55話
伝説として語り継がれる王の右腕、マーリン。
その魔法使いが得意としていた術が「変身」だったと伝えられている。
現世でも、見た目をごまかす魔法は確かに存在する。
しかし、そのいずれもが人体の表層を装飾する類のもので、変身というよりは「変装」に近いものだ。自分の肉体をゼロから再構築し、別の者へとすげ替えることができる術を成功させた魔法使いは、マーリンのほかには極限られた魔道士しかいないだろう。
長い魔法史のなかでも完全変身の成功者がわずかのは、肉体の構成術そのものが、帝国が躍起になって葬り去った召喚術やホムンスミスの人造人間と等しく、とても危険で扱いが困難だったからだ。
そもそも人体は複雑だ。魔法により変形させた臓器や神経細胞が、正確な形状を欠いているか、何らかのミスで正常な活動をしなくなれば、生命活動にも支障をきたすことになる。元に戻らなければ最悪死に至る。過去にも、人体実験で何人もの死者を出す事件があった。
そんなバカげた行為を、目の前でいとも簡単にやってみせた。
だからこそパレオは認めざるを得なかった
この人物がレジェンド級の魔法使い――あのアーサー王の右腕マーリンであると。
あこがれのホンモノをなめる様に見つめていると、しかし美女は怒った。
「こら、おっぱいばかり見てんじゃないわよ!」
「ええ!? いや、ちがっ」
たしかに立派なふくらみだが、見惚れていたのはマーリンという存在にだ。
わたわたしていると、美女がわざとらしく漏らした。
「おもしろ、冗談に決まってるじゃない」
と満面の笑みで返すマーリンに、今しがた憧れたのをちょっと後悔した。
「……その魔法、性格まで変わるの?」
そうよ、うふふ! どう? と谷間をよせるマーリンを「やめてくれ」と一蹴する。
こほん、と仕切りなおして魔法使いは本題に入った。
「おふざけはこの辺にして。あなたには王剣の奪還と首謀者らの討伐をしてもらわなくちゃならないわ。その要諦はもうわかっているでしょう? あなた自身がアーサー王に変身して、エクス・カリバーを台座から引き抜くの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
もろ手を出して、先走る魔法使いを制止した。
「変身の魔法は得意なんだろう? なにも俺でなくたっていいんじゃないか……、その、あんた自身がやれば」
「……残念だけど、それはムリよ。今あるこの体は一種の虚像でしかない。さっきも言ったとおり、わたしの実体は何処(いずこ)へか永遠に囚われてしまっている。今から頑張って解放を試みてもいいけれど、エレニクスをくい止めるには時間がかかりすぎるでしょうね」
「ほ、ほかに方法は?」
「ない」
「本当にやるの?」
「やる」
「俺が?」
「だからそうだってば。まさかワンちゃんにやらせようと思ってる? ダメよ」
揺れるパレオの心に追い打ちをかけるように、マーリンは続けた。
「不安がらせるようで申し訳ないけれど、百パーセントうまくいく保障なんてないわ。魔法が失敗すれば、もしかしたらその時点で死ぬかもしれない。変身がうまくいったとして、神だと豪語するあの人造人間エレニクスをかいくぐることができなければ、そこで計画はパー。そして、もしエレニクスをうまくかわし切ったとしても、エクス・カリバーがあなたを『アーサー王』だと認めてくれなければ、今度こそ、腕を焼かれるだけでは済まないでしょうね。ぐっちゃぐっちゃにされて死んじゃうかも。厳しくして悪いけど問わせてもらう。あなたに、」
――命を賭してでも、世界を救う覚悟はある?
自分から押し付けておいて、覚悟を問うのもいかがなものかと思う。
しばらくは答えられなかった。すぐに答えるなら「ある」と簡単に返せる。だが、パレオの脳裏にちらつくのは、苦い過去の経験だ。自分に為せると信じたエクス・カリバーへの挑戦は、果たせなかっただけでなく、多くの人々にも迷惑をかけてしまった。
重すぎる荷を背負う、自信がない。
「賭ける命が俺一人で済むなら、いくらだって賭けるさ。ただ、いくら望んでも叶わないのが怖いんだ。その結果が、他人を傷つけてしまうのが」
「わかるよ。アーサーだって、いつも怖がっていた」
「アーサーが怖がる?」
なんで、と思った矢先、すっと視界から消えた美女マーリンが、すぐ目の前に現れてぎょっとした。むふふ、と寄ってくる。
「そうよ、泣き虫だった」
「り、竜王を大陸ごとぶった斬った男だぞ。そんなわけない」
「その竜王を大陸ごとぶった斬ったあとも、号泣していた。……世間やあなたがアーサー王をどのように思っているか知らないけれど、人間王が多くのものを怖がっていたのは事実よ。オバケとか高所とか。何より恐れていたのは、目に映る人々が不幸になることだった。ちょうど、今のあなたと同じように」
「俺と、おなじ?」
「『賭ける命が自分だけで済むのなら、いくらだって賭ける』。自然とそう口にしているのでしょうけれど、アーサーもおなじことを言っていたわ。彼もあなたも、心の奥底で人が不幸になるのが怖いのよ。だから、できれば関わりたくない、ただ自分が犠牲になるだけならいいと、いつも目を背けたがる。けれど現実は厳しいのよ。一人が単に命を投げやって、皆を幸福にできるシステムなんて存在しない。どれほど苦しくとも、闇がすべてを支配しようとも、退かずしかも絶対に勝たねばならない。そりゃあ逃げたくもなる。アーサーの背には多くの人々の命がかかっていたのだから。戦ってきた相手はいずれも『人間には絶対に敵わない』と言われてきた圧倒的な猛者たちだったのだから。過酷なプレッシャーの中で、なお敢然と己の使命をやり遂げなければならない。乗り越えたからこそ彼は、」
――英雄となった。
「べつにすべてがすべてアーサー王のようになれなんて言わない。でもこれだけは知っておいて。人間王がビビりながらも全力を尽くして戦えたのは、自分のためだけでなく、たくさんの人々のことを願っていたから。他がために自分の使命を最後まで燃やし尽くす気概が、あなたにはある?」
「…………」




