50話
「人界がどうあろうと、ルスタは立派な人よ。皆が帰りを待ちわびているのは、その証拠でしょう? わたしにはもう帰るべき場所はここだけになってしまったけれど、あなたは違うわ」
「僕の居場所だって、ここだけだよ」
「もちろん、ここはあなたの居場所だわ。いつでも帰ってこれる、憩いのおうち。安心があって、愛がある。けれど、あなたが自分の仕事を遂行すべき場所ではないの。よりどころではあっても、あなたが力を発揮する場所じゃない」
「僕に、国政を執れって言うのかい? それが出来なくて逃げてきたのに、今さら……できることなんて何もないさ」
星を眺めるルスタの煌めく瞳を、横目で確認して、キャリヴはそっとルスタに頭を寄せた。
「求心力。むかし、あなたが言ってくれたわ。『君の頭はすてき』だって。わたしの心をつかんだ瞬間ね。なぜなのかしら、皆がそう。言葉に愛を宿し、贈ってくれるあなたに、深い慈しみを感じる。温かく包んでくれる、そういうパワーなの。そのやさしさはきっと、あなたが強いからこそ持てるものなのよ」
キャリヴは自分で言って、自分がこくこくうなずき、続けた。
「そう、きっとそうだわ、あなたの優しいところ」
「……それが?」
「王にふさわしい素質だわ」
あはは、とルスタは苦笑した。
「そんな大層なもの、僕なんかにあるかな」
小さく息をついてから、ルスタは再び星空を見上げた。
「……けれどまあ、君の励ましはうれしいよ。責任ある立場を、ただ逃げて捨てた……いずれ後悔する時がくると思ってたんだ。自分にも何か、できることはあるんじゃないかっていつも考えていた。もしかしたら、父はまだ僕を待ってくれているじゃないかってね」
ルスタは、まるで自分に言い聞かせるように、首をよこに振った。
「――でも、本国へもどるなんてできないよ。そんなことしたら」
不安そうな顔をするルスタのやさしさが、キャリヴはうれしかった。
だからこそ、その背中を後押ししなければならないと思った。誰もが待っている、その力が生み出す恩恵を、明るい未来を。ルスタの優れるところを、誰よりも信じ、理解しているからこそ、彼をここにとどめておいてしまう自分が許せなかった。
「わたしなら平気よ。さみしくないと言ったらもちろん嘘になる。けれど、あなたは皆が待ちのぞむ王様……たくさんの人たちが幸せに暮らせる時代へ、導かなくちゃ。それが叶ったら、必ずまたここへ戻ってきて。そうしたら、キスをしましょう?」
キャリヴは、ルスタの頬に口づけした。
そして、いつか明かそうと決めていた秘密の力を、手のひらに浮かべた。
淡く光る蒼玉が、ほんわりと夜空を焦がす。昇りゆく光の筋を見上げて、ルスタほおっと息をついた。
「とてもきれいだ……」
魔力のオーラにさらされながら、不思議そうに蒼玉を見つめるルスタに、キャリヴはふふっと微笑んだ。
「わたしの至宝よ。クリオラの精霊が生み出すことができる、奇跡の力なの。ルスタが帰ってくるまでに、わたしこれを完成させておくわ。あなたが帰ってきたら、どんな願いも必ず叶えてあげる。だからかならず、王政を成し遂げて、わたしのもとへ帰ってきて。誓いましょう? わたしはここであなたの帰りを待っている。あなたは、人界を乱世から救う王となって帰ってきて」
ルスタの瞳の力強さは、王のそれだった。ゆっくりうなずくと、言ってくれた。
――必ずもどるよ。君のもとへ。
そう約束をし、最後の口づけを交わして、ルスタは国へ戻った。
それから時がながれた。
一体どれほどの夢をみたのだろう。
ルスタがこちらに手を振り、堂々とした面持ちで帰ってくる。キャリヴは、王となったルスタに抱きついて、何度もキスをした。会えずに流れた時間の出来事を、お互いに夜通し語り合う。また花を育て、ともに愛を語り、星を眺め、いつまでも一緒にいる――。
……そんな叶わぬ夢をみながら、いつしかキャリヴの生み出した至宝は、キャリヴ自身の精神を侵食していた。自我は大部分が消失していた。自分が、キャリヴという存在であったことさえ、わからない。世界のことをなにも認知できず、ただひたらすらに、愛している人を待っている。
1200年間、マクス・オーラはキャリヴの命を強制的に支えた。世界はキャリヴだけを残して歴史を刻みつづける。身体は自然生成する魔力から逃れることができない。
世界はキャリヴだけを残して歴史を刻んだ。
心の中に何が残っているのか、抜殻(ぬけがら)のキャリヴは、けれど誰かの帰りを待ち続けていた。その者の笑顔がある心だけは、淡く優しかった。彼を夢見るたびに温かな気持ちがよみがえる。
あまりに永い時を過ごしすぎて、クリオラの生命力も冷たくなる。
終わりは刻々と近づいていた。
あれから何度も流した涙が、また湖に溶けた。
――もう、終わりにしよう。
強大すぎるクリオラの魔力が縛りつけた生命も、すでに限界だった。
最後の時を迎えようと湖に沈んでいた、そのときだ。
頭上から射すひかりが、屈折して、ばらばらに乱れた。
見あげたそこには、
――人間の男の子がいた。
なつかしい、くさっぱの匂い。
あのサラサーティコットン100%のような髪が、水中をゆられてなびく。
目が熱くなり、また涙がこぼれた。
まぎれもなくそれは、彼だった。
あの優しい面影がいくつもフラッシュバックする。
すてきな笑顔で、キャリヴを鼓舞してくれた。
「もう、いいんだよ」と。
本当は、とっくにわかっていた。
ルスタはこの世にはいない。
それでも心が救われるようだった。
沈みくる少年の体を抱いて、キャリヴは一つだけ問うた。
「――あなたの願いは?
人間の男の子は、キャリヴを見つめ、ただ一つ答えた。
「――乱世を終わらせたい」
キャリヴは、至宝(マクス・オーラ)を少年に手渡した。
地響きとともに、世界中から光が一点に集中する。
湖は巨大な渦をつくり、中心に少年を浮かせた。
蒼玉がみるみる膨張し、光の柱を宇宙まで飛ばした。
やがて絶大なる魔力は、少年の手中で一本の『剣』へと姿を変えた。




