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一章■橙の灯り

 夏の熱気が襲ってくる。ボクはゆっくりとホームに右足を下ろした。  

 小さな排気の音を立てて、背中でドアが閉まる。振り向くと、車内灯が煌々と灯っているのが見えた。汽車の中は夜なのだ。 

 視線をホームへ戻すと、コンクリートの上に白い矢印。ボクを誘うように、それはまっすぐに左を指していた。 

 ボク以外に降りた人はいないらしい。先が見えないほど長いホームや木製の階段。カバンを抱え直すと、ボクは歩き始めた。

 ホームの屋根伝いに、太陽が日差しを投げつけながら追ってくる。だが、突然の暑さに身体が対応できないのか、汗はいくら歩いても出てはこなかった。ひび割れたコンクリートの間から、ハルジオンが伸びている。

 なにくれなく目にして、

「!?」

 あれは、春の花ではなかったか?

 どういうことだろう?

 季節が混在している……ということなのだろうか。首を傾げたが、今は駅から出るのが先決だ。ボクは駆け足で、長い階段をかけあがった。この沿線ではよくみられる無人駅らしい。だが、ただ駅員がいないというものでもないようだった。

 必要なものだけ揃えた――そんな印象を受ける簡素な建物。日常性を感じるような張り紙すらない。もちろん無人の改札を出ようとした。

 その時だ。


 カサリ。


 音がした。切符を仕舞ったはずのシャツのポケットからだ。そっとのぞく。いや、のぞかなくても分かるほどにそれは膨れている。

 ――目が合った。

 あの小さな黒い瞳。ボクは、心の中に暖かな火が灯ったと感じた。傷つけないよう注意を払いながら、そっとポケットから取り出す。

「また、会えたね」

 今度はきちんと言葉にして、ヤマネを見つめることが出来た。周囲には誰もいないのだから。キラキラと輝く瞳を見ていると心が和む。

 低く汽笛が鳴った。振りかえると、汽車がホームに滑り込んだままの姿でたたずんでいた。まだ、車内は夜――なのだろうか?

 柱に「夜鳴鳥島」と黒い文字で書かれているのが目に入った。

 どういう場所なのか?

 ヤマネをそっとポケットに仕舞う。確かめたい! ボクはそのために来たのだ。ヤマネが導いてくれたこの場所に、かならず意味があるはずだ。 

 無人の改札を通り抜けた。


 小さな待合室は独特の雰囲気を持って、ボクを迎えた。無機質な感じを受けた構内とは違い、生きている感じがするのだ。細かいタイルが曲線的な図形を敷き詰め、貝殻を思わせる質感の壁。天井は丸く、天窓から光が差し込んでいた。中央部分からは、昔ながらのランプが一つぶら下がっている。

 童話の世界みたいだ。

 ボクは時間を忘れて見入った。懐かしくもあり、心ときめく新鮮さも持ち合わせている。名残を惜しみながら、外へと続くゲートをくぐろうとした。

 声が響いた――。 

「忘れ物があるぞ! 戻られよ!」

 ボクは思わず振り向いた。汽車に乗ってからというもの、声をかけてきたのは車掌くらいだったからだ。しかし、そこに誰の姿もなかった。当たり前と言えば、当たり前かもしれない――。つい先ほどまで人の気配すらなったのだから。  

 空耳?

 いや、確かに声はボクの鼓膜を揺らした。反射的に、ポケットのヤマネをのぞき込んだが、寝てしまったのか、背を丸め動く気配がない。

 もともと不思議な切符で、辿り着いた駅だ。訝しむ方がおかしいのかもしれない。それを確認させるかのように、誰もいない待合室に再び声が響いた。

「戻られよ」

 耳に強く響く。ボクはどこへともなく叫んだ。

「なぜだ!」

 久しぶりに出した大声は、タイル貼りの床の上を滑っていく。声は戸惑うことなく同じリズムを保ち、「忘却は罪なり、事正すまでここを出ることまかりならん」と問う。

 ボクは考えた。

 何を忘れているというのだろう?

 手荷物はこのカバンと帽子だけ。カバンの中にだってメモ帳くらいしか入ってはいないのだ。


 目を閉じて、首をゆっくり回す。何かを思い出す時にする、ボクのクセだ。天窓から差し込む夏の日差しが、帽子を通して突き刺さる。ジメっとした風に前髪が揺れた。瞼の裏は真っ暗ではなく、光りがわずかに残っていた。

 いつもと同じように、内面に向かって意識が飛んでいく感覚に囚われる。

 友人と語り合ったり、テレビを見たり、本を読んだり、いくつも楽しいことはあるけれど、ボクはひとりでこの感覚に落ちていくのが好きだ。文章を書き始めたのもあの日から。

 初めての感覚に戸惑ったあの日。

 静かになっていく頭と反対に、激しく過ぎ去っていく光りが集まりなにかを形作っていく。ぼんやりと光る幻。

  

 ――あれは、家だ。

 出てきたばかりの我が家。

 長年暮らした町。

 汽笛が響き、せせらぎが背中を押す。

 山は近く、緑濃き田んぼの上を風が気持ちよさげにそよぐ。

 出てきたばかりだというのに、郷愁が胸をつく。

 懐かしい声と心に染み付いた音。

 母がボクを呼ぶ。

 畑のモグラ脅しがカラカラと鳴っている。

 閉まりの悪かった蛇口からもれ落ちる雫が、ステンレスの流しを叩く。

 さんざめく山の緑、水たまりの氷を踏む足音。

 様々な音達が、ボクの耳に響いた。


 ああ、ボクは旅に出たんだ。


 田舎が嫌だったわけじゃない。むしろ好きだった。今は遠ざかってしまった故郷の風景。季節ごとに移り変わる色、音、匂い。背を向けて歩き出すには勇気がいる。強い意志が。それでもボクは前に進みたい。なにかが待ち受けている目の前に開けた広い世界へ。

 さようなら。

 ボクの町。

 いつか帰る――ボクの故郷。

 涙が一筋流れた。


 その雫が床を濡らした時、

「問題はなくなった。通られよ」

 声がまた響いた。そうか……ボクの忘れものは別れの言葉だったんだ。

「言葉は心なり。すべてに通ずる道なれば、忘却することなきことを望む」

 ボクの思考を補足するかのように、声は柔らかく空気を震わせた。

   

 言葉は心……か。


 忘れないでおこう、この郷愁と共に。ボクはメモ帳を取り出して、大切に書き記した。壁や行く手を阻むようなものはなかったが、忘れ物があると言われた以上思い出すのが礼儀だし義務だと思った。

 思い出すことができて良かった。ボク自身のためにも、本当に良かったと思う。

 夏の暑さが一気に戻ってきた。ジメリとした空気が、輝く外界から拭き込んでくる。アスファルトの上に陽炎が揺らいでいた。

「いよいよ出発だな……ボクの新しい世界」

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