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八鬼  作者: 城谷結季
8/13

隠事

タイトルは「かくれごと」と読みます。

 ベッドが二人分の体重で鳴く。

 引かれたカーテンの隙間から一筋の光が差し込み、部屋の一部を照らす。

 少し節くれだつ指がそっと金の前髪を掻き上げると、ばちりと人形のように長い睫毛が動き目の前にいる人物をその瞳に捉えた。


「サイアク。あんたの顔二度と見たくない」


 紅が濃く引かれた形良い唇から目覚めの第一声が飛び出し、退治屋は嗤った。


「光栄だね」


 相変わらずだ、といったように肩を竦ませるとすぐに立ち上がり出口へと向かうが、静止の声に歩みを止めた。

 振り返れば何か思案気な顔で夕香は床を見つめている。その細い指で頬を一線なぞると、慎長に言葉を紡ぎ出す。


「彼女は何者なの?あんたのことだから何か考えがあるんでしょ? このままじゃ妖は……」

「焦るなよ。焦ったところで結果が出るわけじゃない。うちとしても益のないことは避けたいからね」

「益って? 彼女がいると詐欺まがいのあんたの家がつぶされるのを恐れてるようにしか見えないのよ。全て教えてなんて言わないわ。退治屋をやっていく上で必要な情報くらいはきちんとこっちにも伝えろって言ってんの」

「伝えているさ、必要なことは。俺には君がそれ以上の情報を求めているように思える」

「気のせいじゃない?」

「ならいいけどね」


 白熱するかと思われた会話は夕香が引いたことにより、静けさが訪れる。けれど退治屋は動くことなく、じっと夕香を見つめたまま。


「なによ」

「何か隠してるのは君の方……なわけないか」


 あからさまに溜息などついて退治屋は出ていった。閉められた扉に枕が激突する。


「あーん、もうむっかつくあの男! ほんといるだけで害虫……じゃなかった。ゴミだわ!」


 絶対に部屋の外まで聞こえているであろう音量で叫ぶと、夕香は部屋を出ていった。





 朝、いつものように境内の掃き掃除をしていると頭の中で凛とした音が響いた。

 動かしていた手を止め音の発生源の方向を見やるが、とくに何もない。そろそろと近づいていくと、敷地の境界付近でどくりと胸が鳴った。

 ふと昨日の八鬼たちの言葉がよみがえる。


『これからは君を狙う妖が増えるだろう』


 足が震えた。

 呑み込んだ唾液が途中で引っかかり、指先がだんだん冷えていく。そんな体の反応とは裏腹に、体の奥底から燃え立つような感情がせり上がってくる。

 ゆらりと影が蠢いた。途端に見えない壁に激突したかのような衝撃音がする。

 結界に守られたこの神社に入ってこれないもの。それはひとつしかない。

 すぐ近くに妖がいる。また心臓が高鳴った。


「綾乃!」


 鋭い叫びに似た呼び声にはっと振り返れば、祖父が真っ青な顔で駆け寄ってきていた。


「お祖父ちゃんは来ないで」

「しかし」

「大丈夫だから。スボルノなら私一人でできる」


 結界を張っているのは祖父だったから、気付くのは当たり前だろう。

 兄の二の舞にはしたくない。それが伝わったのか祖父は押し黙り、すっと札を差し出してきた。


「危険を感じたらすぐにここに戻りなさい」


 真剣な眼差しの祖父に笑いかける。普段あまり表情を表さないでいたから、きちんと笑えているかはわからなかった。

 祖父の思いが込められた札を懐にしまい、結界から足を踏み出した。


「え……」


 視界に飛び込んだのは、毛を逆立てて唸る三毛猫だった。その目線の先には大きな赤い一つ目の妖――スボルノ。綾乃には気付かずじっと猫を見つめ、その瞼がばちりと閉じると威嚇していた猫が突然力を失ったかのように倒れた。飼い猫だったのだろう、その首元の鈴音が凛と悲しむようにひとつ鳴り響いた。

 素早く猫を抱え、脇に避ける。まだ温かいぬくもりがあるものの、その目は開ききって息もなかった。

 粘りつくような視線を感じる。動く気配はないが、じっと見つめられているのがわかる。

 一連のことを考えると、この妖と視線を合わせてはいけない可能性があった。もしくはその目に姿を映してはいけないのかもしれないが、それはもう遅かった。

 猫にしたように妖が瞼を閉じる前に先手を打てば変わるかもしれない。

 右手で垂れた髪を数本引き抜き息を吹きかける。瞬きよりも早くその形は鋭く長く丈夫な針状の武器へと変わった。

 何かを察したのか妖が身じろぐ気配を感じ、慌てて数本投げつける。当たったようだが致命傷ではなかったらしく、後方へ飛ぶと今までいた場所に棍棒のようなものが叩き下ろされていた。

 どうやら先程の攻撃は妖を怒らせたらしく、人くらいの大きさの棍棒を何度も叩きつけるように振りまわしてくる。両腕を交差させ意識を集中させ、その攻撃を受ける。

 地震のように地面が揺れたかと思うと、見上げた先に大きな物体が倒れている。さきほどの妖だった。

 どうやら妖は自分で振り下ろした棍棒が綾乃の術により跳ね返りそれで頭を打ったらしい。妖の額にはその名残りがあった。


「こ、こんな簡単に……」


 予想外の結末だった。

 もっと苦戦すると思っていた綾乃は拍子抜けし、そっと近付く。

 足はないが人の腕に似たものが生えており、灰色がかった髪が地面に広がっている。

 かつて妖は“人”に似た姿で人と変わらぬ生活をしていたのだとヨモツグリから聞いたことがあった。

 そっと息を吐く。まだ姿が残っているということは気絶しているだけなのだろう。

 起きてしまう前にと、両手を妖の上にかざす。


「あなたのいた場所へ……還りなさい」


 言葉にすれば自然と意識を集中させることができる。妖は金色の粒子となり消えていった。

 しばらくそこに立っていたが、猫を埋葬することを思い出し境内へ戻った。





「えー! じゃあ今日綾ちゃん来れないの!? つまんないっ」


 退治屋の部屋に甲高い声が響く。朝子が危うく落としそうになった盆を抱え直し、丁寧に机に人数分のお茶とコーヒーと炭酸飲料を並べる。


「仕方ないよ、お母さんの付き添いだっていうなら。入院してたらしいから」

「もしかして脱走しちゃったのかしら」

「さぁ、そこまでは」

「でも綺麗、というより可愛らしい方……だったんですよね? ということはまだお若いのですか?」

「そうなの。ある意味人じゃないわね」

「たしかに人ならざる雰囲気はあったかもね」


 微妙にズレた二人の感想にも、朝子はすんなりと頷く。


「綾乃さんも整ったお顔立ちですもんね……」

「朝ちゃんも十分可愛いわよ」


 無意識の呟きだったらしい朝子は夕香の返答にむせた。追い打ちとばかりに退治屋にも褒められ顔が林檎のように真っ赤になってしまった。


「じゃあ今日の退治はどうするの?」

「延期。多分……出てこないから」


 意味深な退治屋の呟きに夕香が怪訝そうに聞き返すも、すぐにいつもの笑顔で何でもないと答え、その反応に夕香がキレた。


「情報は共有するって言ったじゃない」

「必要なことは伝えてるって、さっきも言っただろ」

「信じるわけないでしょう! あんたみたいな平気で嘘吐く詐欺師の言うことなんて」

「人間、嘘をつくこともあるさ。それにしても詐欺師なんて酷いこと言うな。さっきも寝起きでそんなこと言ってたが、いつ僕が詐欺したっていうんだい」

「顔が詐欺師っぽい」

「それこそ酷いなぁ」


 口喧嘩から次第に落ち着き普段の会話に戻っている様を、朝子は微笑ましそうに眺め、そっと窓の外に目をやっていた。





 白い扉を目の前にして数分が経過している。横に引くだけなのにうまく掴めず滑り、少しして再び取っ手を掴むのを繰り返すが、問題は決心がついていないからだということなどわかっていた。

 深呼吸をし、再び手を上げた時だった。


「面会……かしら」


 背後から突然声をかけられ思わずびくりと体が反応する。集中しすぎて気付かなかったようだ。振り返ればどこか困惑の表情を浮かべる看護師がいた。


「鳴海綾乃です。母の見舞いに来ました」


 とりあえず名を告げれば、なぜか慌て出した看護師はすぐに扉を開け中に入るよう促したので、そっと足を踏み入れる。

 昨日母は父に連れられすぐに病院に戻ったが何も言わなかったので、初めてこうして病室を訪れた。

 一人部屋のようで、狭いが小さな洗面台などもあり綺麗だった。父が活けたのか、薄緑の小瓶に小振りの花が天に向かって咲いている。

 眩しく射し込む朝日に照らされた室内に、ぼうと人形のように佇む人がいた。その体に不釣り合いな大きく白いベッドに、ただ無機質に座り空を眺めている。


「お母さん……?」


 呼びかけたけれど反応はない。看護師さんがそっと耳元で説明してくれる。


「夢さんは普段こうしてぼーっとしていることがほとんどなの。話しかけても触っても反応はないわ。でもきっと聞こえていると思うの。だから、話しかけてあげて。きっと喜ぶわ」


 「何かあったらナースコール押してね」と言葉を残して看護師は出て行った。

 後にはただ静かな沈黙があり、耐えきれずそっと母のベッドに近づきそばにあった椅子に腰かけた。


「お母さん」


 呼びかけながら母を見る。肩より少し上のショート、歳に合わない小さな体。そっとその手に自分の手を重ね呼びかけると、ぴくりと肩がはねた気がした。


「お母さん、綾乃だよ」


 今度ははっきりと母が反応を示した。ゆっくり、ゆっくり、体の向きを変え顔を動かす。動き始めたばかりの機械仕掛けの人形のような覚束ない動作で、やがて目が合う。


「お母さん」


 ぱちりとひとつ大きく瞬きし、貝のようにぴったり結ばれた口が開き吐息と混じって声が聞こえた。


「あ……ああ……」

「お母さん…?」

「ま、な……あ」


 何かを言いかけたようだが、ふっと驚いていた表情がなくなりまるで今目覚めたかのように目を瞬かせゆっくりと話し出した。


「綾乃……?」

「お母さんっ……わかる、の?」


 声が掠れて思ったより動揺していることに驚くも、それより母がしっかりと自分を見て名前を呼んでくれたことの方が……嬉しかった。

母はにっこりと笑う。今まで無表情だったとは思えないほどの綺麗な笑みだった。


「…………わかるに決まっているわ。良い子ね」


 そっと病的に白く細い指が頬に触れた。いつの間にか流れた涙を拭ってくれたようで、そのまま小さい子供にするように頭を撫でる。くすぐったいような嬉しいような、恥ずかしくて思わず顔を背けてしまったが、母はくすくすと笑ってまた「良い子」と呟いた。

 聞きたいことや言いたいことはいっぱいあるはずなのに、言葉に詰まって何も口にすることができないまま、その後病室に来た看護師が慌てて先生を呼びに走って行く足音をどこか遠くの出来事のように聞いていた。



8/21 変更

「お見舞いの方……かしら」→「面会……かしら」


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