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六章■耳痛む紺碧

 窓一つない蔵内に足を踏み入れた。開かれた扉から射し込む光だけが、進む道を教えてくれている。暗闇が恐いのは、何があるか分からないからだ――夜釣りの帰り、祖父が手を引いて言った言葉を思い出した。

「ヨドウさんは、この奥に行ったことがあるんですか?」

 つい、続けて入ってきた氏に声をかけた。

「残念ながら、涼んでいただけだよ」

 わずかに彼の口元から息が漏れる――ボクは自分の心を読まれたようで恥ずかしかった。


 敷き詰められた石が、ゴツゴツとした感触をボクの靴裏に与える。左右に整然と並べられた棚と家具。振り向いた扉の先は、眩しい緑の世界――あまりにも光りに満ち美しく咲き競い合う草花達、もう二度と戻れない気さえしてくる。

 眩し過ぎて目を閉じた。

 せっかく闇に目を慣らしたのに――また、視界が悪くなっている。暗闇か光りの世界を見つめ過ぎたせいだ。

 先ほどまでの蔵内の様子を思い出し、感覚で歩く。

 ガツン!

 何かにぶつかった。なんだろう?

 当ったのは膝の辺りだから、ずいぶんと背の低い調度品だ。目を凝らしてもなかなか全容が見えて来ない。仕方ない、目を瞑るか……。さて目の前にあるものはなんなのだろうか。自分の記憶にある蔵の奥へ続く通路には何もなかったと思ったが――。

「シュナくんは怯えてないかい?」

 ヨドウ氏の声に目を開けた。

「眠っていますよ……」

 そう言い掛けて止まる。胸ポケットに当てた手の平が、平らな表面を感じ取ったからだ。

「いません! ヨドウさん!」

 暗闇の中、見失ったらボクでは見つけることはできない。土埃のする地面に膝を擦りつける。目を凝らし、耳を澄まして気配を探るが分からなかった。

「近くにはいないようだ……」

 いつも迷いのない言葉を語る彼らしくない、小さな声。ボクは真っ青になった。生き物の心が読めるヨドウ氏――彼にすら分からないのだから。もう本当に出会えないかもしれない。

 別れの予感に、ボクは思わず叫んだ。

「シュナ!!」

 呼び声になんの反応もない。次第に慣れてきた目を凝らし、耳をそばだてた――小さな音一つ逃さぬように。その時だった。

 低い音を立てて一際強い風が起こった。目を開けていられない。ここへの最初の接点――トンネルで感じた風のように。土埃が舞い、ボクは激しくむせ返った。シュナを探すため、ほぼ腹ばいになっていたので直激を食らってしまったのだ。

 ゴホゴホと不快な空気を肺から追い出す。

 綺麗な空気を求めて、ボクの足を止めたあの塊にすがりついた。

 冷たい!!

 黒い塊――それは氷と間違うほどの冷たさを持って、ボクの頬を迎えたのだ。ボクは反射的に体を離した。なんて冷たいんだろう――ここの風が冷たい原因はこれなのだろうか?

 ただの岩のようにも見える。しかしその形はどこか人工的だ。なにをかたどっているというのか……。

 暗闇の中、はっきりしない輪郭を必死に捕らえる。

    

 鳥?

    

 正面が三角に突き出している。わずかにくぼみがつけてある翼らしき左右。地面と接している部分は上部よりも若干細く感じる。

「これを見たまえ」    

 ふいに声が掛けられた。いつの間にか冷気を発する彫像らしきものの、背後に廻っていたヨドウ氏が地面を指差している。

「穴ですね……」

 そこには彫像とほぼ同じ幅の細い空間が空いていた。わずかに開いた空間。そこから強烈な空気の出入りが感じられた――つまり、ここから風が起こっているのだ。

「シュナはここへ入ったんでしょうか?」

 ボクはすがる思いでヨドウ氏を見上げた。彼は横にしゃがみ込むと耳を穴に近づけた。

「シュナくんがここにいるという確証はない……」

「それじゃあ……」

「しかし、いないという確証もないんだよ」

 ボクはなくしかけた顔色をすぐ元に戻し、目を見開いた。

「しかもだ。入り口こそ狭いがこの奥――いや、この地下にはずいぶん広い空間があるように思える」

 確かに音は反響し、和音を奏でる。風が強い理由も、わずかに開いた隙間を大量の風――空気が通るからと言えるのではないか。なぜだろう。

 そういう風に希望的な気持ちで細い空間を見つめていると、この暗闇よりも明るく見えてくる。

「この下に行ってみませんか!」

「この像を動かせると思うかい?」

「わかりません……。でもやってみる価値はあると思います」

ボクは力強く言った。ヨドウ氏は柔和に笑うと、

「ではこうしよう」

 ベルトを引きぬいて像の周囲に巻いた。この氷のような冷たさを持つ像は、重そうではあるが下部が細い分力には弱いかもしれない。

「君はその隙間がある側から押してくれ」

 ボクは頷いて、像を挟んでヨドウ氏と対峙した。互いに息を合わせ、ボクは押し彼は引いた。小さな像のわりにひどく重い。押すうちに、広げた手の平に強烈な冷たさが伝わってくる。

 ……動け! 動いてくれ!!

 この冷たさの中にシュナがいるかもしれない――そう思うと祈らずにはいられなかった。

「う、動いてます!」

 ギリギリとわずかではあるが動いている。

「うむ、もう一度呼吸を合わせよう」

 数を数え、一気に力を加える。初老に見える彼も以外に力があるようだ。隙間が広がっていく。そしてついに倒れる瞬間がやってきた。

 唸りのような轟音をあげて、堅い地面に鳥を模した石が転がった。ボクの耳は、あの奇妙なわらべ歌を聞き取った。

「とりなし とりなし よるもなし……鳥!!」

「どうしたんだい!?」

 ベルトを外そうと近づいたヨドウ氏が、ボクの大声に驚く。

「今、わらべ歌が聞こえたんです!」  

 あのわらべ歌の冒頭部分、あれはとり――鳥を意味するのではないか?

 ボクが夜を走る列車から降り立った駅は「夜鳴鳥島」。どうにもここには「鳥」と「夜」に関するものが多過ぎる。

「この下からか!?」

「いえ……わかりません」

 反響して聞こえたので正確な方向は分からない。それどころか、耳元で囁かれた気さえするのだ。

「ただ、この鳥の彫像とわらべ歌は何か関係してるように思うんです」

「確かに、可能性は低くないな」

 彫像が倒れた後には、ぽっかりと穴が開いていた。暗いので中の様子はわからないが、空間が広がったことで和らいだ風が吹き出している。

 人ひとり通れるだけの穴――。

 傾斜になった地面が奥へ奥へと誘っている。なだらかな斜面はまるで、踏み固められたように滑らかで何人もの人々が通った道のようでもあった。

「ボクが先に行きます」

「待ちたまえ。何か明かりになるものを持ってこよう」

 そんなものがあるのか?

 問いが頭の中に浮かんだ瞬間にも、ヨドウ氏は母屋へと足を向けていた。駆け出していく足音。遠ざかる人影。この真っ暗な空間にひとりなのだと痛感する。

「耳鳴りが……」

 これが孤独の恐怖なのだろうか?

 人は何も見えない深黒に置かれた時、思考は自分自身へと内向していく。なぜボクはここにいるのだろう――。

 そんな思考が脳細胞を埋め尽くす。

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