレオへと向け発射された破壊の光は、しかし直撃のわずか数センチ手前まできて、当たることはなかった。
エレニクスの破壊魔力を凌ぐ別種のオーラが、パレオの全身を取り巻いたからだ。
伝説の剣を由来とする莫大なエネルギーすらはねのけて、大地一辺を諸共に瓦解させる壮絶な魔力が、パレオの体から湧現した。
地から足が離れ、浮く身に宿る光が増していく――。
「うおおおおおぉぉぉ――――――!」
皮膚表面に内臓器官、そしてその他もろもろの細胞一つ一つが、自分から剥がされていく。
全身へ、澄み切った清流が渡った。自分でない新しい存在が流入してくるかのようだった。空をも泳げそうな軽快感が体を満たして、パレオは自分が、別の者へと変わっていくのだと理解した。
魔法の中に身体が溶けて、光が一帯を埋め尽くした。
ズバーン!
ひと時を開口した爆光に呑まれて、視界を緑色の魔法が染めた。
魔法は、その効果を発揮しながら光度を落ち着かせていく。
やがて収まったところで、パレオは目を開いた。
こちらを見つめるトランプスは唖然と口を空けていた。
「…………あなたは、」
目を見張る表情の理由は、今さら隣に立っている魔法使いではないだろう。マーリンは、確かに驚愕に足る伝説の存在だが、おそらくその目に映る存在はまた別のものだ。
自分の姿がどうなったのか。
変身の魔法が成功したかどうか。
知りたくてパレオは問うた。
「俺は、」
――アーサーになれたのか? と。
すかさずマーリンは答えた。
「そのとおり機は整ったのだ。他のことなど考える必要もない……剣だけをみろ。ここまでくればあとは為すがのみ。しかと剣を、エクス・カリバーを、引き抜――、」
声はそこで途切れてしまった。自分の胸を押さえ、苦しそうにマーリンが屈みこむ。からんと杖を落とし、その場に倒れるのをパレオはすぐさま手を伸ばして支えた。
「マーリン!」
腕の中で肉体が透けていく。
まるで、存在が消えようとしている。
「そんな、まさか。なんでだよ!?」
老人は落ち着きはらって笑みを返した。
「……ここまでよく生きたのだ。案ずることなどない。わたしのことよりおまえさんは、剣だけをみろ。決して怯むな。その身姿は、護るときはいつも敢然とあった。かつてアーサーが数々そうしたように、勇敢にいくのだ」
己の身体から離れ、天へと昇っていく生命の粒子を、マーリンは自ら伸ばした手でつかんだ。自分の消滅することへの、それが否定の決意だった。なおも使命を果たさんと、マーリンはパレオの手を離れて立ち上がった。
再度、拾いあげた杖を、いまだ生きているうちは二度と離すまいと固く握りしめる。
「――準備はよいな。ここが終局の舞台だ。ド派手にかまそうじゃないか」
「ぐううう!」
マーリンに応えるように、真っ先にゼリドが前へ出た。
もろ手に、燦々とひかる焔を生み出だす。
先の戦闘で疲れ切っているはずだろうに、マーリン同様に覚悟を決めてか勇ましく立っている。その横に、トランプスが続いた。
こちらも怪我で立てないはずなのに、数枚のトランプカードを携え、前を見据えた。
「遅ればせながらパレオ氏……いいや、アーサー王よ。いま得心しましたよ。これが剣奪還の、作戦なのでしょう。ならば私が退くわけにいきません。なんせ今日は、幸運度でいえば間違いなく、最も優れていると断言できますからね。絶好調なんですよ」
声は細く、言っているそばから今にも倒れそうだというのに、眼差しには深い覚悟が込められていた。
勇敢な三人のつくる陣列に、パレオは加わった。
あこがれた伝説の剣を、今一度見つめる。
なりたいと描いた理想の果てだ。
すべてをかけて臨んだ夢だった。
手を伸ばしても決して手に入らなかった光宿す刀身は、栄光のシンボル。
挫かれて背負った過去の咎でもある。
なんども泣いた。
パレオの歩んできた道程、まさしく人生そのもの。
今は変身したアーサー王の白い手を、そっとエクス・カリバーへ伸ばした。
「ここに帰ってきた。もう二度と目を背けたりしない。剣はかならず取り戻す。悪いけどみんな、もう少しだけ手伝ってくれないか」
「「「そのつもりだ!!」」」




