11話
「パレオ!」
ぎくっと、背中がこわばる。
大人びた女性の顔からくる既視感は、記憶野からあふれる幼きときの面影だ。
両目を交互にのぞき込んでくる彼女――癖のあるその動作をパレオは覚えていた――メリエは、返答を待っていた。
きれいと評判だった花屋の娘は、ずいぶんと、良い意味で成長していた。
ひきつった顔で「イイヤ、チガウンダ」とカタカタ言葉をなんとか絞り返して、笑うとも険しいとも違う微妙な表情でパレオは小さく手をふった。
「お、オレは単なる通りすがりのイヌ使いイテテ」
未だ頭部を甘噛みつづけるゼリドのアゴに「うそをつくな」と力がこもった。
「何言っているのよ、どうみたってパレオじゃない」
といってメリエは、パレオの旅用ケープをグイッと引っぱり、犯人を明かすように腕をさらした。かつてクタラから自由を奪った、パレオの黒い腕を。
「ほら、やっぱりそう」
パレオなんでしょう? とじっと見てくる。だが、どうしても応えられなかった。
かつて、街のルールを破り身勝手をしたパレオは、街人にとって見たら憎むべき存在だ。クタラへの帝国の介入を余儀なくさせたのは、紛れもなくパレオの黒ずんだ腕なのだ。血色失せた呪われし両腕は、見た目そのままに縁起の悪いもの、伝染する呪いであると虐げられ、親ですら嫌悪させた結果、街からパレオの居場所を完全に失わせた。
返事のないことを肯定と受けたのか、メリエは静かに口を開いた。
「あなたのこと、わたし、死んでしまっていたとばかり思ってた。みんな、とても心配していたのよ。……きっと、ご両親も喜ぶわ」
「いや、いやいや、いいんだ止めてくれ。俺が帰ってきたなんて、別に伝えなくていい。むしろ死んでしまっていると思われていた方のが、俺も気が楽なんだよ」
パレオが目をそらして言うと、予想以上に力強くケープが引っ張られて、顔を引き寄せられた。真剣な眼差しが、パレオの両眼を射抜く。
「なにを言っているのよ! 死んでおいていい人間なんているわけないじゃない! あなたのことを、みんながどれほど心配したかわかっているの!?」
あまりにも想定外の言葉に、だがパレオの心に湧いたのはむしろ街への「怒り」の感情だった。腕にこもる黒い力が、心を覆い尽くして、めきめきと負のオーラが沸き立つ。
「そんなこと、わかるもんかよ。俺が街を出たのは、この街が大嫌いになったからだ。街の人間が憎かった。君は知らないのか? 悪魔、疫病神、呪われた子。俺が浴びせられた言葉だ。父に出ていけと怒鳴られ、ならば本気で出てってやるよと、誓って街を飛び出た。ここまで死ぬ思いをして生きてきたんだ。俺がどれほどに、この場所を恨んだと思う? 街が俺を憎んだように、俺もこの故郷が、心底憎いんだよ」
メリエの腕が、ふいにパレオを包んだ。
突然胸に飛び込んできたかと思うと、パレオの紫腕をすり抜けて、華奢な腕が背中へ回される。きゅっと圧をかけられてしばらく、胸元で響いたのは涙のまじった声だった。
「英雄に焦がれ目指していた男の子は、どこまでも高く高く上を見つめていた。英雄を追い求めていたあなたの姿は、本物だったわ」
――おかえりなさい、パレオ。
体内を蔓延する黒ずんだエネルギーが、対外的な温もりによって急激に収縮し、心に落ちつきが戻る。どんな言葉を選んだらいいかも、体をどう動かせばいいのかもわからず、ただ茫然としてしまう。迎え入れてくれる人間など、ついぞ想像をしていなかったのだ。
いや、拒絶していたのはパレオの方だ。
きっかけがなければ、二度と戻るまいと誓った場所。
「この紋章、帝国のものだわ」
胸元に輝く帝国の証を、メリエは驚きまじりの表情で見つめた。
「俺は……この街を裏切ったんだ」
街からみれば、帝国は決して関わりあいたくのない相手――敵だ。
勝手に街を出るならばまだしも、帝国のイヌとなって舞い戻ってきたことを知られて、さすがに罵られる、そう思った。だがメリエは、パレオの想像とは百八十度違う、満面の笑みをみせた。
「すごいよ……本当にすごい」
みたび、脳内をめぐる既視感。
――すごいよ、パレオ!
あのころ、エクス・カリバーに罰せられるまで、確かにパレオは周りから褒められることが多かった。何をしても満点に近い所業を為せた。だから芽生えた自らの慢心に、押しつぶされて見えなくなった。まわりにかけうる迷惑を想像することかなわずに、利己ばかり追いかけ続けた。英雄になりたい、剣を手にして、だれよりも強くなって、真の王となり、その力を誇示したい。
結局は、多くの民を導く真の王とは真っ向から逆のことをしでかしたのだ。
それがパレオの限界だった。