41話
ナストとおもいきり姉妹喧嘩をしてから、一度も口をきいていない。
目があってもプイする。
近頃キャリヴは、徹底的にアンチ精霊族だ。
――言いつけなど、絶対に守るものか。
姉とケンカして以来、ウンディーネの決まり事などすべからく無視してやろうとすら考えている。だから精霊族と相対する存在の「人間」とだって、無論、進んで接触してやる気概だ。だから行ってはならないとされている地上へ、名目上はキノコを求めて向かった。
ちゃぷ、と水面に顔半分をだすと、夕刻の空に鳥の群れが渡ってゆく。
まわりを見回して、ビックリした。
風に吹かれて、その髪はふんわり揺れていた。
湖畔の原っぱに、あの少年が、またもや寝ていたのだ。
あれだけ水をぶっかけたのに。さすがに懲りただろうと思っていた。
「へんだなあ人間って」
言いつつキャリヴはうれしかった。
すいーっと。水中を、少年へと近づいていく。
地上にあがり、ぺちぺち鳴る足の水かきをなるたけ静かに、そーっと、そーっと近寄る。
顔をのぞき込んでしばし観察……、やっぱり面白い顔だと思う。
「ふうー」
息を吹きかけると、サラサーティーコットン100%的な髪がふわふわゆれた。
何だかうれしくて、くくくと笑ってしまう。
そして煌々と放ったのは、ウンディーネお得意の水の魔力だ。アクアグリーンのオーラが体をぐるぐると上昇してゆく。じゃぶじゃぶと手のひらに小さな水流の柱を浮かべて、
「寝てるのがいけないんだよ」
とたぶん聞こえてはいないだろう一言を添えて、
ばしゃ――ん!
と、ぶっかけた。
――のだが、かかる寸前、少年が目を見開いて、まるでアクロバッティングな華麗なる動きで水流を見事に避けた。
え、えええええ?
起き抜けにすさまじい回避運動をしてみせた少年は、はぁはぁ息を切らして、顔をぶんぶん振りながらあたりの状況を確認してドン引いた顔をした。
むしろそれをドン引いてキャリヴが問うた。
「な、なんでよけちゃったの?」
「――いや、なぜって気づいたから。つい」
「ずるいよ!」
びしっ! 指を突きつけて咎める。
「え? ちょ、ちょっと待ってよ」
と少年が反論してきた。
「君の方こそ、卑怯じゃないか、寝首をかいたりして」
「だまって!」
「は、はい」
おもわず少年がうなずく。
「女の子がかける水をよけるなんて、サイテーな男がすることだよ」
「な、なにそれ。理解できないよ。……ウンディーネの風習か何かなの?」
「そ、そうだよ! ちゃんとかけられないと、嫌われちゃう」
うそだけど。
そもそも水棲動物であるウンディーネは、水をかけるなんて動作を滅多にしない。それでも気取られてくれたのか、少年は、
「そ、そうなんだ、ごめん。ちゃんとかけてもらってあげられなくて」
あれ、僕は被害者じゃないのかな……と少年が浮かべた疑問符を指で突いて割り、キャリヴは、
「そーだよ気をつけてね。今日はゆるしてあげる」
うんうん、と微笑んで流す。
「ところで、あなたいつもここで寝ているの? ヒマなの?」
「ち、ちがうよ。……君に、もう一度会えるかなって、待ってたんだ」
「…………まちぶせしたの?」
じーっと見つめ返す。いくら前回が好印象だったとはいえ、むむむっと訝しむ。精霊界でよくよく言われているように、ともすれば人間は嘘つきかもしれないのだ。
「ちがうよ、そんなんじゃない。もしもまた会えたら……、ほら、君この間、急にいなくなっちゃったじゃないか。なんか、悪いことしちゃったのかなって。だとしたら、ちゃんと謝ろうと思ったんだ」
「なんだ、そんなことか」
あはは、とおもわず笑っちゃう。
「あれは私が急にいなくなろうと思っただけだよ」
「そ、そうなの? ……そういうのって、ウンディーネにはよくあることなの?」
「あんまない」
「……そ、そう」
君って不思議な子だね、と感想を述べる少年に、あなただって不思議じゃない、とキャリヴが返して互いに笑った。
「「…………」」
会話が閉じてしまって、見つめ合っていると、なんだか照れくさそうに少年がごそごそ動き出した。ちょっと警戒していると、
「君にあげたいものがあるんだ。ほんとうは詫びのつもりで持ってきたんだけど」
と、取り出されたそれらを見て、
「わあー!」
とキャリヴは歓喜してぴょんぴょん跳ねた。接地のたびに地上の重力の痛みを感ずるけれど、それでも跳ねずにはいられない。
「なんで? なんで私がキノコを食べたいってわかったの?」
「いや、ほら、キノコを食べに地上へ来たって言ってただろう? ……ほかに思いつかなくてさ。これ、うれしいかな?」
「うん、うれしい!」
といって少年からキノコをひったくり、まじまじと見つめる。
「……うーん、けどちょっとちがうんだなあ」
「え、ちがう? もしかして食べられない?」
アセりだす少年に「ううん、もちろん食べられる」と断ってから、
「好物の菌株ではないってこと。私が好きなのは森の奥にあるでっかい樹木の根に生えてる、ふっくらもこもこのトペィトっていうキノコなの。……あ、でもこれでも十分うれしいよ?」
むふふと喜ぶが、逆に少年がうーん、と微妙な顔をした。
「(次の課題かな)」
とぼそぼそ言うのが聞こえず「なにか言った?」と聞くと「なんでもないよ」と照れくさそうに笑われる。
そして急に聞かれた。
「君の、名前は?」
「なまえ? ああ、えっと」
――カリバー。