十二章■深緑の庭で
「そろそろ、行きますか!」
ボクは帽子を取り、シャツの端でこめかみを伝う汗を拭いた。
「行くかい?」
「ジュースを飲みたい気分ですけどね」
ひとしきり笑いあって、ボクら松林を出た。とりあえず、ボクが最初に「夜鳴鳥島」についた駅に向かうことにした。海岸から一つ曲がり、あとはまっすぐの道のり。ゆっくりと陽炎に燻りながら、広い空き地が見えてきた。
「ボクはここにあった駅から来たんですよ」
ヨドウ氏は、空き地に寝ていたらしい。ボクとここにきた経緯がどうして違うのか、それは謎だった。シュナという存在が鍵だとは思うのだけれど――。
空き地の奥まできた。
「ここは草がたくさん生えているな」
「そうなんです。四季がごちゃ混ぜなんで、来たばかりの時は驚きましたよ」
ボクが笑うと、
「君は駅を背にして出てきた――そうかい?」
氏が珍しく真面目な顔で尋ねた。
「ええ、駅が消えてびっくりしたのは振り向いたからですから」
「ふーむ」
「それがどうかしましたか?」
氏はますます思案顔になり、空き地をウロウロと歩き回った。
「君は草の生え方をどう思う?」
「この場所の、ですか?」
「そうだ、建物があったと思われる場所だ」
ヨドウ氏はいつもボクに疑問を投げかける。それを読み解いた時、次の物語が始まっていく。ボクは視界いっぱいに広がる草達を見、そして考えた。何か、何かあるはずなんだ、ヒントが――。
「あれ?」
ボクは違和感に襲われた。草はそこら中に生い茂っている。いるのだけれど、どこかそれは規則的に配置されているように思われた。近づいて草の種類をよく観察してみる。
「ええと……レンゲ、セリ、ナズナ、仏の座、それからスズナ、菜の花――あれ?」
「何か気づいたかい?」
「ちょっと待って下さい。もう少し調べないと――」
ボクは左端の草むらを移動し、順に眺めながら一番右端に行った。こんもりと生い茂った草木を覗き込む。
「あった! ネコヤナギ!!」
「おいおい、どうかしたのかい?」
突然の大声に、シュナと一緒に木陰で涼んでいたヨドウ氏が驚いたようだった。でもそんなことよりボクは重要な手がかりを手に入れたのだ。
「この場所だけ、草が四季の順に並んでいるんですよ!!」
今までボクは色々な場所で生い茂った草木を見てきた。夜鳴鳥島において、四季は混在し流れを成す。まるで空から均等に蒔かれた種のように、四季の偏りなく植わっている草達。
そう思っていた。でもこの場所は違う。
「確かに春から順になっているな……しかも微妙な季節の移り変わりすら感じる」
「そうなんです。ほら、さっき言ったネコヤナギ」
ボクは木陰から出てきたヨドウ氏に、細い枝の先についた極上のビロードを指し示した。
「これがあるってことは冬ですよね。で、この一番端には福寿草があるんですよ」
「うーむ……」
黄色く膨らみのある花弁。白い羽毛に包まれた茎葉が、夏の日差しに似合っていない。しばらく何か重要な秘密が隠されているのではないか、と探しまわったが成果は上がらなかった。
「しかたない、ここはまた来るとして対称の町に行ってみよう」
「そうですね。ゲームなんかでも、解いていく順番は決まっていますからね」
「ははは、この島での最後の問い――なのかもしれんな」
シュナに水をやってから、まずはもう一つの海岸に向かうことにした。駅があった空き地からまっすぐに伸びた場所にあった海岸。ならば、鏡に映った町はどこからつながっているのだろうか?
答えは簡単だった。
「この向こうに道がありました!」
「やっぱりか……」
「気付きませんでしたよ」
腕組みして唸るボクの肩を叩いて、ヨドウ氏がニヤリと笑った。
「仕方あるまい、突然建物が消えたんだ。見落とすこともあるさ」
逆に向かってまっすぐに伸びた道を歩く。
注意深く観察すると、あの初めて歩いた風景とまったく同じであると分かった。目の前に広がる黒松の林。そして生活感のある日本家屋たち。どれもこれもが見知ったものだ。風が潮の香りを運ぶ。その匂いすら、同じに思えたほどだった。
「ヨ、ヨドウさん! ここ、音がしません」
ボクは一足先について驚愕した。
頭の中では同じ音が鳴っていると予測していたのだ。それがものの見事に外れてしまう。氏がボクの言葉に反応して、草履のパタパタというリズミカルな音を響かせた。
「他も廻ってみた方が良さそうだな」
と彼は空を見上げて言った。次にボクらが訪れたのは、ヨドウ氏と初めて逢ったあの場所だった。楡の大木を中心とした植物の楽園。
古井戸と季節選り取りの野菜たち。そして何より人の気配を感じる佇まいと、常に生活が営まれているかのような台所。冷えたジュースを思い出す。そういえばヨドウさんはあのジュースが飲めると、いつ気がついたのだろうか?
自然のまま植わっている野菜なんかと違い、あれは賞味期限のあるものだ。ボクはふと疑問に思った。
「入ってみるかい?」
「えっ!? ……あ、は、はい」
ボクは氏に関する思考を停止し、相変わらず痛いほどの日差しを降り注ぐ太陽を一瞥した。
「どうした? 暑くてぼんやりしたか?」
「い、いえ、大丈夫ですよ。それより入りましょう」
ボクは不思議そうな氏の横を走り抜け、ひんやりとした台所へと足を踏み入れた。
振り払っても疑問は湧いてくるものだ。初めてこの家に来たとき、ヨドウ氏にあった。偶然のようであり、そうでないような気もする。
そうだ。人影を見たんだ、あのわらべ歌と一緒に。ボクは台所の冷たい床の上に立って、そっとメモを取り出した。きっとこの歌が意味することが必ずあるはずだ。
もう一度文章を叩き込むと、パタンと閉じた。
「この奥に入ってみたいと思いませんか?」
「そう言えば、私も入ったことがないな……」
「ボクはこの街並みの向こう側に行ったことがないんですよ」
高い白い塀。緑濃き庭。いったいこの奥になにが隠れているというのだろうか。
島が円であるとするならば、この町並みは多少歪みながらも、まっすぐに島を横断していることになる。ということは、ボクは島の扇型半分しか見てはいないのだ。
青く透き通る空の色。
入道雲の鈍く光る輝き。
どれもこれもが日常のようであり、そうではない世界。
このまま昼が続けばどうなるのだろうか?
いや、どのくらいの間この「夜鳴鳥島」は闇のない町だったのだろうか?
疑問を描きながら、ボクはゆっくりと台所の奥へと足を運んだ。そこで行き止まりのように見えたが、近づくとどうやら奥へと進むドアがあるようだった。
同系色の壁紙が貼られた扉。遠くからなら、よく目を凝らさないと見えないだろう。銀色に鈍く光るノブに手をかけた。
「行くかい?」
「もちろんですよ」
どこに繋がっているかも分からないドア。弱い風が吹いて、葉ずれの音が耳に届いた。眩しい光りが射した。