40話
「べつにかぜを引かせたかったわけじゃないもの」
「……なんであんなことしたのさ」
問われると、キャリヴはむすっとした顔をして、少年の頭部をちらりと見やった。
「あなたの髪」
「僕の髪? ……が、なんなの?」
「サラサーティコットン100%ぽかった」
「……は?」
ぽかん、とした表情をされて、少年にじっと頭を見つめられる。どうせ「ハゲてる」とでも思っているのだろう。むっとした。
「またぶっかけるよ?」
「いや、ごめんよ、かんべんして。よくわからなかったんだ。僕の髪が、いやなの?」
「ちがう。ただ、うらやましかった。風にそよいで揺れるのが、なんか」
ちょうどやさしい風がふいて、髪がふわふわなびいた。
「え、髪が?」
少年は自分の髪を見あげてつまんだ。
「けっこう邪魔だけどなあ。でも、それを言うならウンディーネの頭だってステキだと思うけど。なんかこう、つるりとした流線形が芸術的というか」
「げ、げいじゅつてき?」
不意打ちに、自分でも予想しないほど心がどきっとした。顔がかあーっと火照りだす。つるり、というよりぬめりだけれど、人間にあたまを褒められるとは思っていなかった。
恥ずかしくて下を向いていると、
「ご、ごめん。気に障った? 訂正するよ、きみの、君たちウンディーネの頭は光り輝いている! 夕日を浴びてぴかぴかだ!」
ばしゃあ!
本日三回目の水魔法をぶっかけて、今度こそキャリヴは湖へトンズラした。「ぴかぴか」はバカにされたみたいでムカついたけど、しかし、うわさに聞く人間のイメージとは異なり、少年は親しみやすかった。頭を褒められたのも、素直にうれしい。
不思議と、目的のキノコは食べなかったのに。
――キャリヴの心は満たされていた。
§§§§
今宵は、いつもより湖中の景色がきれいに見える。
るんるん鼻歌しながら水中を自由降下。
水流に身を任せ、ゆたゆたと右へ左へ揺れながらキャリヴは、――人間を想った。
彼は変だが、おもしろい。あれだけ水をぶっかけてしまったから、次はもうないかもしれないけれど、もしチャンスがあるならまた会ってみたい。
『お前はクリオラだ』
そう定められてからというもの、必要以上に人間との接触を案じられたキャリヴは、勝手に地上へ行くことを禁じられていた。キャリヴ自身、人間は自然を破壊する非情な生物だと蔑んでいた。頭脳だけはやたら明晰な彼らに対して、自分がバカであることに引けを感じていたところもある。
それが、だ。ついに初めての人間との接触を果たし、ふたを開けてみればなんてことはない。彼らだって、キャリヴたちウンディーネとなんら変わりないのだ。親しみやすいし、水をぶっかけても怒ったりしない。ウソだってつかなかった。
頭をほめてくれる、面白い存在。
色褪せていたキャリヴの日常が、あのサラサーティーコットン100%的な頭髪をなびかせる少年の登場によってキラキラしだした。
『ウンディーネの頭だってステキだと思うけど。なんかこう、つるりとした流線形が芸術的』
――すてき。
「すてき」と口に出して言ってみる。
むふふ、と笑いながらパ・ザへの帰路が楽しい。
魔力によって多種族の侵入を防ぐ魔力ゲートをくぐって、主街区へと渡り、宮殿へ続くメインストリートを行くと、おぼろげながら誰かが門前にいるのが見えた。
次第に楽しい気持ちが反転、ぞくぞくと怖気がのぼってくる。
腕組みをするこわもての女性ウンディーネは、間違いない。
姉の、ナストだ。
その顔は明らかに、――ぶちギレている。
危険な笑みを浮かべて、おかえりなさい、とナストがいった。
「私がいま何を言わんとしているのか、べつに言わずがな」
――わかるわよね?
冷たい汗が飛び散って、やばいやばい、と内心恐々とする。
いっそ逃げてしまいたいが、ナストは泳ぎが得意だからきっと容易につかまってしまうだろう。とりあえず、頭を下げつつ、
「ご、ごめんなさーい!!」
「誤って済む問題じゃないでしょうが! もう何度も何度も言ったわよ、クリオラは精霊族にとって重大な存在なの! あなたは自分のことをまるで軽視しているようだけれど、過去クリオラと認められた精霊たちは偉大なる魔力の才をもって精霊界に奇跡をもたらしてきたのよ!? あなたには責任があるの! クリオラとして『至宝の魔法』を司り、世界に安寧と幸福をみちびく責任が! だから自分を危険にさらすような、こんな身勝手なことは、絶対にしちゃいけないの!」
「だ、だってそんなの知らないよ! 私は私だよ!? クリオラなんて誰かが勝手に決めたことでしょう! 私は、私以外の何者でもない!」
「それが無責任っていうの。自分のことなのに『知らない』『わからない』と目をそむけ、余りある魔力の才能を無碍にしようとしている。世界中の精霊族たちがクリオラの誕生にどれほどの期待を寄せ、過去どれほど長い間待ちわびていたことか、あなたにはわからないの!?」
「わかりっこない! 知らないったら、知らない! 私はクリオラなんかじゃない! そんな魔力わたしのどこにもないじゃない! お姉ちゃんだって、とっくにわかっているでしょう! わたしは、わたしにはそんな才能なんかない!」
怒って、逃げ出した。
「待ちなさい!」
怒鳴るナストの声を背に、けれど決して振り返ることなく、キャリヴは宮殿の自室に向かって泳ぎ続けた。