6話
送られてきた書状を手にやたら待ち時間の長い検問をいくつも経て、宮殿内の深部に通される。黒き頑丈な鉄扉が重厚な音を立てて開かれると、舞踏会用の広大な空間が広がる。荘厳なシャンデリアが等間隔へ向こう側までずらりと吊られ、最奥には見上げるほどの白亜の大門。その門前に、一匹犬がいる。
パレオに気づいた犬――白く大柄なパピオン種は、すっと身を起こしてじっとこちらを見つめてくる。可愛らしい身姿だが、感ぜられるのは何か違う。
帝国の下で働く優秀な飼い犬だが、これを見た通りただの『犬』として認識してはいけない。帝国には「防衛ライン」と呼ばれる優秀な戦士たちがおり、白平原の入り口である白亜の大門には、ア・チョウに次ぐ優秀な守護者、いわんや守護犬が配備されている。
通り名を「爆牙のゼリド」。
安易に頭部を撫でれば最後、命を失いかねない。
とはいえ、呼ばれてわざわざ来たのに怯える道理はない。
「俺は呼ばれてきたんだ」
一応ヒト語で告げて客であることを主張しておく。
パレオが一歩、また一歩と最奥の門へ近づいてゆくと、しかし、ゼリドは異様に大きな牙をむいた。
「グウウ!」
全然可愛くなくなった形相で、パレオを睨みだす。
「おいふざけるなよ。威嚇するならちゃんと『敵』にしろ。俺は、呼ばれてここに来たんだ」
そもそも言葉を解せるのかどうか、優秀な犬はゆっくり近づいてくる。
張りつめた空気に、さすがに緊張する。
「おい止まれ、それ以上近づくな。俺は武器を持っていない。つうか、敵が一人でのこのこやってくると思うか? どう見たって客だろうよ。危害なんか加えたら、それこそ帝国に対する反逆になるぞ。忠誠を誓う優秀な門番であるならば、相手が誰かぐらいわきまえろ」
「グウウウウ!」
パレオの言葉が届かないのか、あるいは届いているけれど怒っているのか、けたたましく威嚇する犬が拒絶的なオーラを発しだした。この犬の実力は、帝国最強のア・チョウに匹敵するとまで言われている。特筆すべきはスピードだ。『神がかった』速度で消え失せ、再び現れたときにはすでに噛みちぎった敵の腕をくわえているという。あまつさえ天性の魔力使いでもある。体内で器用に精製した高熱の魔弾を口からぶっ吐きだし、帝国に立ちふさがる敵どもを殲滅する。その威力、帝都で大暴れしたという盗賊ごと、街の一角を消し去ったというのだから手に負えない。
パレオはため息をついて、それでも自ら門へ近づいていった。
「噛みついたら、二度と門番なんか出来ないよう訴えてやるからな」
と言った時にはすでに遅く、ゼリドの姿は消えていた。
「――いや、うそだろ」
呟いてから、空気中をビツビツと叩く異様な耳鳴りがした。反応できる目一杯の跳躍力で、パレオが横へ避ける。と、真横でシュヒン! 豪風を周囲に巻いて現れたゼリドのアゴが、
ガチィィ――――――ン!
パレオの腕があったその場所で、噛み閉じられた。
避けていなければ失いかねなかったレベルの破壊音が、広い空間に鳴り響く。
「バカ野郎! ちょっと待て! だから、俺は客なんだっ!」
シュヒン!
消えた。
また消えた。いわんや次なる攻撃に移ったのだ。問答無用の襲撃は、もはやパレオに戦闘体制を余儀なくさせる。今度は地面を思いきり蹴り、上方へ逃れる。
その直後、すぐ下で再び鳴り響くガチィィ――――――ン!
動物の強靭なアゴと脚の力は自慢だろう。背筋が凍るほどの音圧が飛ぶ。が、敵を認識して飛びかかり、外れたあとに発生するのは見失うだ。ゼリドが周囲をきょろりとしたその一瞬、パレオは上方から覆いかぶさって押さえつけた。
だが尋常でない筋力で暴れ出す。
「おとなしくしろ、バカ犬!」
「がうゥゥ!」
「ごふっ」
甘く見ていたしっぽの打撃が強い。見た目に似合わず、巨漢にぶん殴れたような破壊力がある。気が遠のきそうな一撃、二撃を受けてなお、しかしパレオは必死にこらえ押さえつけた。
「客だと、言ってんだろ!」
「グウウウウ!」
なんだか楽しそうに見える。
「くそお前、絶対訴えてやるからな!」
姿勢を塞がれていたゼリドだったが、突如ぐるりと回転しだした。顔と顔が向き合う体勢となる瞬間、その口腔内から「赤い光」が迸り始める。漏れ出した熱気を感じて、
「いやいやいやおいおいおい、それはさすがにヤバいって」
汗がたらりと頬をつたう。明らかにゼリドお得意の攻撃魔法「火炎弾」だ。
ゴゴゴゴ、とエネルギーの奔流が渦を巻いてゆく。みるみる魔力が上昇してゆき、顔が熱波に煽られる。これは本気だと感じた直後、凄まじい轟音をともなって巨万のエネルギー波が周囲にはじけ飛んだ。ゼリドの口から、街一つ消し去る強力なエネルギー弾が放たれたのだ。
「うそおおおおおおおお!」
視覚いっぱいに広がる魔力光と、聴覚いっぱいの炸裂音。パレオは真っ白な光の中に呑まれた。全身を衝撃がぶっ叩く。すべてを一瞬で灰と化す魔弾の威力に、広大な室内空間が紅色に包まれる。
街一つ、まるごと消し去る強力な炎の中。
燃え盛る黒い人影は――、しかし、すっと立っていた。
たとえそれが凶悪なモンスターが吐き出す魔弾であったとしても。
果ては最高域に位する魔法使いの破壊魔法であったとしても。
影響することの叶わない呪いがある。