28話
己の体に次いで、エレニクスが視線を移したのは周囲に転がる死体だった。
宙空に浮かぶ容器から、亡骸の群れに向かって一歩目を踏み出したとき、
――とつん。
何もない空中に、足が接地した。
とたんに波紋が広がりだす。ただ、それだけ。たったその動作だけで魔力がはじけて飛んだ。なんてことはない所作が生み出す濃厚な余波が、パレオの呪われた両腕をびりびりと刺激する。
何なんだこの魔力は――。
ヒトではない。これほどの魔力を生身の人間が扱えるわけがない。そもそも、いかなる高位の魔導士であっても、図らずただ足を踏み出すだけで魔力を生むことなどありえない業だ。かといって今、目の前のいる一見無垢な子供が意図して力を発したとも到底思えない。それにしてはあまりにも、自然すぎる。
まるで生きている肉体そのものが魔法であるかのように、とつん、とつん、とつん、と虚空を歩くたび、エレニクスは内在する絶大な魔力をちらつかせた。
骨の一本や二本は軽くイッただろう体の激痛に顔を歪めながら、パレオはみたび黒刀を握りしめた。手のひらにねっとりとした脂汗がにじみだす。
――絶対に、止めなければならない。
エクス・カリバーは、いわば歴史を作り変えてきた神器だ。精霊族中最強だった竜族のその長は、未来永劫にわたってヒトが手を出すことの許されぬ存在として畏怖されてきた。ゆえに人間は肥沃な大陸を諦めてきた長い歴史がある。その竜王と大陸を歴史もろともぶった斬り開いてきた時点で、すでに一介の人間が扱える域を超えている。
巨大な力は、使う者の心根によって生む結果を大きく左右する。アーサーが稀代の人間性を具えていたからこそ、エクス・カリバーは人類に大きな栄光をもたらしたのだ。その使用者が悪党に打って変われば、大陸は今頃亡者の山と化していたはずだ。そんなこと、あってはならない。
絶大なる力――エクス・カリバーが内包する魔力によって産まれたホムンクルス。暴走すればどれほどの驚異となるか知れないが、クタラのような小規模な街など消滅されかねない。
一度逃げ捨てた故郷――、それでも、破滅など歓迎できるわけがない。
ゆるり、立ち上がったパレオは、剣の切っ先をエレニクスに向けた。だが、攻撃へ転ずるはずの次なる一歩は、出せなかった。足が、動かない。ふるえ、意思とは真逆の反応を示す体に、思わず笑った。決して、エレニクスに怖気づいているわけではない。その背景となる、エクス・カリバーが怖いのだ。幼少期に関連書を読みつくし、その伝説を隅々知っているからこそ、相手にすることの馬鹿さ加減がよく理解できる。
「くそ、やっぱりダメなのか……」
わかってはいた。
十年前の事件以来、エクス・カリバーを自分には到底及ばない、求めても決して手に入らない伝説の存在と思い続けてきた。それどころか自身や周りの信頼も破壊し、人生すら狂わされた。だから目をそらし、忘れることにしてあきらめたのだ。
その背を向けた天上の剣に、今また命を賭して真っ向から戦おうとしている自分がバカに思える。
左こぶしを固めて、
――ゴッ!
自分の顔をぶん殴った。
二度、三度とはじめてから続けざまに幾度も殴りつけ目から涙、鼻から血があふれる。鮮血が散った顔面の向こう、自分の心に言い聞かせる「まっすぐあれ!」と。やがて開いた眼光は、もう一点にしか注がない。
決意を固めたパレオになんら感情を示さなかった幼い神は、やがて死体の山に降り立った。手ごろな亡骸を見定めると頭をつかみ上げて、おもむろに見つめる。何を考えているのか、やがて片手に魔法を生みはじめた。いとも簡単にゴウゴウと空気をゆがませる紫色の魔力が、不釣り合いな幼い手のうえで高く燃盛ってゆく。そのパープルオーラが一際輝いて死体を包み、シュバッ! と光度が急上昇して周囲一帯へひろがった。
魔力の拡散がおさまると、エレニクスはまるで何事もなかったかのように死体から手を離した――はずなのに、死体はそのまま垂直に立ち続けた。
「ぐゴホッ」
と、死人が黒く固まった血の塊を吐き出したのを見て、パレオは目を見開いた。
「――お前、なにを」
した――、とは続けられなかった。
聞かずとも次いで死体が見せた動作でおおよそ理解できた。
もろ手を広げて「ウゴオオオオォォォォォォ!」と死人が吠えだしたのだ。白目をむいて、まるで自分が生き返ったことを本能のみをもって感じ取ったかのように拙い動きで喜んでいる。その様子を、幼いエレニクスは、アハハ、アハハハハ! と笑って見ていた。
あまりの悍ましさに言葉が出ない。精霊族の魔力をものまねして人間が編み出した魔法には、帝国が定めるいくつもの禁忌がある。そのうち、違法者にはすべからく極刑が下される最大の掟破りが、「蘇生」だ。
――死んだ人間は、生き返ってはならない。
まだ魔法史の浅い一昔前ならば、そんなことは当たり前だと笑われただろう。それ以前に「不可能」と思うからだ。




