52話
老人はゆっくりとうなずいて、
「マーリンだ」
と答えた。その聞き覚えのありすぎるワードが、しばし脳内で反響した。
…………マーリン。
「!?」
瞳孔をかっ開いたまま、パレオは硬直した。
まさか、そんなわけがない。
エクス・カリバーに焦がれていたパレオが、その名を聞いて浮かべる人物は一人しかいない。あのアーサー王に仕えた伝説の魔法使い、賢者マーリンだ。
かつて優れた魔術の才をもって、マーリンはアーサー王を窮地から幾度も救いだした。杖先から生んだ幾何の星を満天に散りばめた天体の操縦者は、その数多(あまた)の功績から王の右腕と呼ばれ、エクス・カリバーの魔力をのぞけば人類魔法の最高到達点と目された。人間かどうかさえ疑われ、諸説悪魔の子供だったとまで伝わる。変身ばかりするものだから真の姿を知る者もいなかった。
歴史上じつに妙であって、なお煌めく異質の存在――それが今、目の前にいるだなんて、
「あるわけない。あのアーサー王を支えたっていう、あっちの人じゃないだろ?」
剣の側にいたというだけの疑わしさを、払拭するために問うた。
パレオの反応をみて、マーリンはあごひげをいじりだした。
「わかるなら話が早い。もう昔だが、人間王のもとで魔法を司った。だからこそあの剣についても知っている。アレが選王の剣だなどと――」
「ちょ、ちょちょっとタンマ!」
かるーく会話を続けようとする自称「伝説」の老人を制止して、唾をごっくりと飲み干す。
「王の右腕! 伝説の魔法使い! みんなのあこがれマーリン! 自称すんのは結構だが、生きてりゃおん年いくつだ!? いくらスーパー魔法使いだからって、寿命まではごまかせないだろ!」
マーリンは冗長に笑い出した。
「そのとおりだ。人が人の寿命を越えてまで生にしがみついてはならん。だがマーリンという存在はここにあり、それでいて確かに存在するかは怪しくなってしまった」
「いや、ええと」
……歳くっちゃってボケちゃったか?
「魔法使いの言っていることが高尚過ぎて全然わからないよ」
唖然としていると、ちょうどマーリンが自分のひげで一つ編み物を終え、見事に五芒星ができあがった。そこから光のつぶつぶが生まれ出て、老人の顔を照らして昇った。マーリンは「もう古い話になる」とはじめた。
「むかし、一人の優れた王に生涯をささげると誓った。もちろん人間の王、アーサーにだ。王と魔法使いはともにおーきな夢を描いた。人の愛、慈しみ、幸福についてよくよく語りあったものだ。二人は、存在する人間がすべからく幸せになる魔法があれば、それが世界の究極だと考えた。研究を重ねてあらゆる魔法を生み出し、世を照らさんと日々励んだのだが……」
何かを思い出すかのようにマーリンが目をつむった。
前のめりになって、パレオは促した。
「――だが?」
「結局、マーリンは恋に盲目した。美しき者に心奪われてな。そやつに、使ってはならぬ――身も心もゆだねる禁術を与えてしまったがゆえに、肉体を魂ごと永遠に囚われた」
「肉体を、囚われた? え、永遠に?」
「そう永遠にだ。マーリン本体は二度とこの世に現れることはない。大魔法使いだなどと呼ばれても、しょせんは一人の人間だったわけだ。軽はずみな情が身も心も滅ぼした。今やこうして、なんとか外殻を世に現し、外の世界とつながっている」
「……それが、失踪の真相ってわけか」
パレオのよく知るアーサー王の話では、最も好奇なミステリーだった。誰よりも、何よりもアーサーが信頼していた魔法使いの存在は、ある時期から突如として物語の舞台から消え去っているのだ。
老人は自嘲気味に破顔した。
「外に向けて何度言葉を届けようとしたことか。永らく手こずってな。ようやく外界へつながる術を編み出した時にはもう、アーサーは死んでいた。エクス・カリバーだけが、まるで時の流れを止めたかのように台座にある。私を置いて、王は死した」
シワだらけの老人はコホコホ咳こんだ。
「よき友を、類まれなる人間の王を、最後まで見守れなかった」
もはや若さの欠片もない老体に哀愁がたっぷり漂うのを、しかしパレオは同情をかける間もなく続けた。
「……あんたが伝説のマーリンだってのは、一応呑みこんでおくよ。でも、ならばどうか教えてくれ。エクス・カリバーは今、かつての絶対なる地位を犯されている。トンデモナイ奴らに悪用されようとしてるんだ。どうにかしなくちゃならない。あの剣を止める方法が知りたい」
真剣に聞いたつもりだったのに、老人はまるでトボけたようにほほほと笑い出した。
そうして、目尻をぬぐうと答えた。
「いや、すまない――。むかし、同じことを問うてきた娘を思い出した。答えよう、それはムリだ。あの剣を止めることはできない」
「そんな……」
「じゃあ一体、どうすりゃいいんだよ。あの剣は、いまや選王の剣なんかじゃなくなったんだぞ。魔力を抽出する技術が生み出されて……神(エレニクス)なんてふざけた兵器が造られた。放っておけばいずれ、多くの人々が危険に晒されることになる!」
「わかっているとも。剣にまつわる危機は、なにも今に始まったことでない。使うも捨てるも、生かすも殺すも、すべてはその使用者次第。ならば道は人の数ほどあるというもの。お前さんがエクス・カリバーを引き抜けばいい」
理解できずに、沈黙する。
「な、何言ってんだよ……」
「剣を抜けといった」
「んなのは聞こえたよ! だから、なんで俺が、できるわけないだろって」
「たった今エクス・カリバーが絶対なるモノでなくなったと言ったのは、お前さんの方だ。引き抜かねばアーサー王が築いたものすべてが無に帰してしまう。ならば確かに対抗せねばならないが、あいにく、この老いぼれの肉体はいずこへか消えてしまっていてな。そこへ丁度お前さんが現れてくれた。これを導きと言わずなんというのだろうか」
「いや、だから、剣を引き抜けって? ありえない、知ってんだろう。俺は、あの剣に選ばれなかったんだぞ」




