49話
横たわるルスタに駆けより、その身を抱きおこした。
ほそく目を開けて、ルスタはただ「ごめん」と言った。あふれる涙が止められなくて、その顔に雫をおとしながら、キャリヴは「いいえ」とはじめた。
「わたしこそ、本当にごめんなさい。ウンディーネの王が、まさか自ら地上へ赴くなんて、……こんなことになるだなんて。わたしと出会ったばかりに、ルスタをひどい目にあわせてしまった」
かすかに動く腕をふるわせ、ルスタは温かい指先で涙をぬぐってくれた。
「君と出会わなければ、こんなにもすてきな気持ちは知ることができなかったよ。僕と出会ってくれて、本当にありがとう。君が好きだ」
恥ずかしそうに、けれど強い決意を込めてルスタは言った。
ずっと一緒にいたい。
ルスタからの申し出が、心から嬉しかった。キャリヴは即答した。
「私もルスタと一緒がいい。あなたがいてくれるなら、もうそれだけでいい」
ウンディーネと人間、異種族のカベを越えて、キャリヴはルスタとともに生きていくことを決めた。
しばらく抱擁していると、石化していた王がどすんと地を踏んで立ち上がった。
とっさにルスタを守らなければと立ち上がり、身構えたが、まるきり気力の失せた顔で、王は憂鬱そうに言った。
「かまわぬ。トライデントを失ったいま、おまえたちを止めるすべはない。あの槍が、我が力の大半だった。……砕かれてはなにもできまい。どうしようが、お前たちの好きにすればいい」
そこまで言って、黒ずんでいた瞳の奥にかろうじて残る王の威厳を漂わせてポーセイン・ドは続けた。
「だがカリバーよ、ウンディーネ族のもとへ戻ることだけは死んでもゆるさん。おまえは、もうウンディーネでも、ましてや皆が切望した『クリオラ』でもないのだからな」
王と、真剣に見つめあう一刻。
キャリヴは、やがてゆっくりとうなずいた。
「わかってる。わたしは、ウンディーネでもクリオラでもないわ。カリバーよ」
「……そうか。ならばもう、言うことはあるまい」
どすん、どすんとゆっくりと背を向けて、王は己が王国へ帰りはじめた。
その大きな背の小さくなる様を見おくり終えると、突然力が抜けて、がくり、とひざが折れてしまった。倒れる寸前ルスタが支えの手を伸ばしてくれるが、お互い力なくそのまま一緒に倒れてしまう。腹の底から湧き上がっていた魔力がふわりと消えて、全身がビキビキと痛みだす。身体は辛いのに、なぜか笑ってしまった。
「あはは、力がぬけちゃった」
「僕もだ。君を失うと思うと、とても怖かった。ほんとうに無事でよかった」
「……うん」
やさしく抱いてくれるその身体の温もりが、全身に染みわたってゆく。クリオラの魔力を覚醒させフル稼働させた反動なのか、ルスタの胸の中で安心しきったキャリヴは、いつの間にか深い眠りに入ってしまっていた。
§§§§
ルスタとともに暮らす、新しい生活がはじまった。
木陰と陽光が交わる適当な場所を見つけ、協力して家をこしらえた。
花壇と畑を作ってともに植物を育て、目一杯に咲く花をめでた。陽が出れば野原を散歩し、夜は星を眺めてよくよく愛を唄った。毎日が愛であふれていた生活は、これまで生きてきた中で、もっとも幸せな時間だと思えた。日々が輝いて、退屈など微塵もなかった。
一国の王子であり、人望もあったルスタのもとには方々からたくさんの人が訪れてきてくれたのだ。そのたびに、皆がキャリヴの存在にびっくり驚き目を丸くした。
小さな花売りの少女は、
「わわわ、精霊族(う、ウンディーネ)!?」
「そうよ。精霊族はふしぎ?」
と返すと、はじめは戸惑っていた少女も、キャリヴの身体をまじまじと見つめて一回りして答えた。
「うん。でも、何だかきれい! お肌つるつる!」
「まあ、うれしい!」
ぎゅううと抱きしめると少女は照れくさそうに笑っていた。
いくつもの幸せな時間は、けれどあっという間に流れてしまった。
キャリヴの変わらぬ容姿と比べて、ルスタの肉体はみるみる成長する。
精神的にも、目にみえて大人になっていった。まるでキャリヴだけを残して、世界の時間が勝手に突き進んでしまうかのように……。
変わりゆく愛しい人の面影の中に時々、思い出したようにみせる暗鬱な表情をキャリヴは知っていた。
その理由についても、それとなく感づいていた。
星の絨毯がきらめくある日、夜空を眺めながらキャリヴは問うた。
「人界が、気になる?」
はじめ驚くような顔をして、けれど隠し事は通じないかと悟ったのか、ルスタは苦笑した。
「……いいや、きっと父は僕をゆるさないと思うよ。僕がいてもいなくても、世界は変わらない。ポーセイン・ド王が言っていたとおり、人は愚かな生き物なのかもしれない。きっと、乱世は止められない」
悲しみを隠すように、ルスタがそっと口づけをくれた。
いま、キャリヴには愛に満たされた生活がある。
それはとてもうれしい。
けれど、ルスタが抱えている不安はその唇が簡単に教えてくれた。
キャリヴには、精霊たちの望みを放棄した過去の痣がある。だからこそ、ルスタの気持ちが痛いほどわかってしまう。自分の二の舞には、なってほしくない。その背中にかかる人の望みのために、今、自分が彼を鼓舞しなければいけないと思った。
なにより、このままルスタに悩みを抱えたまま過ごしてほしくなんてなかった。




