62話
まるで首から下を真新しい身体に取り替えているかのようだ。神と豪語するだけあって、ゼリドとの超絶攻防戦を繰り広げておきながら人らしい疲労や煩悩を微塵も感じさせない。これ以上ゼリドが戦えないことを悟った神は、宙を徒歩しつつのたまった。
「神の業は世に創生と破壊をもたらす。双方を司ってすなわち神たりうるのだ。見通しのきく世界を今は一度、望んでみたいとは思わないか」
とつん、とつん、とゼリドに近づきながら、エレニクスは再び指を光らせた。
「とかく猥雑な人間よ潔く我が福音を受けるがいい」
狙いを定めてくる強敵に、疲れもピークに至ったかゼリドは動けなかった。あれほどの善戦がむなしく、息ひとつ乱さない神が迫っていく。
さすがに窮地に追い込まれて、パレオは覚悟を決めた。
エレニクスの前へ出て、その進路を立ちふさいだ。拳を突きつけて、疲弊しきった少女に代わり戦意をみせつける。
「どうせなら壊す前に何かしら創ってほしいもんだな、カミサマ」
皮肉のひとつに、エレニクスの顔はぴくりとも変わらなかった。
「創ろう。お前たちを壊したのちに、ユートピアをな」
「そりゃいい。一人で南国のハンモックに揺られるカミサマの構図は、絵画にでもすれば後々展示の目玉になるぞ」
「人間は滅ぼすといったはずだ」
「やってみろよ」
にらみつけて言い放ってやると、完全体に近づくにつれて高度な人間の思考に近づいてきたのか、エレニクスはわずかにも声質に『怒』を含んだ。
「いいだろう。望むなら、そのとおりにしてやる」
指先を中心に、魔力の渦が轟々とたぎってゆく。
エレニクスの放つ超大魔力に対して、パレオが取れる戦術は一つしかない。
かつてエクス・カリバーに焼かれて付随した黒腕のバリアだ。ただし自慢の特別スキルは、ざんねんながら一度破られてしまっている。土台エクス・カリバーを拠り所とする腕の力は、同じくエクス・カリバーの甚深たるパワーを色濃くもって生まれたエレニクスには通用しない。剣の魔力を多く抽出した今の神に、バリアの効果はほとんど期待できないのだ。
それでも無いよりはマシだろうと、パレオは全身に力を込め両腕をぐっとクロスさせた。
「きっと、アーサー王なら退かない」
ゼリドのぜえぜえ疲れ果てた息を背後に聞きながら、パレオはエレニクスをにらんだ。
「無駄だ。お前たちは死ぬ。これは神の裁きなのだ。人間が憎しみ合った結果が我が力だ。滅ぼされるくらいならば、滅ぼしてやりたいと、醜く欲した生命の性ゆえに陥る絶望――それが我だ。自業自得の行く末にお前たちの万死がある。甘んじて滅びるのだな」
「人間が死ぬべきかどうかなんて、偽りの神にだけは判断されたくないな」
皮肉ってやると直後、返事の代わりにぶっ放された。
全身を叩きつける超大魔力の塊が、轟々と世界を焼き付けていく。あの大空を無尽蔵に破壊せしめる魔法にパレオの周囲世界は瞬く間に白尽くした。魔力に抗う黒腕のバリアが、かろうじて猛威を避けてくれるが、しかしやがて莫大なる光の熱波に覆われて、一切を絶望の中にぶち込まれてしまう。天空をも砕く力に晒されて、もはや助かる道などなかった。
なのに。
破滅とはかけ離れた、心なでるそよ風が、異なる空間から吹き込んできた。
ふわり浮く心地は、まるで天国にでも昇ったかのようだ。
瞬間を時が停止したかのごとく静寂する。
そして声が大地を揺らした。
「我が使命を、今こそ果たさん。――ゴッド・ハンド・プレス!」
轟きわたる技名とともに『黄金の拳』が空から解き放たれた。
エレニクスの頭上に――グラウンド・ゼロ――直撃した巨大な黄金拳が、神の顔面を胴体にべっこり凹ませた。その際、これも圧倒的な魔力の余波が周囲へ飛んで、エレニクスの放った魔弾をけ散らしてみせたが、にもかかわらず神は平然と立っていた。
やがて、エレニクスを奇襲した伝説の魔法使い――マーリン――は眩い光のローブをなびかせてゆらり地に舞い降りた。
胴体の内側に凹っこんだ頭部を、自分の手で引き出したエレニクスはその姿を視るなり、自分の首が歪んだことも意に介さず淡々といった。
「妙な魔力と思っていたのだ。この朽ちぬ老いぼれが、神に何をする」
「人間に造られた哀れなホムンクルスが人間に何をする、と返事しておこう」
マーリンとエレニクスが互いに見つめあい、その間にバチバチと見えない火花が散った。
突如として伝説の名が出たことで、トランプスが動揺した。
「これは一体……、マーリンだと?」
「ああ。現世に出てきた伝説の魔法使い、マーリンだよ。生きてるのか死んでるのか俺にもよくわからないけど、諸事情あって絶賛味方してくれてる」
味方、というにはあまりに剣幕な表情で、魔法使いの老人はこちらを向いた。
「唯一逃げろといったはずだぞ」
なぜか声も怒っている。
「い、いや、それどころじゃなかった。アイツの強さはもう、とっくに神がかってたんだ」
「言いわけはいい。背中を出せ」
「せ、せなか? なんで?」
「いいから」
致し方なくパレオがマーリンに背を向けると、すぐさま呪文が聞こえた。
そしてほとばしった、超・激痛。
「痛ッタァァァッ――――! イタタタァッ! イタ――――――ッ!」
とっさに逃げようとするが万力で抑え込まれたかのごとく、まったく抵抗できない。
「我慢しろ。消えぬよう、皮膚に直接魔法の陣を刻んでいる」
皮膚に刻む、というのが数センチ単位の話でなく背中全面をナイフでぐちゃぐちゃにする行為なのだと気づいて、けれどしかしもう逃げるには遅すぎていた。これも何かしらの魔法か、暴れようとしても体が一切言うことを聞いてくれない。
「があああぁぁ―――! 死ぬ! せ、せめて、麻酔かなにか!」
「ない」
マーリンの刻陣によって、びちゃびちゃ! 飛び散った血が顔にかかり、とんでもない光景を目の当たりにしているのか、トランプスがドン引きし、顔をひきつった。
「……ご、拷問だ」




