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選王の剣  作者: 立花豊実
第五章 ~グラン・フォルフラム~
23/71

23話

 次にまばたきをした時にはもう、おんなの子の姿はなかった。

 代わりに白いパピオン種――犬のゼリドが無邪気に「ハッハハッハ」息を切らしているだけだ。コイツほんとに何なんだ? と巨大な疑問符を浮びあがらせながら、パレオは埋もれていた枝葉からすっ飛び降りた。

 おそるおそる近寄っていくと、相変わらず機嫌の悪そうに「グウウウ」と威嚇される。

「そうすぐ怒るなよ。……たすかったよ、お前のおかげで」

 ヒトの言葉が解らないのか、それとも解っていてそうしているのか、ゼリドは尻尾をふるふる振って「ハッハハッハ」息をしていた。

 犬を少女と見間違えたかどうかはさておいて、とかく超務庁が配下する防衛ラインの実力を、改めて見せつけられた。ア・チョウに次ぐナンバーツーの「犬」を、その見てくれだけで軽んじてはいけないと、あれほど帝都剣士たちのウワサで聞いていたにもかかわらず、パレオはどこかで単に動物の犬として、ゼリドを足手まといに感じていた。ひどい勘違いだ。ここに来てむしろ、焦ってドタバタ取り乱していたのは自分だったというのに。

 帝国の防衛ライン、そのナンバーツーに君臨する実力は伊達ではなかった。以前、白亜の大門でゼリド当人から直接浴びせられた火炎魔法など比べものにならない圧倒的な破壊光線だった。地平まで壊したのでは、と驚嘆とするほどの魔力――そこからすると、むしろ自分がこれまで『遊ばれていた』という事実の方にゾッとする。

 帝都では、ゼリドが吐いた火炎弾が街一つ消し去ったと冗談じみたウワサが流れているが、まさにリアルだったわけだ。もういっそ破壊兵器として厳重に管理しておくべきだ。これでもって帝国の、一組織内でのナンバーツーなのだから、改めてア・チョウという男の底知れなさを感ずる。

 そしてもう一つ、ゼリドに関して意外だったこと。

「アレだな。なんというかお前、メス(そっち)だったんだな。いやホント勘違いしてた」

 あはは、と軽口で言うと一層険しい形相でゼリドが「グウウウ!」と怒った。

「うそだよ、うそうそ! お前なんか相手にしたってやっぱり何も得しないわ」

 ……はあー、と腹の底から思いきりため息をつく。

 一度冷静になってから、改めて現状を見渡した。魔硝煙まみれのとんでもない惨状を見回して、犬の容姿だの実力だのと考えている前に、もっと思慮しなければならなかった点に気付いてしまう。

「……ヤバいこれ……ド派手に荒らしちゃったぞ」

 由緒正しき歴史あるマジで荘厳な聖地「ダラウ・メニエ」の森が、巨大なミミズが這ったように凹んで遠く彼方までべっこり抉られている。文化財や魔法史を重んじる関係各所管のお偉いさん方が目にしたら絶叫して失神するかもしれない。聖なる土地を破壊した失態を問われて、最終的に叱られるのは果たして実行犯――犬となるのか、それとも引率した自分となるのか、思案してちょっとまた気分が暗鬱とする。

 飼い犬が起こした責任の所在は、おそらく世界共通どこ行っても人間なんだろうなあ、と考えが行きついたところで一層重いため息をついた。

 自分の仕事を終えたらもうご満悦なのか、他人の気も知らないで、くるりと丸くなったゼリドは尻尾の手入れに余念がなさそうだった。まったく……、自分がやってのけたぶったまげの破壊行為に反して、妙に可愛らしい姿を見せてくる。ほんと分からないヤツだよなあ、と思いつつ放っておいて、後で書かされるだろう目一杯の始末書についても深く考えないようにしつつ、パレオはゆっくりと歩き出した。

 召喚士の術「契約タトゥー」によって肉体に幻獣の力を宿し、炎の化身グラン・フォルフラムへと変貌したスタットが、ゼリドの焔をぶち受けて、なおもって未だ生きているのかどうかを確かめなければならない。

 死んでいれば仕方がなかったというほかないが、生きているならば聞かねばならないことがまだ残っているのだ。

 ゼリドがつくった巨大な凹みの道を、しばらく行って驚いた。

 クレーターが伸び進んでいく道中、黒コゲて魔力の硝煙がもくもくと昇りゆく世界にあって、その巨体は未だに姿かたちを保っていた。といっても、翼は焼き切れ、肢体はねじれ、全身は真っ黒にコゲて煤にまみれてしまっている。ボロボロの皮膚表面からは血がこぼれて、それがさらに本体の熱でジュージューと蒸発してゆく。お世辞にも無事だったとは言いがたい有様だ。

「…………生きてるのか?」

 ぴくり。

 パレオの声を、かろうじて受容できたのか、本能的に残していた闘志だけを頼みにスタット――グラン・フォルフラムの肉体が反応した。そのまま、まさかの稼働開始で身を起こそうとし出す。だが半身が持ち上がり頭を傾けたところで、すぐにがくりと崩れてしまう。

 あれだけの攻撃を受けて、なお奮闘するバケモノにパレオは静かに忠告した。

「さすがにもうやめとけよ。……こっちもまだ聞きたいことがあるんだ。死なれちゃ困る」

「グ、グゴオオ!」

 イキナリ急に、がっと立ち上がった巨大なバケモノの、あまりにも哀れな身姿を、パレオはドン引いた眼で見た。

「…………大した体力だな。だが、まともに戦えるとは思えないぞ」

 言いながら、痛めた腕がずきずき疼くのを我慢して再び黒刀を引きぬく。


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