3話
木漏れ日が優しく、緑がゆらゆら揺れる聖なる森に風がふいて、パレオは目を閉じて再度深呼吸をした。もう一度見開いた世界の中で、煌めく一本の剣を捉える。
柄に手をかけようとした、その時だった。
「もう、かれこれ三百年は抜かれぬままだ」
背後から、木々のささやきに混じって老いた声が通った。
ふり返ると、いつからなのか、杖で身を支える腰曲がりの老人がいた。台座の下からこっちを見上げている。白髪がかぶさって顔がよく見えない。けれど、覗く肌は幾十ものシワをダブらせているのがわかった。
「やめておいた方がいいだろう」
ため息をついて、老人がイキナリ何かをほざきだしたので、その聞き捨てならない内容にパレオはむっとした。こちらがどんな人間であるかも知らずに「やめなさい」と言うのは、なにを根拠に言う。王たる存在に見合うかどうかなど、見ただけでわかるわけないのに。
「……なんでさ?」
「エクス・カリバーは認められた者にしか抜けない」
「知っているよ。当たり前さ。おじいさん、僕はソレを百も承知でここに立ってる。もちろん、選ばれなかった場合にどんな目に逢うのかもね。けれど千年に一度の逸材、誰もが焦がれる素質の持ち主、普通では得難い才能をたっぷりと備えた非凡なる子、それが僕だ。まさにこの剣に相応しき存在なんだよ。残念だけど、おじいさんの心配は要らない。街のみんなだって認めてくれる。じふ、そう自負だってしてる」
何を考えているのか解らない老人は、冗長に笑った。
「わたしは剣に罰せられた者を幾数万と見てきた」
光った双眸の奥に、確かに、これまで多くのモノを見てきただろう深い経験値が伺えた。けれどきっと、そのすべてはエクス・カリバーに選ばれなかった人たちのことだ。いわんやそれは、ハズレばかりを見続けてきた眼ということになり、未だ真の王を知らぬ眼ともいえる。
「可哀そうに」
ぽつりと、パレオはつぶやいた。なんだか、つまらない人生だと思ったのだ。よぼよぼになるまで一度も伝説的な人材にめぐり逢えなかったなんて、あんまりだ。おそらく長年の間に信じる気持ちも老いてしまって、卑屈になっているに違いない。
でも、それじゃあ救われないよなと、パレオは思った。
「……剣を抜くに相応しき素質の持ち主を、今まで一度も見たことがないだなんて。僕がこの剣を抜けるか抜けないか、可否を読めずにいるんだね。でもおじいさん、大丈夫。今すぐ見せてあげる。エクス・カリバーの、これが新たな伝説の始まりだ」
「ほほほ」
また急に笑うので、ヘンなおじいさんだと思った。
「やっぱり、やめておいた方がいい」
半笑いのまま老人はあくまでも卑屈に言い切った。変わらぬ言い分にむっとした。
「だからさ、なんでよ?」
イライラを隠さずに問うと、老人は飄々と答えた。
「お前さんはまだ若い。芽は、これからが伸び盛りだ。勿体ない。素質は確かにありそうなのに」
「……は? 素質がありそうなのに、なんでやめろなんて言うのさ」
「素質とは、実際『真の王』とは無縁のものだ。そもそも、お前さんは王を何だと思っている」
まるで知った風なおじいさんに、思わずパレオは笑った。
「可笑しなことばっかり言うなあ、そんなの知れたことじゃないか」
息を吸って、思いきり吐き出す。
――――すべてさ!
「何もかも人間的な要素を不足なく備えた圧倒的なバランスだよ! 王とは、健康的で、知的で、腕力があって、優しく、包容力があり、気配りができて、強くて、逞しく、朗らかで、清純で、穏やかな、ありとあらゆるすべてを兼ね備えた完璧な人間であるべきだ。それを目指そうとする芯の太い強者だ!」
と、パレオは思っている。
聞いて老人は、再び冗長に笑った。やたら感にさわる笑い方だ。
「それは、すごい王だな。しかして、だとしたら余計に抜けそうにない」
「うるさいな! なんだよそれ! いい加減にしてくれ! おじいさんに何が解るっていうんだ? 偉そうなことを言って、自分だって王の素質のなんたるかなんて知らないだろうに!」
「うむ知らなんだ。だからこそ知りたく、探究をして長年を費やした。その剣についてはこの世の誰よりも深く知っていると、じふ、そう自負している。お前さんに足りぬものだって幾つも見えているさ。さて、何だろうか」
「むかつく言い方だ。僕に足りないモノ? 繰り返させないでよ、さっきから言っているでしょう。僕には素質が、あるんだ。足りないモノなんてない」
際立って笑ってから、老人は盛大にため息をついた。
「その言葉のなかにすでに可否が含まれている。やめた方がいい。お前さんに、エクス・カリバーは絶対に抜けない」
「くっ、そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないか!」
森林中にパレオの想いが木霊した。
自分の存在そのものが否定され、傷つけられたようで怒り心頭した。
これまで村の人たちからは、一度も「お前にはできない」と言われたことがない。だから、なおさら老人の言葉が腹立たしかった。
反感を抱いた勢いでおじいさんから目を逸らし、パレオは剣の柄をつかんだ。ぐっと握り締めると、そのまま一気に引きぬかんと万力を込める。すると、ずぽっと抜けた。
ような感覚だけがした。
ぁがァァァァ―――――――――――!
剣からパレオの肉体が勢いよく弾かれ、並び立つ大木の一つに背中をがんと打ちつけた。内臓がぶち破裂するがごとき衝撃が全身を貫き、口から血がぶっ飛んだ。ゴキメキッ! と、骨が幾つもイッた音がする。肉体の形状がズレたような歪な感覚と、それに覆いかぶさって激痛が駆けめぐる。
赤紫の炎に焼かれ、どす黒く染まった両腕から黒い煙が立ちのぼって、遅れて皮膚表面をえぐるような鋭い痛みが襲った。
「があぁぁぁぁ! 腕があああ――――ッ! 腕があああ――――ッ!」
あまりの痛さと衝撃に目の前がちかちか点滅して思考ができない。ぐっしゃりと汗と涙が滲みだして、パレオはのたうち回って助けを求めた。
「……もったいない。素質はありそうだったのに」
こつこつ杖をついて寄ってきた老人が、杖を持ちかえて地面を叩いた。そこから広がる緑色の波紋が地を通ってパレオの身を優しく包みこみ、暖かい光が徐々に痛みを和らげてくれた。
ぐっしょり泣きぬれる視界の中で剣は、まるで歪んで見えた。
なんで、どうして。
僕は、なぜ受け入れられなかった。
悲しさなんかじゃない。
あふれる涙は、圧倒的に悔しさでこぼれた。
焼けただれたパレオのどす黒い腕は、以後元の姿に戻ることはなかった。