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選王の剣  作者: 立花豊実
第七章 ~剣の夢~
39/71

39話

 ウンディーネの体内に宿る特有魔力がアクアグリーンの輝きを増す。

 水の舞いおどる右手をそっと湖へ掲げると、にょろりと隆起した水面がキャリヴの生み出した水と合わさって、空中で巨大な水塊となる。

 あとは狙いを定めて、おもいきり、


 ぶっかけた。


「ぎゃあ!」

 ずぶ濡れた少年は、目を丸くして飛び起きた。その仰天ぶりがおもしろくて、

「あはは!」

 吹き出したキャリヴは逃げだした。まさにぶっかけダッシュ。

 湖の中に入ってしまえば人間なんて、行動力の著しく低下する哀れな生き物だ。水に特化した自然魔力を有するウンディーネには、到底追いつけっこない。まして彼らは水中で呼吸すらできないのだ。

 そんな魂胆で、とっとと走ったキャリヴだったが、ちらりと振り返った背後の様子に、ぶわーっと冷や汗がでた。ええっ、ええええ!? 人間の少年がみせる、まさにミラクルダッシュ。その俊敏さたるや高速化なにがしの魔法を見ているよう。あまく見積もったキャリヴの想像を、はるかに超えて速かった。

 いや、うそ、うそおおおお! 

 湖に入れそうなほんの少し手前で、ついに、人間にがしっと腕をつかまれてしまった。

「きゃあああああ! さわらないで! ころされるうううううぅぅぅぅ!」

「ま、まってよ。殺しなんてしないよ!」

 少年ががっちりつかんでくるので、キャリヴは逃れようと全力で暴れた。

 しかし悲しいかな、水中とはうって変わって地上でのウンディーネはパワー半減以下なのだ。へなへなと足腰に力が入らなくなってきて、あとちょっとで指先が湖面に触れそうなところで、ぐいっと引き戻されてしまう。あうっ。

「落ち着いてって、本当に何もしないから」

 とか言い出すので、きりっとにらみ返した。

「うそだよ! 人間はうそつきだもの! 平気でだます! わたしのこと、ころすんでしょう!」

「そんな、決めつけないでよ。……信じて、絶対に君を傷つけたりなんかしない」

 生まれてはじめて見る人間の男の子は、なんだかやおら真剣で、まっすぐキャリヴのことを見つめてきた。だから負けじと、その顔のむこう側にある真意を暴こうと、まじまじと観察した。……が、たしかに、うそはついてなさそうな、真っ直ぐなオーラが伝わってくる。けれど、決して油断はならない。精霊界において人間は、欲深で狡猾なサル種族として危険視しているのだ。これまでにも魔力の才を生まれ持つ精霊族に対して、畏怖をしながらだましだまし自然界の恵みを奪ってきた忌まわしき歴史がある。

「……ぜったいに本当?」

「うん、絶対に。本当だよ」

「…………じゃあ、はなしてくれる?」

 手を「くいくい」引っ張って、少年に主張する。

「あっ、ごめんね」

 ちょっと照れた風に、そして何だか名残惜しそうに少年が手を放してくれた。

 自由の身をくれた。からといって、精霊族が単純にありがとう、と媚びると思ったら大間違いだ。すかさず湖に手を突っ込んで瞬時に魔力を注入し、


 ――――もう一度水をぶっかけてみた。


 ざっぶーんと、多量の水流によってびっしょびっしょに濡れた少年が「ヘックション!」とくしゃみする。これだけやって、次は何をしだすかなとじーっと見つめていると、ことのほか冷静に、少年はあきれ顔をみせただけだった。あれ。

「「…………」」

 しばらく押し黙っていると再び「へっくし!」と少年が鼻水をたらした。それが汚く哀れで、サルっぽくて「あはは!」とキャリヴは大笑いした。

 水濡れて垂れた前髪を、視界からとりあえずどかして少年は言った。

「……これが魔力か。ほんと不思議な力だ。きみたち精霊族は、やっぱり人間とはちがうんだね」

「当たり前でしょう? あなたは人間。私は精霊」

 あれ、この子もしかして結構バカなのかな、知性だけが取り柄の人間なのに。

 とバカっぽい所は自分と似ているんだと思うと、キャリヴはなんだか嬉しくなってきた。

 くるりと身を舞わせながら、アクアグリーンの魔力を宙へ放出する。さすれば背後の湖面から、水流がにょろにょろ伸び、それを、生きた蛇のごとく造形する。

 にゅうっと伸びてくるヘビに、頬へキスさせると、自分でくすぐったくなってあはは! と笑った。

 魔力によって生まれた水ヘビを、不思議そうに、少年がそっと手を伸ばした。

「はじめてみたんだ、きみを。……精霊族を。ここにいればもしかしたら、出会えると思って。……でも、まさか本当に会えるなんて」

 とか言いだすので、いよいよおもしろい。

「会えると思ってここに来たのに、会えたらそれが不思議なの? わたしだって、あなたをはじめて見たんだよ? あなたもしかしてちょっと変な子?」

 笑いころげる。

 少年は首をかしげた。

「そんなにおかしいかな?」

「ぜーんぜん」

 ぴたっと笑うのをやめて、原っぱに腰を下ろしたままキャリヴは、少年を見上げた。多量の水を含んだ衣類を脱いで、少年がぎゅううと水を絞り出した。人間が『ふく』というのを身に着けるのは聞いていたけれど、濡れるならはじめからつけなきゃいいのにと思った。

「きみ、ウンディーネだよね? 水の精霊族。……やっぱり、この辺に棲んでいるの?」

 座ったまま、キャリヴは湖面を指さした。

「湖の底だよ。陸に上がったのはたまたまキノコが食べたかったから」

「き、キノコ? ウンディーネってキノコ食べるの?」

「なんで、キノコ食べちゃわるい? 言っておくけど、ゆずらないからね」

 おどろく少年が、またヘックション! とくしゃみした。また鼻水がでている。きたなっ。

「かぜ引くよ」

「きみのせいだよ」

 真顔でいわれる。こわっ。

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