信用
お久しぶりです(・ω・`)
量を倍にしました。
梟の声が響く夜。少し太りかけた朧月を見上げ足早に家を出る。
木彫り用の材木を取りに行くのが名目だが、もしできるならあの男ともう一度会いたかった。おそらく全てを知るのはあの男だ。祖父や退治屋に聞けないことも、あの男なら教えてくれそうだと思ったから。
ひんやりと体を包む冷気に体を震わせながら森に踏み入る。落葉で柔らかい土をしっかり踏んで歩いていると何かに躓いた。慌てて手を出そうとした辺りが急に壁となり、転ばずぶつかる形となる。
「危なかったね。大丈夫かい」
そのままそっと抱きしめられ身動きができなくなった。
期待通りに現れた男。何だか読まれていたような気がしてしばらくおとなしくしていると、両肩を支え態勢を戻す手助けをしてくれる。
「ありがとうございます」
頭を下げてお礼をすると頭を撫でられる。
「本当に……大きくなった」
しみじみと呟く男はほんのりと笑みを浮かべているようだった。
ずっと考えてきたことがある。「あのとき」は七人の鬼しかいなかったのに、『マナツグリ』だと言われ、その使命を受けた。目の前に立つ男はあの場にはいなかったのにその七人から「あのとき」を聞いた、その意味を。
「あなたは、ヨモツグリ……?」
ふっとこぼしたような笑い声。間髪入れずに肯定の返事がきた。
「君は『マナツグリ』になるために生まれてきた子だ。空はそれを承知で君を生んだんだよ。どんなことになろうとも、一族のために」
男の指先が頬を掠めた。
「どれほど堕ちようとも彼女は華だった。力を持つ者を生むのは命懸けなんだ。精神に異常を来すだけで済んだのは、彼女が妖一族の長だからだよ。そして君はその力を受け継ぐ最後の華だ」
「華……?」
「一族の女性……妖の中の妖をそう呼ぶ。一族をまとめられるのはその華の長だけだ」
横髪を優しく梳かれ、緊張していた体から力が抜けていく。
そっと手を持ち上げられ何かを乗せられる。軽く握ってそれが木材であることがわかった。
「今日は帰りなさい。話があるのなら明日の昼にまたここへおいで」
くるりと男は背を向けると、そのまま去って行った。
渡された木材をぎゅっと握りしめ森を出た。
「とりあえず何事もなくて良かったですね」
朝子は机の上に人数分のお茶を置いていく。相変わらずそれぞれ別種類だった。
「そうね、ほんとに何もなかったわ。こっちはね」
輪っかのような物を指で回しながら夕香は事務机の端に乗っかり、不機嫌そうに呟く。退治屋は書類を整理しながら夕香の呟きに「仕方ないだろ」と宥めている。
「まさかあんなことになるとは思いもよらなかったからなぁ」
徐に煙草を取り出したが夕香に叩き落とされ、二人の口喧嘩が始まり朝子が止めに入って行く。
朝子に入れてもらった紅茶を啜りながら退治屋たちに話した出来事を繰り返し思い出す。
皆には妖が現れ退治したところに女性が来て気を失ったと話した。母がしたこと、妖の言葉を聞いたことは伏せた。
ヨモツグリは退治屋についていけば問題ないと言っていたけれど、祖父を思うと全て話すことはためらわれた。
信用していないわけではない。けれどこうして退治屋たちと妖に向き合うならば、正確な情報と何より自分が理解しなければ伝えることもできない。
母が昔封印された妖の一族なのだとは未だに信じられないのだから、誰が聞いてもそうだろう。
「おかわりはいかがですか?」
声に気付いて顔を上げると朝子がティーポットを持って隣に立っていた。おずおずとカップを出すと適量を注いで今度は退治屋にコーヒーを淹れる。いつの間にか喧嘩は終わり、何やら青いファイルを取り出していた。
「一応綾乃ちゃんも頭に入れておいてほしいんだけど」
「はい」
「うちは日給で」
「え? 給料なんてあったの?」
夕香が信じられないとでもいうような顔で退治屋の隣に座る。その様子からもらったことがないのだろう。
「現金支給じゃないから」
納得したような二人の表情に首を傾げる。
「月末にまとめて払うのが基本だけど、希望あったら聞くよ」
ファイルから二枚の紙を取り出し目の前に並べられる。ボールペンを差し出されて記入しろということなのだと納得するも、その前に退治屋なんて会社でも店でもないのにと不思議になる。
「綾ちゃんは知らないでしょ。ちゃんと説明しなきゃ。あのね、宗谷のうちは特殊なの」
「系統的には鳴海家と似てるよ。ただうちは俗世にも色々手出してて、この退治屋もその一環さ」
「金持ちの道楽って感じ」
さり気ない夕香の言葉に驚く。前に朝子がもらっていた服はそういうことなのだと気付いた。
「でも、私は……この力で妖の暴走を止めたくてここへ来たんです。少しでも役に立てれば、私の知らないことがあれば知りたくて……だから」
「いらないはなしよ。プレゼントだと思えばいいのよ。頑張ったご褒美」
綺麗なウインクで押し切られ、断れずに紙に視線を落とすもこれといってほしい物などなくてまた後でということになる。
壁にかけられた時計を見ればそろそろお昼だった。
「あの、今日は妖退治は……」
「ああ、ないかな。あるにはあるけどちょっと準備が必要でね。何か用事?」
こくりと頷けば「今日は綾ちゃんいないのね」と寂しげに夕香が呟いた。
「あの、綾乃さん。途中までご一緒してもいいですか?」
朝子がなぜか手を握って目で訴えてくるので頷くと、玄関に引っ張られた。
「それじゃあ買い出し行ってきます!」
「僕かつ丼」
「いつものー。気をつけてねー」
ひらひらと手を振り見送る夕香を背に外へ出ると、風が吹きつけた。
「寒いですね。行きましょう」
笑顔で歩き出す朝子に違和感を覚えながら後をついて行った。
買い出しを手伝い少し道を戻っていると、朝子がふと口を開く。
「夕香さんって宗谷さんのことどう思っているんでしょう」
唐突な質問に答えあぐねていると、返事は待たず彼女は続けた。
「夕香さんと宗谷さんはご親戚なんだそうです。昔から喧嘩ばかりしていたようですが……仲、良いですよね」
いつも通りに振る舞っているようだがその言葉はまるで羨ましいとでも言いたそうだった。
「退治屋さんが好きなの?」
途端に耳まで赤くなりあたふたし始めた朝子は、「また明日」と告げると駆け足で戻って行った。
そういうことには疎いがおそらく朝子は退治屋が好きで、夕香と退治屋の関係を羨ましく感じているのだろう。
そっと息を吐き出し、路地に入る。境内に足を踏み入れると父が立ち尽くしていて思わず足を止める。それに気付いた父が振り返った。
「昨日は……すまなかった。おまえのせいじゃないことはわかってるんだ……」
五メートルは離れているだろう距離から動かず、ただお互い見合った。
昔より少し痩せたなと思っていると父はくるりと背を向け家へと向かって行ったので、自分も森へと歩き進める。
地面は鮮やかに彩られ、団栗があちこちに顔を並べている。時々思い出したように風が吹き、冬が間近であることを感じる。少し前までは小春日和だったというのに季節はあっという間に過ぎていた。
たとえ自分が止まったとしても、時間は砂のように流れ去っていく。そしていつまでも使命はついて回る。それならば一刻も早く終わらせたかった。何の為か、その答えなど存在しなくても。
森に入ってしばらく歩いていると、木にもたれかかり目を閉じている男の姿があった。一目でヨモツグリだとわかり、近づいて行く。
今まで暗闇で会っていたからわからなかったが、この世のものとは思えないほどの人間離れした容姿と雰囲気を纏っている。精巧につくられた人形のようだと思わず溜息を吐くと男の長く垂らされた髪が揺れ、視線が合った。
「待っていたよ。さぁ、おいで」
差し出された白い手に躊躇していると、さっと手を掬われどこかへ連れて行かれる。
どんどん奥深くまで入って行くので帰り道を心配しながら辺りを見回していると男が笑った。手を離される。
「ここに座って」
そこには不自然に木製の机と長椅子があった。開けた場所で意図的に作られた場所なのだとわかる。
言われたとおり椅子に座ると男は満足げに微笑み、手を組んだ。
「昨日約束した通り、君の疑問に答えよう。何でもいいよ。言ってごらん」
優しい声色だったがどこか楽しんでいるよう。それは無邪気なものでも心からそう思っているものでもない気がした。今までの紳士的振る舞いもそう演じていただけなのだろうかと思うと、背筋が凍りつく。震える指を押さえ息を吸う。
「妖って一体何なのですか」
男は嗤い、そしてすぐに表情を崩す。憂うように瞼を下ろすと話し始めた。
「妖は人が存在する前から世界を支配していた。古き神との契約を準じ、彼らにより近しい存在を“華”と呼び育て神の御許へ捧げるのが妖の役割にして存在理由。しかし人の欲望や二種族の混血化で衰退し、神も消え、理を失ったためにあのようなものになった。退廃というのだろうね。もはや獣と同じ……だから必要なのだよ、彼らを昇華してやることが」
ざわっと吹きつけた風が男の横顔を隠す。おさまった時には開いた目でどこか遠くを見つめていた。
「それなら、あなたたち鬼は一体」
「我々は妖一族を管理する立場にあった。私たちには妖たちをこの世から消す使命がある。しかしこの森からは出られぬ呪いを受け、誰かに託す他なかった。それが君だ。昨日も話したが君の母親である空は歴代最高とまでいわれた華長だ。一族の意に背き封印されたとしても彼女の血ほど確かなものはない。森へ戻ってきた彼女は身籠っていた。力の順応は幼いほど良い。だから私は彼女と約束をした」
紅い葉が机へ舞い降りる。おもむろに男はそれを拾い上げくるくると回す。
「何もなければ君は違う人生を歩んでいただろう。空も狂うことはなかった。君は誰も失わずに日々を過ごしていたかもしれない。巻き込んだ我々を、君は恨むかい?」
唐突な質問に慌てるも、考えたこともなかったからどう答えるかしばらく悩む。
たしかに「妖退治」という使命がなければ今とは全く違う状況にいただろう。だがそれを想像することはできなかった。
小さく首を振ると男は笑む。けれどそれは胸を締め付けられるような顔。
男もその仲間も似た境遇にいるのだと気付く。
ふと言葉がこぼれた。
「頑張ります」
自分だけの問題ではないのだ。母も鬼も妖一族のために引き受けている。たとえそれが無理矢理課せられたものだとしても、何もせず見過ごすことはできなかった。自分のせいでいなくなってしまった兄に対しても。
考え込んでいると突然頭を優しく叩かれはっと顔を上げる。いつの間にか すぐ目の前に男が立っていた。
「気負うな、とは言えない。何もできないが我々はいつでも君を見ている」
男が離れる。その後ろに七人の男達がずらりと並んでいた。
お気づきの方がいらっしゃるかはわかりませんが
私の作品「花盛りし、夜の宴」というお話が殻之夢が封印された話になっております。
その前作が事実となるのですが、「八鬼」で登場する史実では全く異なったものが綴られております。
こちらでは夢は妖にとって悪者になっておりますので
もし前作を読んで気になっていらっしゃった方は混同されないようご注意ください。