携帯
分割したせいで中途半端になってしまいました。
起きたと思ったら昼だった。
いつもだったら少し肌寒い朝、境内の掃除を始める。どれほど遅くに寝ても、一睡もできずとも必ず決まった時間に起きられた。
あの男と会ったからだろうか、と頭を捻りながら身支度を整え居間に向かう。
祖父が一人うどんをすすっていた。
きちんと向かいに綾乃の分も用意してある。きっと朝もそうだったのだろうと思うと、素直に「ごめんなさい」と言葉が出た。
祖父は体調のことを聞いて心配してくれた。それはいつもの祖父、いつもの日常だった。
お昼御飯を食べ終えると、倉庫へ向かう。
少しずつ掃除をしていたがまだ埃っぽさがある。年代物の古びた本や資料、祭祀の道具などを丁寧に移動させ掃き掃除と拭き掃除をする。
木材でできた棚も壊れていないかなどを確認しながら、道具を元の位置に戻す。
本の埃を落としながら眺めていた時、神社ができるまでの歴史を綴った冊子にひかれ手に取る。
今までずっと過ごしてきたけれど、神社について知ってることは少ない。無念に亡くなった人々の為に建てられたという空衣神社。
形が崩れないか確認しながら開く。文字は読みづらく、漢字が多い。意味を理解しながらページを読み解く。前書きから、どうやら神社ができた理由を述べているようだった。
『殻之夢、此処に眠る』
序文の出だしから、誰かの為に建てられたのだとわかる。しかし聞いたことのない名だった。
『闇負いし空が永久なる眠りから目覚め出づる事無きよう、命を賭して華長は封印をかけた。空の……』
「多分空はここに封印されている人物のことだろうねぇ」
突然背後から声がして、驚きで体が固まる。急に現実に引き戻されて理解ができず、声で退治屋だとわかった瞬間、振り向く。
「おじ……祖父に、会いましたか?」
「ん? 今日は会ってないよ。君を迎えに来たんだ、綾乃ちゃん。今日大物狙うから手伝ってほしくて」
あごに指をかけながら、退治屋は綾乃の読んでいる本を覗きこむ。そのまま渡せば、興味深そうに読み、現代語に直して説明してくれた。
「一族の中でも有望と称された空は紅との頂点を巡る争いに敗れ、一族を裏切り破門の道を開く。闇に身を堕とした空は仇敵紅にその危険性から封印され、その心を鎮めるため彼女を祀る社が建てられる」
「お墓……?」
「近いね。別にご利益があるわけでもないみたいだしね」
神社にご利益を求めていいのだろうかと思いながら道具を持ちあげる。
退治屋はぱらぱらと本をめくり、閉じる。そして綾乃の周りにあった道具をしまう手伝いをしてくれた。
やがて綺麗に整った棚を見て、退治屋は手を叩くと「行こうか」と促す。
綾乃は境内に祖父がいないことを確認してから出た。
「ところで綾乃ちゃんは携帯持ってる?」
「持ってないです」
昨日とは逆方向に、つまり退治屋の本拠地へ向かう道を歩く。やはり交差点付近になると人通りが激しく、赤信号になっても渡りきれないお婆さんによって車が止められている。
それを見た退治屋が駆けてお婆さんのために交通整備員のようなことをしていた。
綾乃は一瞬ためらったものの、お婆さんの杖を持っていない方の手にあった荷物を代わりに持ち、一緒に渡る。
やがて交差点を渡り切ると、退治屋は車道方向に頭を下げ、お婆さんに向き直る。
ひたすら感謝の言葉を述べるお婆さんに丁寧に応じ、荷物を持って行こうかと申し出るももうすぐそこだからとやんわり断られる。
お婆さんと別れた後、退治屋は軽く謝りながら携帯の話の続きを始めた。
「多分それ、信号待ちが嫌だからよ。普段はしないから」
退治屋の部屋に着いて何かを取りにまた外へ出ていった彼のいない間に、夕香に先程のことを話すとそんな答えが返ってくる。
「どうせお婆さん助けるフリして一緒に渡っちゃえーとでも考えたんでしょ。だから誤解しないでね、綾ちゃん。宗谷は屁理屈屋でヘビースモーカーでアル中のゴミよ」
「ひどいね。ヘビースモーカーなのは否定できないがアル中ではないよ。君が飲まなさすぎるんだ。綾乃ちゃん、こんな奴の言う言葉は信じるべきではないよ」
いつの間にか玄関に退治屋が立っていた。オレンジの紙袋を下げ、眼鏡を押し上げると部屋に入る。
「あら、お帰りなさい。別に帰ってこなくてもよかったのに」
「言っておくが、ここは僕の部屋だ。泊めてやったのを有り難く思ってほしいね」
「起こしてよ」
「起こしたよ!起きなかったのは君だろう!」
「怒ってると高血圧になるわよ」
「話逸らすなよ!」
そんないつかとは逆のやりとりを繰り広げ、やがて退治屋が負けたらしく逃げるように綾乃に向き直ると、袋を差し出してきた。
「一応持ってて。これからも連絡が必要な時あるだろうからね」
綾乃はおそるおそる中を確認する。白い箱を開ければ、赤い薄型の携帯が綺麗におさまっていた。
「もちろん全額宗谷の負担よね?」
「まぁね。雇い主だし」
「私は?」
「君は勝手についてきたんだろ。しかもこれ以上は僕も無理」
「けち!」
二人の会話を聞きながら、ここに来るまでやたら退治屋が携帯の話をしていたことを思い出す。これのことだったのだと気付いて、頭を下げる。
「ありがとうございます」
すると二人の口喧嘩は止み、穏やかな笑顔が浮かぶ。
「こっちも君と連絡取れないと面倒だからね。今日みたいに迎えに行けるわけじゃないし。あ、妖退治のときは使えないこともあるだろうけどね」
「電磁波にやられるのよ。だから電波は狂うのよねぇ」
「一番のエネルギー源だから仕方ないさ」
そう言いながら二人で携帯の設定と使い方を教えてくれる。
アドレス交換まで終わったところで、今日退治する妖について退治屋は語りだす。
「譲恋々丘で時々、長髪の美女が出没しては話しかけてきた人間をどこかへ連れ去っているらしい」
「幽霊じゃないの?組織的犯行とか」
「いや、同業者から入手したから間違いないよ。そいつは今入院中。なんとか帰ってきたらしいけどね」
やれやれといった風に両手を上げ、退治屋は冷蔵庫からペットボトルを取り出すと三人分のコップに注ぐ。それを見ていた夕香が突然怒り出す。
「なんでドク×じゃないの!」
「一人で飲んでろよ!」
「朝ちゃんならわかってくれるのに!」
「彼女は学校だよ、学生だよ!僕に期待するな!」
「最初から期待してないわ!」
「じゃあつっかかってくるなよ!」
「当たり前のことだからよ、なんでわからないのかしら」
もう退治屋はげんなりとしていて、仕方ないようにドク×を冷蔵庫から取り出しそのまま夕香に突き出した。
「最初からそうすれば良いのよ」
昨日とは違い押され気味な退治屋は自分と綾乃の分のコップだけを机に運ぶ。礼を述べると疲れたような笑みが返ってきた。
「何かあったんですか?」
自然と出た言葉に退治屋は暗い顔で答える。
「何でもないよ、何でもないさ。君が気にする必要なんてない……ああ、そうだった。で、今日の退治についてだね……」
「話しかけたら連れてかれるんなら、話しかけずに近づけばどうなるの?」
ドク×を飲んで落ち着いたらしい夕香が綾乃の隣に座る。ふわりと香水のかおり。柑橘系なのか不快ではない。
「消えてるらしい。だから話しかけずに仕掛けるのは難しいね」
「男性だけ?」
「ああ。だから僕が行く」
「わかったわ。助けない」
「結構。君の助けはいらない。綾乃ちゃんに協力してもらうからね」
そう言うと退治屋はひとつのお札を綾乃に渡す。祖父のくれたものと似ているようだが、こちらは薄く黄色が入っていて文字の形も違う。どういうことなのかと退治屋を見れば、彼は自慢気に笑う。
「うちの秘伝の対妖用道具の一つ、『飛車駆輪』だよ。狙った所まで瞬時に移動できる。君なら問題なく使いこなせるはずさ」
そうして退治屋に使い方を教わっていると、玄関の扉を開ける音と元気な声が聞こえた。
「お邪魔しまーす!」
女の子らしい声は朝子。近くの椅子に鞄を置き、きちんと手を洗ってから挨拶をする。
「こんにちは、綾乃さん、宗谷さん。夕香さん、どうかなさったんですか?」
その途端夕香は朝子に飛びつき、わたわたと混乱している彼女に退治屋にいじめられたと騒ぎ始めた。
退治屋は弁明するように一生懸命相手をするがなかなか終息せず、間に挟まれた朝子は更にパニックになっていた。
綾乃は引きこもり友達なしの生活しています。
ほとんどの時間は木彫り人形を制作中。