ORDER_8.[油断大敵(スラッグアウザー)]
[Fab-11.Sat/14:45]
「フシュッ!」
息を大きく吸い込み、左の一閃。小さな拳は目にも止まらぬ速さで追跡不可の顔面を狙う。しかし追跡不可は後ろに倒れる様に背を反らせてかわした。その動作に合わせる様に、倒れる上体に合わせてしなやかな足が蹴り上がり、行灯陰陽の顎を狙う。
動きに合わせて行灯陰陽は右に重心を傾け、跳び退く。まるで狙い澄ませた様に、六枚三対の白い翼が生えた白い虎が、ハヤブサの様に頭上から飛来する。
追跡不可はニタリと笑い、即席槍を掲げる。ただそれだけで、翼の生えた白い虎は四散した。真っ二つに斬り裂かれた紙がヒラヒラと舞う。
(クッ……先刻受けたダメージのせいで、身体が思う様に動かない……ッ!普段の私なら、紅螺旋を開いていればこんな敵、既に骨の一本や二本へし折っているのに、どうしても攻撃がワンテンポ遅れる……!)
ギシリと歯ぎしりをしながら、打たれ弱さを自覚し憤慨する行灯陰陽。たかだか四〇キロ弱しかない重量に対し、相手は大柄だ。体重の十分に乗った攻撃をまともに受けて仕舞った今、ダメージは相当蓄積している。
一方で、反らした体勢を元に戻しながら、追跡不可も同時に歯ぎしりする。
(この子……速イ!足りない重量を遠心力や身体のバネで補ったリ、とにかく動きが鋭イ!動き自体は雑だけド、とにかく戦い慣れてるみたいネ。それニ……あの目ハ、私の魔力を吸収していル!?)
追跡不可はバックステップを踏んで距離を取りながら、槍を行灯陰陽に向ける。刹那の間隔も開けずに《ザギン》と地面を貫くが、それだけだった。
(まタ、消エ――!?)
「うァァァああア!」
瞬歩で距離を詰めた行灯陰陽は追跡不可の左側面に現れていて、拳を振るう。全身を巻き込んだ強烈な一撃は、しかし追跡不可はとっさに肩でガードした。それでも衝撃を受けきれず、騎士の鎧を貫いて追跡不可を吹き飛ばす。
(グ、ぁガッ……!私の鎧ガ、ク、砕けッ……!?)
ビギ、と何かが壊れる様な音が響き、ブレスレットの一つが外れる。例え一つ外れたところで鎧がなくなる事はないが、しかしそれは追跡不可というプライドを壊すには十分なものだった。
「くァ、ちクッ、しょォがァァァああア!」
右足で踏みとどまり、反発力を利用して左足で蹴り付ける。まさしく槍の様な一撃が、体勢を立て直せずに前に体重をかけたままだった行灯陰陽の額に突き刺さり、カウンターとして逆に吹き飛ばされる。
(ぎ、がッア!!この、ナメた真似をッ……!)
腰を落として大地を踏み締め、行灯陰陽は目の前の敵を睨み付ける。脳を揺さぶられ、やや足下がおぼついていない様子だ。
(戦いを長引かせれば長引かせる程、私は有利になる。いずれ彼女の魔力が枯渇すれば、私の勝ちだ!)
(あまり戦いを長引かせるのは得策じゃないわネ。でモ、まだ私の奥の手が発動していなイ。全ク……本当にこれハ、くふフ、どうしたものかしラ!)
一拍の緊張を経て、二人は同時に動き出す。
一瞬で追跡不可の目の前に現れた行灯陰陽が拳を繰り出し、バックステップで距離を取ろうとした追跡不可はその拳を蹴りで的確に弾き、槍の先端を向けた瞬間に行灯陰陽の姿が消え、動きを先読みした追跡不可は上げた足で大地を蹴る勢いで後ろに流し、行灯陰陽はその蹴りを両手を使ってガードし、全身を半回転させて蹴りを受け流しつつ追跡不可の後頭部めがけて拳を振り上げ、追跡不可は身体を捻って攻撃をかわしつつ槍の柄尻を横薙ぎに振るって迎撃、行灯陰陽は前宙の要領で飛び上がって槍の柄尻をかわし、同時に繰り出した踵落としを追跡不可は右腕で受け止め、行灯陰陽はその腕を、追跡不可は地面を蹴ってお互いに距離を取る。
僅か一秒にも満たないやり取り(プロセス)。痺れる右腕を振って解しながら、追跡不可はニヤリと笑う。そのこめかみにはじとりと嫌な汗が一雫垂れる。
「ク、かハ、ふふフ。……参ったわネ。ちょっト、まともに真正面からやり合ったんジャ、勝てそうにないわネ」
言葉とは裏腹に、心底から楽しそうに。
勝てない事を知りながらも、それでもこのピンチやリスクというものを楽しんでいるかの様に。
「……何を、馬鹿みたいにヘラヘラ笑ってんですか貴女は?殺しますよ?」
「あはハ!そうその顔ヨ!お姉さんゾクゾクしちゃうわネ!くくかはふフ、イイじゃないその強気な姿勢!そういう子をなぶるのも私の楽しみの一つなのよネ!」
「……チッ、このサドが」
前髪を手櫛で梳きながら、行灯陰陽は追跡不可を睨み付ける。羽虫程度ならばそれだけで気死しそうな程に強大な殺気を受けて尚、追跡不可は恍惚で妖艶な笑みを浮かべる。
行灯陰陽は、追い詰められているにも拘わらずに笑う事を止めない追跡不可が、気に入らない。
それは、とても、苛々する。
「くク、フ。真正面から戦ったんジャ、私に勝ち目はなイ。でモ、だからと言って逃げたところデ、その一瞬で消える不思議な動きで追い付かれル。だからと言って多少の小細工を混ぜたところデ、貴女には通用しなイ」
まるで自らの負けを認めた様に、状況分析を口に出す追跡不可。しかしそれでも、まるで仮面を被った様に不気味な笑みを絶やす事はない。
「でモ、残念だけド。お姉さんは追跡不可なノ。逃げる事にかけてハ、誰にも負けやしなイ」
様子がおかしい。ここまで実力差を見せつけられれば、玄人でさえもある程度の戦意喪失が見える筈なのに、彼女にそれはない。
「……そろそロ、周りの変化に気付いてもイイんじゃないかしラ?」
ギクリ、と。行灯陰陽は背筋を震わせながらも、周囲を見渡し、
――その、火を見るよりも明らかな『変化』に、思考が停止した。
「……え?」
そこに居た、否、そこら中に居たのは、
「次、どこ行く?」
「あっ。あたし映画見に行きたい!確か今、かなり評判のいい映画やってたよね?」
「あぁ、何かテレビでも騒がれてたよな。うん、じゃあそれ見に行こうか」
――そこには、
「あ〜。何か暇くねぇ?ゲーセンかカラオケ行こうぜ」
「また、お前は。その二つしか頭にねぇのかよ?」
「はいはーい!私はウィンドウショッピングしたいでーす!」
「うぅん、あたしも意義なしでっす!」
「えー!ただ服見るだけじゃん!つまんねぇって!」
――行灯陰陽の目に映るのは、
「はぁ……最近、スランプなんスよねぇ、俺。会社で上手く企画提案出来なくて……」
「なぁに気にするなって。そうやって悩んでるうちに、トンデモないスゲェ企画を思い付くもんだって!」
「はぁ……そんなもんスかね、部長」
「あぁ、そんなもんだって。若いうちに何でも悩んでた奴の方が勝ち組なんだって」
――いつもと変わらぬ、
「どうどう?この髪型、よくない?」
「あ、パーマかけたんだ!うわぁ、メチャ綺麗じゃん!どこでやってもらったの!?」
「この前、雑誌で見せたじゃん!あの有名な美容院!カットとパーマで一六〇〇〇もしたのよねぇ」
「あはは、うわっ、高ぇ」
「ここんとこ、あたしにはそんなトコに行く暇がないなぁ。もう、カレシが最近ウザくてさぁ」
「男なんてそんなもんじゃん!カノジョだから何でもやってくれるとか勘違いしちゃってる奴!」
公園……人々の憩いの場でよく見かける、いつもの風景。
今度こそ本当に、まさしく心臓を鷲掴みにされた様な錯覚に陥った。
「どう、して……。この公園全域に、空間切断を施したのに、どうして!?」
「だかラ、言ったでショ?私ハ、相手に合わせテ、手を変えるんだっテ」
不意に脳裏をよぎる、光景は。
先程、追跡不可が裏面が表にくる様に着けていたコインペンダントを『表面が表になるように』着け変えていた光景。
「まさ、か、貴女……さっきの行動は……!」
「あっはははははハ!教えてあげるわよお馬鹿さン!このコインに刻んだ術式は『表裏切換』!人を寄せ付ける笛吹き男の術式ヨ!」
それは言うならば、人避けの魔術・空間切断とは対の術式となる、空間接合と言ったところか。そんな術式、行灯陰陽は知らないが、空間切断の魔術とは魔力の経路や回路を全く真逆にすればいい。効率的と言うよりは、逆転の発想だ。
追跡不可の奇怪な嘲笑に、不審そうな怪訝な表情で周囲の人々……魔術なんて薄汚れた世界とは本当に無縁な人々が注目する中、追跡不可は槍の先端を向ける。
矛先は勿論、行灯陰陽ではない。
「なっ、止めなさい!彼らは関係ないでしょう!?」
「だったラ、力ずくで止めてみなさいな魔術師!」
槍が発動するよりも速く、行灯陰陽が一瞬で追跡不可の懐に潜り込み、
ニタリと、追跡不可はこの上なく下卑た笑顔を張り付けた。
「だ・か・ラ!貴女はお馬鹿さんなのヨ!」
――不意に、音がした。アルミ製のボトルのキャップを開けた時にも似た、《カキュン》という、今この殺し合いの場では不釣り合いに間の抜けた音が。
槍は通行人に向けられているが、その先端の刃だけは、行灯陰陽を捉えていた。
折り畳み式の棒の部分が、ネジを外した様に。その先端の刃が行灯陰陽に向けられている。
(ま、さ。かッ……!?『槍』自体はただの偽装で、本、命は――ッ)
「さようなラ、名も知らぬお嬢ちゃン」
槍――刃の魔術が発動。その切っ先の向けられている行灯陰陽の腹部は、音や光、軌跡や現象もなく、『ただ単純に』肉を引き裂いて血飛沫を巻き上げた。
[Fab-11.Sat/15:00]
何が起こったのか、事情を理解した者は誰一人としていない。
確かに長身の女性と小柄の少女が、異質な喧嘩を繰り広げていた。それは理解した。だが、長身の女性が刃物を持っていたのは事実だが、その刃が小柄の少女に触れる前に、小柄の少女は血飛沫を撒き散らして倒れ伏せたのだ。
何が起こったのか、事情を理解した者は誰一人としていない。……どころか、自らに迫る危険すら把握出来ていない。
「あ。れ……。何。か。意識。が……」
周囲に取り巻く人の一人が、貧血の様に体勢を崩した。後はなし崩しの様に、他の者達も倒れていく。
「くかははハ!貴女のその眼のせいデ、関係ない人達を巻き込んでいるわヨ!?止めろだとか何だかんだ言っておきながラ、貴女が一番の有毒有害じゃなイ!」
ザクリと、行灯陰陽の心に突き刺さる言葉。瞳孔より螺旋を描いた様な紅色の眼は、範囲内の生者の魂を喰らう魔眼だ。その眼を開いている限り、彼女は周囲の『無関係な者』の魂を喰らい尽くして仕舞う。
パタパタと滴り落ちていた血は、既に傷ごと塞がっている。超状的な治癒力と引き替えている代償は、あまりにも大きい。
「グッ……貴女と、言う、人はッ……!」
コートのポケットから眼帯を取り出す手は震えている。
それが激痛によるものか憤慨によるものかは彼女には計り知れないが、恐らく両者の相乗効果なのだろう。『魔力喰らい(ウィタ・オクスィド)』の魔眼封じを右目に装着した瞬間、追跡不可が槍の切っ先を再び向けてきた。今度は一直線に行灯陰陽を狙っている。
「避けるト、後ろの一般人が傷つくわヨ」
今まさに瞬歩で高速移動しようとしていた行灯陰陽は、なっ、と言葉に詰まりつつも動きを止め、凄まじい勢いと形相で背後を見た。
その視線の先には、誰もいなかった。
「はっずレ〜♪」
ジュブ、と。生々しくも瑞々しい、まるで『血の滴る生肉にナイフを突き立てた』様な音が他人事の様に聞こえたと同時、太股に激痛が迸った。
「ひっ、ぎ、ィあッ、ァァァああア!!」
「くかひひふははハ!今は戦闘中なのヨ!?それなのに敵の言葉を真に受けるなんテ、貴女、本当の本気に本格的な馬っ鹿じゃないノ!?」
悲痛の叫びと、爽快な嘲りと、無言の呻きが公園に響く。その異質に異様で異常な光景は『地獄絵図』と表現しても差し支えない。
(あ……足が、身体が、うご、かな……)
悲鳴を噛み殺し、飲み干し、押し潰し、膝を突きながらも無理に立ち上がろうとする。今までは打撃だったので、無理をすればまだ何とかなる程度のダメージだったが、流石に刃物で貫かれては動けそうもない。
「貴女の負けを認めなさイ。そうすれバ、命までは取らないわヨ」
急に冷めた物言いで、ぶっきらぼうに吐き捨てる追跡不可。その言葉は言い換えれば「命乞いをすれば助けてやる」という意味に繋がる。
口端に溜まった、涎と血の混じった鉄臭い液体を吐きながら、行灯陰陽は言う。
「冗、談……!」
「そウ、残念だワ」
追跡不可は今までずっと肩に担いでいた古びた黒いリュックの、一番大きなチャックを開けながら、行灯陰陽に投げ渡した。
「全ク……先方も無茶を言うわよネ。私がどこかに隠れていれば無駄な戦いをしなくてモ、無駄な血を流さなくても済んだのニ、わざわざ囮になれって言うんだからネ」
「……え?」
開かれた黒いリュックの中身……そこには、何もなかった。雷撃殲手と呼ばれる、全てを殺害と殺戮に導く神の霊装は、その片鱗すらも見られない。
「まさ、か、もう取引は済んだと言うのですか!?」
「ふフ。その様子だト、情報攪乱は上手くいってるみたいじゃなイ?」
「……それは、一体、どういうッ――!?」
追跡不可の取引。取引があると分かっていながら、受け取り先が謎に包まれているという矛盾。どこかで結界を張って隠れているならまだしも、わざわざ『見つけられる事を前提に』街を歩き回っていた不可解な行動。囮、という言葉が思い浮かぶ。
でも、どうして?
何もかもが仕組まれている様な、事件の中心を隠蔽したかの様に大きな穴が存在している事に、行灯陰陽は気付いた。いや、どうして今まで気付かなかったのかが不思議でならないくらいだ。
(……ちょっと、待って下さい。これは、まさか、もしかして、ひょっとすると、)
そして何より、この『古びた黒いリュック』のデザインは見覚えがある。どこで、と考える迄もない。
(だ、って……このリュックと『全く同じ物』を持ってる人は――ッ)
そもそも。
事件の発覚と同時に、その情報を日本支部から承ったのは、誰か。
弾き出された答えを、口に出す前に。
「テメェ、何を僕のダチに手ぇ出してんだコラッ!」
横合いから飛び出してきた拳が追跡不可の頬に突き刺さり、吹き飛ばされた。
そこにいたのは、寝癖そのままのボサボサした黒い髪の少年・時津カナタ。
「時、津、さん……!?」
「癸っ、無事か!?」
青ざめた形相で駆け寄ったカナタは、行灯陰陽……チドリの肩を抱き、そして傷口を見て益々青ざめた。
「ッンの、アマァァァああア!」
ギチギチギリギチと、奥歯を砕かんばかりに噛み締めたカナタは、チドリの身体をゆっくりと地面に下ろして立ち上がる。
「絶対ェにテメェはブチ殺してやっから、覚悟しとけよクソアマがッ!」
初めて激昂したカナタの姿を見たチドリは、脳内のイメージがやや砕けた事に軽いショックを受けながら、ふと視線を傾けた。その先には、ほんの僅かに苦笑を浮かべたシズカと、そんなシズカの腕にしがみついているルネィスの姿があった。
「チドリちゃん!大丈夫!?」
「ちち、チドリさん、ご無事――みみぎゃあ!血が、ちち血がァァァああア!」
二人は寄り添う様に、チドリに駆け寄る。本格的に泣き出しそうな表情を浮かべるルネィスに対し、チドリは睨み付ける様に視線を向ける。
「ルネィス!お前、確かRPGみたいな回復魔法が使えるっつってたよな!?早いとこ癸に使ってやっ――」
「離れて下さい、ルネィス=マクスレツィア!」
は?と、チドリの意味不明な叫び声に、三人は眉根を寄せて動きを止める。
「みずの、と?お前、どうしたんだ?」
「ちち、チドリさん、ぃい、今はまず傷の治療を最優先に――」
「いいから!早く、離れて下さい、ルネィス=マクスレツィア!」
カナタとルネィスが傷を無視してでも立ち上がろうという無茶をしているチドリに視線を向ける中、
「早く離れなさい、水鳥シズカから!」
シズカは、近くに落ちていた黒いリュック――シズカが持っている物と全く同じデザインのリュックを見て、舌打ちしていた。
「にゃはっ。……ったく、もっと穏便に事を運びたかったけど、ん〜、スケジュールを詰め込みすぎたのかしらねぇ」
「早く!」
チドリの叫びに被せる様に、シズカはその双眸を焼け爛れた様に輝かせて、呟く。
「無駄。もう遅い」
言葉と同時に、シズカはジャケットの中に忍ばせていたアーミーナイフを取り出し、腕にしがみついていたルネィスの腹部に突き立てた。