44話
気付けばキャリヴは、せまい留置牢の中にいた。
暗がりのむこうに、光る海藻たちが青白くぼんやり灯っている。
水温はひどく冷え切っていた。
肌に触れる切石の寝台が冷たすぎて、思わず身震いする。
ポーセイン・ド王に撃たれた背中の右肩部がずきずきと疼き、さすりながら、ぽろぽろと涙が出てきた。
死んでは、いなかった……。
けれどその安堵が過ぎるとともに、どっとやるせなさが涌いた。
牢の中に閉じ込められ、これではまるで犯罪者だ。キャリヴはただ、キノコを食べに地上へ出向いた。何の害もない、人間の男の子――ルスタとほんの少し会話をしただけだ。自由を求めて生きていこうとしただけだ。もとより、キャリヴは自分が「クリオラ」であるとは認めていない。今さらにして、ようやっと垣間見えた力はけれど、自分ではコントロールの仕方がわからない。そもそも、それほどに凄い魔力があると知覚することができたなら、とっくに使いたい放題使っている。
だけど、
――ガシィ!
鉄格子を握りひっぱり壊そうと魔力を念じても、か細いオーラがちびちび出るだけで、数センチだって動かせやしない。何度も何度もガシガシと格子を押し引きしながら、口惜しさがこみあげてくる。
使いたいときに使えない力など、ないようなものではないか。
幼少の頃からそうだ。皆よりも劣っていたのはいつも感じていた。泳ぐのだって断然ビリだったし、頭も悪い。姉のナストには迷惑をかけてばかり。それが突然、
――お前はクリオラだ。
竜王から、そう啓示された。
『今日よりは全精霊族の期待に恥じぬ働きをするように』
宮殿に召喚され、初めて会う巨漢のウンディーネ、ポーセイン・ド王に告げられたあの日から、キャリヴの日常は一変してしまった。『姫君はいつ至宝をお使いになるのでしょう?」
……それまで見向きもしていなかった者たちが突如、キャリヴに羨望と期待を投げかけるようになったのだ。ウンディーネの重鎮たちが囲み視線を注ぐ中で、
「そんな力、わたしにはありません」
とは言えなかった。
戸惑って「時間をください」と申し出、過ぎた身勝手をしないという条件付きでキャリヴは仮そめの自由を手に入れた。だが、日に日に増していく焦燥はいつしか大きなストレスとなり、キャリヴのこころを地上のキノコへと向かわせた。姉と過ごし、美しく輝いていた、あのころの森の中へと。
誰にも責任を咎められない、重圧のないひかり射す地上へ。
逃げ出したい――。
水中を、魔力を帯びたキャリヴの涙が、牢の外へただよった。
その時だ。
「あなたを、守ろうとしたのよ?」
優しい声音が、キャリヴの心を包んだ。
幼少のころから聞いてきた声の主を、聞き間違えるわけなかった。
「……お姉ちゃん」
見上げると、牢の外に姉のナストがいた。
幼少期からよくよく自分を守ってくれた姉の登場に、大きな安心感と同時に、最近の不仲の原因である「わかりあえない」つらさが涌いた。
ナストは、水中を揺れるキャリヴの涙をそっと手に握った。
「こうなることを避けるために、これまで必死に説得しようとしてきたのに……」
どこか諦めたようなナストに、キャリヴは反論した。
「だって、だってわたし……クリオラなんかじゃないんだよ? ……そんな力、わたしにはないんだ」
何度もぶつかりあった話の内容に、またこっぴどく怒られる、そう思った。
けれど反して、ナストは変わらず優しい声で言った。
「わかっているわ。あなたはクリオラなんかじゃない。そんなこと、ずっと傍にいた私が、わからないわけないじゃない」
「……え?」
「頭がわるくて、泳ぎが下手で、魔力も弱くって、ドジで勝手なことばかりする……そんな子が、クリオラなわけないわ」
「ひ、ひどい」
「あら、本当のことじゃない。……でも、あなたがクリオラでなくたって何だって、一つだけゆずれないものがあるのよ。それはね」
――あなたが、私の大好きな妹だってこと。
優しい笑顔は、それでいてたくましく、キャリヴをいつも励ましてくれたものだ。
どんな時も、そばにいて守ってくれた。
またぽろぽろと、涙が水中を漂った。
しばらく頭をなでてくれたナストは、抑えた声で言った。
「聞いてキャリヴ。ポーセイン王はあなたを殺すつもりよ」
「っ!?」
首をずばっとやられる自分のあわれな姿が脳裏に浮かんだ。
「そんな、わたし殺されるなんていやよ」
「私だってそんなことになるのはいやだわ。けれど精霊会議はクリオラの力が野放しにされることを看過しない。どんなにあなたがドジで泣き虫で、実際には魔力が弱かったとしても、竜王の啓示には逆らえないのよ」
「……竜族って、なんでそんな偉そうなの」
「偉そう、ではなく偉いのよ、建前はね。精霊界の安寧を守る偉大なる存在なのだから。いけないのはむしろポーセイン王よ。他族に対して体裁を保とうと、あなたを消し、存在しなかったことにしようとしている」
「うぅ」
ウンディーネ族最大の兵器トライデントに撃たれた背中が、再びズキズキ痛んだ。
肩越しにさすっていると、ナストの手が頬にふれた。
「まだチャンスはあるわ。あなたを殺させるもんですか。……王は、あなたを殺すつもりでトライデントを撃ったようだけど、なぜかしらあなた〝異常に丈夫〟で気絶しただけで済んだわ。今、埋葬でなく留置されることになったのはそういうことなの。でも、いつまた処刑の命が下されるかわからない。だから、この機会を逃すわけにはいかないの。殺されるくらいなら、あなた外の世界で自由に生きた方がいいでしょう?」