21話
巨大な牙を剥き、ゴウゴウと息を荒げて、炎の化身が苦悶の表情を浮かべた。
召喚士の契約は、確かに人間に大きな力を与えてくれる優れた術だ。なにせ多大な時間を費やして己の才を磨かずとも、外側から超常的な能力を引っ張りだすことができる。だが、単純に恩恵だけを得られるならば、帝国も世界中を探してまで召喚士の遺書を破棄したりなどしなかったろう。
帝国が血眼になってまで召喚技術の伝播を阻止しようとしたのには、それ相応にワケがある。うまい話には必ず裏があり、他に勝るほどの何かを会得した場合にはその成果に見合った分だけの対価を支払わねばならない。幻獣の力を得る代わりに、人間が差し出さねばならぬもの――。
『ウ、ゴボォ、ウゴオオォォォ――――!』
身体をがくがくと震わせて、スタットが三度吐きだした血が、滾る炎とまじりあってジュージュー蒸発した。目の視点は定まらず、あちこちへ揺らぎながら、必死に「自分」という存在の体裁を保とうともがいている。
召喚を履行する者たちが払わねばならぬ対価、それは――今まさにパレオの目の前でもがき苦しんでいる当人――スタット自身の生命力だ。
かつてバケモノ使いとして怖れられた召喚士たちの寿命が、総じて異常に短かったのは、まさにこの生命の対価が原因だったと言われている。幻獣を召喚する際に費やす血量や魔源の毒素が、あまりにも負荷すぎたのだ。エクス・カリバーを擁するアーサー王と双璧を為す召喚士の伝説「究極召喚(レメ・ゲドン)」では、現世に「魔王」を召喚するために約二十万人の民の命を引き換えにしたと伝えられている。
一見して魅惑的な幻獣の力は、されどそれが強ければ強いほどに、死への扉がぶっ開かれることになる。召喚技術の一つである契約を履行するスタットも、もちろん例外ではない。幻獣フォルフラム、その王たるグラン・フォルフラムの超常たる力を体に宿し続けている以上、その生命力は外見から推し量るよりもはるかに勢いよくガリガリと削られているはずなのだ。
「死ぬのはアンタの勝手だろうが、巻き添えをくらうのはごめんだぞ! 正気に戻れ!」
『―――グゴガアアァ!』
吐き散らした血を、ぬぐって、煌めいた化け物の眼がこちらを射抜いた。
「グガアアアアァエルのだ! 世界を! 神は、セカイヲ――――ミセテヤル! テイコクにオモイシラセテヤル!』
もはや待ったなし。悪魔の形相と化したスタットが、これが最期の一撃とばかりに雄叫びをあげて再び地面を蹴った。その手には、巨大な炎の玉がボンと浮かび上がる。ボウボウと踊り猛る炎の塊は、どう見積もっても人ひとりを殺すにはあり余るエネルギー量だ。残り時間の限られたスタットが、この一発で終止符を打たんとしていることが露骨にうかがえた。
――ヤバイ!
先の攻撃で、グラン・フォルフラムの豪速をしかと体感してしまっていたパレオには、もはや両腕に宿る呪いの力に頼るほか選択肢がなかった。紫腕をクロスして構え、ともすれば人生最後となるかもしれない敵の一撃をしのごうとして気張った、その時――、
「グウウウ!」
ぴょーんと、先ほどまでパレオの足もとで毛づくろいしていたはずの白いパピオン犬――ゼリドが、いつも通り元気いっぱいの威嚇全開で跳び入ってきた。空気の読めなさ加減ではまさに随一だ。たとえパレオが死んでも、ア・チョウに報告させる伝令役として、ゼリドは最期の切り札となる算段だったのだ。生き延びてもらわねばならないのに、自ら死地にぶっ飛びこんでこられては全部台無しだ。
「こ、このばか犬! なにしてんだよ!」
驚くパレオをよそに、周囲を満たすスタットの禍々しさとはまるで別種の魔力をゼリドが放散した。暗澹とした闇に差しこむ光のように、同じ炎の属性であるにも関わらず、スタットの暗黒じみた炎とは似て非なる聖なる炎のゆらぎが視界を満たしていく。
滾る熱波は、一度浴びせられれば忘れもしない。
天性の魔力使いであるゼリドは、口腔内に溜めこんだ魔力を炎として顕現させ、猛烈な勢いで吐きだすことができる。時に、噛みついた相手の腕をそのままぶっ飛ばすことから、帝都では「爆牙のゼリド」の異名を持つ。
グラン・フォルフラムの巨体と、比べればかくも小さいゼリドの体が、互いに凄まじい速度で肉薄した。ぶつかりあう寸前、先に反応したのはグラン・フォルフラムの巨体を有したスタットの方だった。
『コザカシイイヌめが! キエロ!』
猛烈な風圧をとばして振り抜かれた豪快なスタットの手から、爆炎が膨張した。
――世界は白色に満たされた。




