2話
パレオは笑った。
そうか、そうなんだ、待っていたんだ。
だが良かったじゃないか、永らく経た退屈な時間は今日報われる。
森は生きて数千年。まだ齢幼きパレオにはあまりにも長大な命たちだ。太い古木は、茂る蔦をまとって空高くまで昇りゆく。幻惑的な青い光蝶が舞って、葉のつくる天蓋から射しこむ月光にまぎれて消えた。ヤアヤア鳴く虫たちは間断無くて兎角うるさかった。
その昔、帝国はこの剣の取得計画を本腰で敢行したことがあったそうだ。
方々集めた七十人の魔道士で剣を囲み、台座から解放する呪文を延々と唱え続けながら、柄には特製した縄を巻いて大規模な車輪器具で上方へがんがんに引っ張る。いかにもゴリ押しの荒業だが、魔法は宙を空回り続けた。三日三晩を経ても剣はぴくりとも動かない。それどころか魔道士たちが次々と不調を訴え、中には以後永遠に魔法を扱えなくなる者まで出たという。相応しくない。そう決めつけられた者共に、剣はとかく厳しく『だめだ』と告げる。
そしてすかさず罰を与える。
「おまえたちではないのだ」と。
かくも荘厳とした刃が求めるのは、真に選ばれし者のみ。その他に用はない。決して所有者とは認めない。剣は、それを欲する者にしかと告げた。
――――我が名は『エクス・カリバー』、王を待ちわび幾星霜の刃なり。
幾度かの深呼吸を終え、気持ちを固めたパレオは脳内の記憶野に意識をめぐらせた。
剣の周囲には人を近づけさせない防壁魔法がかけられている。解かねば誰人たりとも台座のもとへはゆけない。
三ヶ月も前から企てていたパレオは今日、その解除呪文を街長宅の金庫から盗み出し、己が能力をフル稼働し、死にもの狂いで呪文の一字一句を脳に焼き付けてきた。万字に及ぶ詠唱文を、けれどすべて抜かりなく覚えている。日が過ぎれば呪文は自動変更によって書き換えられてしまう。ゆえに今夜中だ。エクス・カリバーを手にするには、万字におよぶ呪文を一言も間違えることなく、限りある時間の中ですべて唱えきらねばならない。パレオの脳内でズギュウウウ――ンと、言葉の羅列が満開に広がる。王に相応しき能力を持つ者にしか唱えられない長文、パレオはこれを正統な試練だと享受していた。
夜空を焦がしてパレオの口から言の葉が舞う。仰いで天に向けて唱えれば、やがて魔法のカベが強く光り始める。青白い光が、次第に輝度を強めて拡大し、夜闇を満たしていく。長く長く感ぜられる時間が刻々と経ってようやく、長呪文のその終端が、唇から解き放たれた。
クオオ――――ン!
高音が立ち、世界は真っ白に染まる。ついで強風が体を圧した。
あまりの光量に目をつむり、吹く風に身を庇いながら、おさまるのを待ってから目を開けた時には、もうそこには元の景色が戻っている。変わるところはない。だが目の前へ、恐る恐る手を伸ばす。指先は何に触れることもなく空を泳いた。剣に続く道へ、隔てる壁はおろか、パレオを邪魔するモノはすべて取り払われたのだ。
おもわず嬉しくなって笑った。
白き台座の大きな段を一つ一つ踏みしめる。てっぺんが近づくにつれて、心臓の撥ねが強まるのを感じた。ついに、ここまで来た。もう後戻りはできない。
神聖なる舞台に堂々たる存在感を放つ、ひかり。
なんて美しいのだろう。
刀身は木漏れる月光に揺れている。
王の資質を持つ者にしか所有を認めない、選王の剣「エクス・カリバー」。
かつてアーサーは、この剣の力によって多くの英雄譚をつくった。
万トンの腕力を持つ巨漢ドアーフ王を一撃でねじ伏せ、神速の精霊フェアリー王を圧倒して翅を断ち、強力な魔法を司る雷撃のエルフ王は斬り取った大地の断片で返り討ち、世界最強の竜王は大陸ごとぶった斬った。邪悪にまみれた暗黒の騎士との決戦では天空を斬り割いて光を導き破り、絶対悪の化身である魔王との死闘では一度殺されたところを剣の光がアーサーを生き返らせ、史上最大級の逆転劇を遂げた。
数々の伝説を為してきた静かな剣の身に、他の誰でもない、自分の顔が映りこむ。
――英雄になりたい。
いずれは自分もこの剣を手にして、数々の伝説を為したい。
他の子たちより上背があって、ずいぶん力持ちだし、勇気もある。知恵だって達者だし気配りもできて、女の子たちからも好かれる。友達もたくさん、信頼できる親友や仲間だって多い。村のみんなが認めてくれる。よく褒めても貰えた。「君はすごい存在だ」。もてはやされて育った自信と自尊心は漲って留まるところがない。そうした環境が、いや増してパレオの野心を募らせ、背中を押してやがて壮大な夢を芽生えさせた。この世にできないことなんてない、そう信じ込ませる、心の翼を授けてくれたのだ。
絶対引きぬける、確信している。