十一章■水際の鼓動
大きな入道雲が眼下に見える。空気が熱を帯びて、ボクの喉に飛び込んできた。青い空と緑濃き山と木々。ぐるりと見渡したボクの目に染み込んでいる眩しい夏の色彩。
ボクが頭だけ突き出しているそこは、小高い丘の頂上だった。周囲には低い草が生えているだけで、まるで毎日手入れされているかのように整っていて、360度視界を遮るものがない。強い風だけが、ボクの視界を奪っている。
足に力を入れて、グイと体を持ち上げる。立ちあがった地面は丸く、すぐにもなだらかな下り坂になっているようだった。
「おおい! 手を貸してくれないか?」
ヨドウ氏の声がして、ぽっかりと空いた穴の中から手がゆらゆらと揺れていた。
節ばった大きな手の平を両手で握り締めると、ボクは力いっぱい引いた。あとちょっとの力だけでよかったのか、びっくりするほど勢い良く氏の体が持ちあがり、危うく坂を二人で転がり落ちるところだった。
夏の眩しい日差しに手をかざし、大きく息を吸い込む。両目に手を当てて、ゆっくりと吐き出した。
さぁ、これから考えることはたくさん用意されているのだから。
まず始めにしなければならないのは、ここが何処かということを知ることだった。なんとかふたりが立てる丘の頂上から、ぐるりと見渡す。そして実感した。
「島…ですね。やっぱり」
「予想通りだな」
目を向けるどの方向にも海が見えた。大きな入道雲が水平線と空の間に立ちあがっている。丘の中腹からは黒松が群生していた。
そうか、ここは消えてしまった駅から見えた黒松の丘なんだ。あまりにも深く高く育っているため、このこじんまりした丘が見えなかったのだろう。半径5キロにも満たないであろう島。その中央に立っている感じだった。
「あれが、ヨドウさんがいた町並みでしょうか?」
ボクが指差した先、そこには赤い屋根の家々が細い線を作って蛇行している。
「そうらしいな…ほら、大きな囲いが見える」
あそこからここまであの穴は通じていたのだと思うと、すごく遠い気がした。
「あれ?」
ボクは出発点を確認した後、視線を背中側に向けて違和感を覚えた。
「ん? 何かあったかい?」
「ヨドウさん、あれ見て下さい」
「こりゃ、珍しいこともあるもんだ……」
そこには出発した町並みと全く同じ風景が広がっていたのだった。ボク等の立つ丘を中心として、まるで鏡だ。どちらが最初に来た場所なのか、上から見ただけでは判断できそうもない。これがほんとうに鏡像の世界なのだとしたら、映り込んだ風景はどちらなのだろうか?
「ヨドウさん…」
「うむ……」
思わず意見を求めて振り向くと、彼は不精ひげをさすって目を閉じた。丘を下りてみない限りはどちらが知っている町なのかはわからないだろう。
とりあえずどちらかに行ってみるか……。
もう一度目に焼き付けるために、界下に広がる景色を見つめた。
蛇行したふたつの町並み。同じく海へと伸びたふたつの道の先に、白い砂浜が見える。そういえば、あの砂浜で音を聞いたな。地面が鳴動する規則正しい音。
ボクはこのことをヨドウさんに聞こうとして、すっかり忘れていることに気がついた。今からどうするか――それを考えたとき何かのヒントになる、そんな予感がした。
「砂浜の音聞きましたか?」
「何か音がしていたのかい? 私は海岸にはあまり行ってないんだ」
「ヨドウさんに会う前の砂浜で、地面の底から大きな太鼓を叩いているような音がしたんですよ」
「ふーん、それはどこらへん?」
ボクは場所を指差しながら、自分の予感を話した。
「なんだか音がするのは、片方の砂浜だけのような気がするんです」
ヨドウ氏は宝を発見したかのように目を輝かせ、身を乗り出して聞いてきた。
「なぜ、そう思うんだい?」
「根拠はありません。でも確かめる価値はあると思うんです」
アゴを触っていた手を腰に当て、ヨドウ氏はうれしそうに言った。
「じゃあ、行動開始と行きますかな」
ガサガサという草や生い茂る木々の間を走り、ボクらは下界へと下りた。 まずは自分たちがいたはずの町並みへ――。
「まだしてますよ」
「これがそうか……」
海岸の砂浜にしゃがみ込んで、ヨドウ氏とふたり耳を澄ましている。
背後の丘から息を切らせて着いた海岸は、穏やかな風と緩やかな波とがゆったりと繰り返し、落ち付いた空間を奏でていた。その中に規則正しいリズムが刻まれていく。
ドン! ドン!
初めて聞いた時も感じたことだが、改めて聞くとますます地面の底から聞こえてくるように感じられる。
「じゃあ、ここがさっきまでいた町――ということだな」
「そうなりますね」
ヨドウ氏は眩しい太陽を見上げると、
「とにかくだ、もう一つの町を見てみる必要があるな」
ボクを松林に誘った。ここはシュナを涼ませるために入った場所だ。もう一つの町にも、当然あるんだろうな……。