表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

五章■墨染めの風

「驚かないのかね?」

 熱い風が吹いた。喉が再び乾き始めている――。

「どうりで、不思議な雰囲気を感じたわけです」

 ボクはヨドウ氏を軒下に誘った。


 ひんやりとした壁に背中を預けると、一瞬暗くなった視界も次第に光りを取り戻していく。夏の日差しに緑達が輝いていた。

「ボクはホッとしているんです」

 汗をハンカチでぬぐっているヨドウ氏の顔を横目でうかがった。彼はシュナを見ていた。その視線を外さないまま、優しげな表情で口を開いた。

「人間は自分と異質なものを避けようとするものだ」

「そうでしょうね」

 頷くボクにヨドウ氏は嬉々たる瞳を向けた。

「なぜ君は、私の言葉を聞いたのにホッとするのかね?」

 ボクは視線を彼の顔から外し、ポタリと雫を落す手押しポンプを見た。古いものは忘れられやすい――でも良いものだってたくさんある。労力がいるのだって、時間が掛かってしまうのだって、利点と考えることはできる。それと一緒だと思う。現世界からはみ出したものだからこそ、痛みを知り、懐かしくて温かい。

 それに、心を覗かせてくれた相手の中に、良い所を見つけられないのは淋しいことだと思うから。

「貴方という人間を一つ知ることが出来たからです」

 目を少し見張ってから、ヨドウ氏は破顔した。

「君は気持ちのいい人のようですな」

 返事の代わりに笑みを返した。

「そうだ! ヨドウさんは先ほど歌を聞きませんでしたか?」

 彼は歌が聞こえた建物の付近から現われた。少し離れたボクにすらはっきり聞こえたのだ、もちろん聞いているだろう。ところがヨドウ氏の答えは予想と違っていた。 

「いや、今さっきなら聞いていないが……」

 ボクは腕組をして考えた。なぜ聞いていないのだろう? 

 詳しく知りたいと思った――あれ? 何か引っかかる。

「もしかして以前に聞いたことがあるんですか!?」

「よーぼかよぼか……って言う歌のことだろう? 私がここへ来てから何度か耳にしているよ」

 やはりヨドウ氏は聞いたことがあったのだ。

「誰か見ませんでしたか?」

 彼は首を振った。何度か耳にしたのなら、ボクの見た白い人影を目にしているかもしれないと考えたのだが。

    

 シュナが満腹になったのか、トコトコとこちらへ歩いてきた。そっと手の平に乗せて、ポケットへ入れる。しばらくゴソゴソしたあと、シュナは午後のお昼寝とばかりに、すぐに丸まって眠り始めた。

「君は何か気づかないかね?」

 今度はヨドウ氏の方から質問が与えられた。何か――とはなんだろう?

 眩しい日差しを手で隠しつつ、一歩庭へ足を進めた。グルリと見渡す。氏が首を振って上を指し示した。  

 空を見上げた――抜けるような青空。入道雲が雲根を山に隠して育っている。強い日差しが眩しくて、ボクは思わず手の平をかざした。

「何か気づきはしないかね?」

 ヨドウ氏が質問を繰り返した。答えは空と何か関係があるのだろうか?

 指の隙間から太陽が覗く……。

「あ!」

 ボクは短く声を上げた。

 そうだ、なぜ気づかなかったのだろうか。質問の主に視線を送ると、氏は満足そうに肩を叩いた。

「このまま外にいたのでは倒れてしまうよ。こっちへ」

 誘われるまま、屋内へと足を踏み入れた。一歩入ると汗が引いていくのを感じた。軒とは違い、室内は気温がかなり低いようだ。鮮やかな世界ばかりみていたので視界が暗く、中の様子はすぐに見えてこなかった。

 次第に光りを取り戻す。打ちっぱなしのコンクリとザラリとした砂の感覚。

 ――土間だ。

 奥に炊事場と冷蔵庫が見える。


「かなり古そうですね」

「見かけはね。実際に古いかどうかは分からないが……」

 氏はまっすぐに冷蔵庫へと進んだ。小さく丸いドアを開けてジュースを取り出し、ボクに手渡す。

「おっ! こりゃいかん――」

 引き出しから線貫を手にして自分の瓶の蓋を開けた。ボクも続けて開ける。プシュッと良い音がして、再び乾いた喉を潤した。満足したところで本題へ移る。 

「ここの時間は止まっているんじゃないんですか?」

「君はどう思う?」

「このまま、暑いのは困るな……と」

 ヨドウ氏は声をあげて笑った。

 何か笑われるような事を言っただろうか?

 手にしていた空き瓶を机に置いた。結露がガラスの表面を滑り落ちて、底の形を浮き上がらせる。気温に慣れてしまったのだろう――瓶と同じだけの汗を吹き出して、ボクは今がジメジメした夏だったのだと思い出した。

「涼みに行くかね?」

 どこへ――と訊ねるボクに「まあまあ」と手招きした。彼の足は建物の裏へと進んでいた。


 一体どのくらい知っているのだろうか?

 何日もここに留まっている様子の中年は、野草達を器用に避けて歩く。まるで自分の庭を進むように。時間という観念から解き放たれた島――いや、それはボクの予測であって事実を確かめた訳ではない。でもおそらく外れてはいないだろう。

「君は私が知りたいんじゃないかい?」

「えっ!?」

 思考があの浜で聞いた地下からの音に達した瞬間だった。

 思考がどこかへ走り去ってしまった。なんて勘のいい人なのだろう。会った時から、ボクは彼の言動に驚かされてばかりだ。

「なぜ、そう思うんです?」

 一歩先を行く氏の影を踏んで、ボクは振り向いた細い目を見た。

「君はいつも、何かを知りたい――そんな目であらゆる物を見ているそうではないか?」  

 探求心――人一倍、強いと言いきれる。短時間でそこまで見抜かれていようとは。

「確かにそうかもしれません」

「ならば、私がここにいる理由やどのくらいいるのか、知りたくなるのは必然だな」

 氏が歩みを再開した。

「知りたいと思います!」

  ボクは少し猫背の後姿に言った。

「君が知りたいと思う時、いつでも答えよう……さあ、ここだ」

 安心させるような穏やかな声で、氏はボクを手招いた。   

 先ほど聞いた童謡が似合う、古い土蔵の前に立つ。 これを見ると、古めかしく見えた母屋も新品のように思えた。蔦が屋根と東半分を覆い、黒い瓦は光りを失って久しい。

 荘厳な造り――とまではいかないが、丁寧に造られたものであったことは容易に想像できた。

「鍵は……」

「掛かっていると思うのかい?」

 ボクは首を振った。

「開けたまえ」

 夏の日差しが、相変わらず照りつけている。

 しかし、体は冷たい。土蔵の前に着いた時から。

 それが本当に物理的に冷えているのか、緊張から来たものなのかボクには判別出来なかった。唾を飲み込み、剥げた黒い塗装の取っ手を握った。

 暗反応――目が慣れるまでしばらく掛かる。だが中の様子が見えてくる前に、強い風がボクの体を打った。しかもひどく冷たい風だ。次第に輪郭のハッキリしてくる調度品やガラクタ達――どれも一様に厚い埃を被っている。

 ボクは咳き込んだ。

「時間との交流だな」

「こんな交流は要りませんよ……」

 喉をすっかり害してしまい、閉口した。確かに氏が言った通り、涼しいには変わりないが――。

  しかし、この風はどこから吹いてくるのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ