43話
いっそ人間で生まれてくればよかったとすら思う。パ・ザへ戻ればまた、皆から期待を一身に注がれて出来もしない奇跡とやらに怯える毎日だ。クリオラとしての品位を問われ続ける、苦痛の生活がはじまる。
そんなのは、
――いやだ。
暗鬱とした気持ちを払拭せんと、こみあげる想いが口から吐き出た。
ウンディーネどうし、今度は目をそらさず、キャリヴははっきりと言った。
「わたし、ずっと湖の中で暮らしていくなんて、絶対にいやよ」
「……キャリヴ、何を言っているのよ。あなたはウンディーネなのよ? ましてや」
「ちがう! わたしはクリオラでもウンディーネでもない! わたしは、わたしよ! 他の何者でもない! もうこれ以上、わたしを縛らないで! 放っておいてよ!」
姉の手を振りほどいて、すっと距離をとった。とっさに地上へ泳ぎだしたが、すかさず衛兵たちがキャリヴを囲った。その手にある長槍の、矛先が鋭くひかる。
衛兵の顔が険しくなった。
「これ以上あなたを人間と慣れあわせるわけにいかない。……拘束します。おゆるしを」
「――っ!? どういうこと、なにするのよ、やめて! はなして!」
屈強なウンディーネたちに両腕をつかまれて、あっという間に引き戻されてしまう。
ナストは神妙な面持ちで言った。
「……あなたを監禁するわ。しばらくの間、牢で頭を冷やしてもらう」
「そんな――、そんなの絶対いや、やだやだ、やめて!」
必死にもがき、足で衛兵の顔をぶっ蹴った。一瞬生まれたスキに逃げ出すが、またすぐにナストにつかまってしまう。姉の泳ぐ速度には、やはり到底かなわない。
「言うことを聞きなさいキャリヴ! これしか方法がないの! あなたを守るためなのよ!」
「ちがうわ! みんなクリオラなんていう見えない象徴を恐れているんだ! わたしを持ち上げて気をよくさせて、本当は怖がっているんだわ! 魔族を生むバケモノだって、裏では思っているんでしょう!」
バチィ――――ん!
再び、ほっぺを猛熱がおそった。
今度は、本当に痛かった。さきほど打たれた一発が手加減だったとはっきり分かるほど、顔面全体を強烈な激痛が走り抜ける。あまりの衝撃に呆気にとられるが、心に走ったヒビから涙がぽろぽろとあふれた。次第に、キャリヴの心底から黒い怒りがこみあげてくる。
「痛いよ、お姉ちゃんのバカ! わたし、こころが壊れそうだよ!」
するとイキナリぎゅっと抱擁される。ナストは大声で怒った。
「私があなたを怖がるわけないじゃない! 愛しているのよ? どうしてわかってくれないの! あなたがただクリオラとしての立居振舞をしてくれたなら、なんの問題もなかった! こんなこと、せずに済んだのよ!」
キャリヴに負けじ劣らず精神的に揺らいでいるのだろうナストは、声が震えていた。
それでもキャリヴは抵抗せずにいられなかった。姉に対して、はじめての暴力となる「キック」を腹に見舞い、一気に泳ぎ出す。
「うぐっ……、追いかけて!」
ナストの指示にすみやかに動き出した衛兵たちが、これもさすがの速度ですぐに追いついてきて、キャリヴの腕をつかんだ。その瞬間、体内で何かがはじまった。轟々と猛った内なるエネルギーが止めようもなく昇り詰めてくる。
「大人しくしてください!」
「やめて! やめてったら――――――、」
――――放せえ!!!!!!
バチィ、バチバチ! と湖の中に豊満な魔元素が異常なほど急激に魔力化し、ほとばしった。
水流が局地的に猛威をふるって、ナストもろとも衛兵隊たちをキャリヴから遠ざける。
「うわ!」「ぐっ」「うおっ」「なんだ!?」
と各々声を荒げて、皆が激流に圧される。
まるで体の中にある激情が、そのまま対外で具現化したような魔力の暴発現象だった。
そのあまりにも普通離れした己の魔力に、震えを必死に抑えて、自分の手のひらを見つめる。濃い魔力の光がほんわりと宿っていて、あり得ない速度で周囲へ拡散していく。
やがて魔元素の激化がおさまり静寂が訪れると、垣間見えたキャリヴの圧倒的な力に、皆がまるでバケモノを見るかのように「怯え」の表情を浮かべた。
――クリオラの精霊として、改めてその危険性を認識しているのだ。
自分の力が、自分で怖くなりながら、しかしチャンスだと思った。
静まりかえる場に、キャリヴは想いをぶつけた。
「わたしは、自由よ。これからは誰にも縛られずに生きていくの。もう、かまわないで」
姉のナストや衛兵隊たちはおろか、ウンディーネの都パ・ザという種族そのものに背を向けて泳ぎだす。もはやここに、キャリヴの居場所などないのだ。湖の隅でも地上でもどこだっていい、自分の好きな場所で、自分の好きなように生きていく。
そう決意して泳ぎ出した。のだが、
――――ズシィ!
「うぐっ!」
背中に、猛烈な痛みが駆け抜ける。
全身がしびれ、泳ぐことはおろか声を出すこともできない。
かろうじて背後を見やると、強大なるその姿におののく。
ウンディーネ族のトップたる存在――ポーセイン・ド王だった。ほかのいかなるウンディーネよりも大きく、たくましく、威厳と風格を漂わせている。その右手には、バチバチと魔力を迸らせるウンディーネ族最強の神器「トライデント」が携えられていた。
つまり、
――撃たれたのだ。
ウンディーネの王、ポーセイン・ドに。
あらゆる者に一撃で死を与えるという、あの絶大なる槍「トライデント」の雷撃に。
し、死んじゃう……、
視界に映る景色が少しずつ消えていく。
やがて、キャリヴの意識は完全なる闇の底に沈んでしまった。




