十章■転換した青空
この閉ざされた空間で、ボクらは共に行動している。実世界であったならば出会えなかった人物かもれしれない。そう思うと可笑しかった。ボクが関わったどんな人とも違う雰囲気を持っている。今だって、ボクの顔をニヤニヤと面白そうに見ているのだ。
ボクには好奇心がある。探求心がある。たったひとりこの空間に閉じ込められたとしても、やって行ける自信はあるつもりだった。でもこうして、ヨドウ氏と出会い連れ立って行動していることがこんなにも安心で、興味深く、心踊るものとは思わなかった。
孤独は、ひとりじゃない時にこそ分かるのかも知れない。
「登りましょう!」
ボクは元気に言った。
カンカン!
狭い空間に金属音が響き渡る。
「すみません…」
「気にしなくていいさ」
ボクは上。ヨドウ氏は下。どうしても靴から土が落ちてしまう。彼の頭の上にせめて自分自身が落ちぬように、慎重に足を繰りだしながらボクは息をついた。
もうどのくらい登ったろうか?
狭い上に暗い。真っ暗――とまではいかないのは、あの彫像が穴の下で相変わらず光りを放っているからなのだろう。だからこそ、登るにつれ暗さは増してくるのも当然だった。
「どこまで登るんでしょうかね?」
「なんだい? 疲れたのかい」
ボクは登る手足を休め、頭を掻いた。
「正直疲れました。先が見えないっていうのは不安と一緒に疲労も増すものなんですね」
ヨドウ氏は声を上げて笑うと、ポケットを探り始めた。
「元気出せ! 少年」
探ったポケットから出したのは、袋に入ったビスケットだった。なんだか可笑しくなってきた。穴に落ちたり、走ったりしたのにそれは一つもひび割れていない。大事そうに割れないよう気を配っている彼の姿が見えるようだった。
「頂きます」
「ちなみにこれは私のだ」
互いに笑みを交わすと、梯子の途中という変な場所でおやつの時間となったのだった。
「まだ先は長そうだね」
ボクは頷いた。頭の遥か上を見つめる。深黒に霞んだ長い梯子。金属の反射光すら見えない。
「とにかく! 一番上まで登るまでですよ」
「なんだ、元気が出たじゃないか」
実際ビスケットでお腹満たされたわけではないが、心は大きな安心感と好奇心で再びいっぱいになった。
「さぁ! 行きましょう!」
規則正しい金属音が二重になって響き渡る。あれから、どのくらい登っただろうか?
もうすっかり下からの光りは届かず、見下ろしてもただの小さな点でしかない。登りながら、ボクらは会話を楽しんだ。真っ暗な中を進むのに、沈黙ほど恐いものはなかったからだ。そんなボクはともかく、ヨドウ氏自身がどう思っていたか、本当のところ分かりはしないのだけれど――。
思考しながら登っていく。と、ふいに頭上に妙な感覚を覚えた。目を閉じていたって分かる。
その正体は接近感だった。
ボクは手をそっと上へと伸ばして見た。硬いものに触れる。目を凝らすと、今まで見えていた暗闇とは違う真っ黒な壁があるのが分かった。上部なのだから、壁という表現はおかしいのかもしれない。
しかし、ツルリとした表面と指触りは、今まで見てきたこの空間の壁と同類のものだったのだから。
「一番上まで来ました……けど」
「けど?」
ボクは頭を振った。
「行き止まりみたいなんです……」
「そうかい? 私はそうは思わないよ」
弱々しくなっていたボクの声を笑うようにヨドウ氏は言った。
「もっとよく見るんだ。しっかり観察するということは大切なことだ」
この暗闇の中、何を見るのかも分からないままボクは目を凝らした。
なんだろう…違和感がする。
今までこの穴の中で感じていた雰囲気と、この場所は微妙に違う気を発している。つるりとした壁面。ほとんど暗闇に近い狭い空間。見つめているだけではよく分からないので、ボクはもう一度天井を触った。
――あっ!!
「そうだよ」
氏が今分かったのかい?
とでも言うように、可笑しそうに口の端から息を漏らした。
「この天井、あったかいんだ!!」
なぜ、暖かいのだろうか?
相変わらず世界は真っ暗だし、なんの音もしない。でもここに変化は現われた。ボクは力の限り、天井を押してみることにした。そのためには、足場を固めておかなくては危険だ。
「ヨドウさん、ボクの足をお願いします」
「変化がないようだったら言ってくれよ」
ボクは頷くと、上を見た。彼の手がボクの足首を持ったのを感覚で確認すると、天井に向かって両手を伸ばした。
あたたかい。手の平いっぱいに温もりが広がっていくようだ。
「ん、ぐぐぐ、ぐぅ~」
変な声が勝手に出てくるが、この際無視して天井を押し上げ続ける。
「手を貸そうか?」
そう、氏が言った瞬間だった。今まで1ミリさえ動こうとしなかった天井が、わずかに移動するのを感じた。
ギギッ。
ボクは押し上げる両手に、更なる力を加えた。
わずかに開いたその先にあったもの――それは光の洪水だった。いままで見たこともないほど眩しく、鮮烈で、反射的に閉じた瞼をも越えて、瞳の奥にまでその明るさを届かせる。
そんな光達。ボクは軽い眩暈を感じながら、明反応が収まるのを待った。
なんて暖かい光りなんだろうか?
慣れていくごとに、強さを増す光りは熱いほどだ。
ああ、そうだ。今、外は夏だった。満開の季節を問わない花達。入道雲。蝉の――地面にまで染み入る歌声。
ボクはやっとこの天井の外にあるものが、空だと理解したのだった。
「こりゃ、まぶしい」
ヨドウ氏の声で現実に戻る。下を見ると、漏れてくる光を顔に受け目を細めている氏の姿があった。
「まだ目が慣れませんよ」
「ははは、これだけ真っ暗なところにいたら仕方ないさ」
ボクはようやく輪郭を持ってきた自分の指先に力を込め、天井を一気に開け放った。
そこには風が吹いていた――。