ORDER_7.[夢幻泡影(イマジンニヒリティ)]
[Fab-11.Sat/14:25]
倒れ伏せる追跡不可を見下ろしながら、チドリはコートのポケットからケータイを取り出した。シズカとの通話はまだ切っていないので、繋がっている。
「こちらチドリ。追跡不可の撃破に成功しました」
『えっ!?ま、マジで!?や、やったじゃん!』
やや驚いたシズカの声を聞きながら、チドリはちらりと横目で追跡不可を見つめる。先程の一撃はクリーンヒットの手応え(足応え?)があったし、何より身長一七〇を越えていそうな長身の身体はピクリとも動かない。
チドリはため息を吐きながら、えぇ、と呟いた。
「かなり本気の蹴りを首筋に打ちました。気道が潰れ、しばらくは呼吸困難で動けない事でしょう。不意打ちはあまり好きではありませんが……まぁ、このくらいはしないと追跡不可は止まらないでしょうし」
『にゃ、にゃはは……。ち、チドリちゃんて……なかなかハードな事すんのね。まぁいいや、今そっちに向かってるから、とりあえず捕獲しといてね。くれぐれも殺さない様に』
「前向きに善処します」
ピッ、と通話を切ったチドリは、辺りを見渡す。
そこは、雑木林が切り倒されたまま除去されていたり、街灯がそっくりそのまま新品に変わっていたりする、見覚えのある公園だった。というか、チドリはこんな惨状を作り上げた犯人の片割れとも言える。
……考えれば考える程に胸が詰まりそうなので、チドリはもう一度ため息を吐きながら、追跡不可を見つめた。
「フゥ……今のうちに、結界でも張って追跡不可を閉じ込めておきますかね」
コートの内側に潜めていた儀式用ナイフを《シュラン》と取り出しながら追跡不可に近付く。本当に、追跡不可は指一本動かさないので生きてるのかどうか怪しく思えてきた。
(……あれ?)
不意に、チドリは追跡不可の持っている物に気付いた。
黒いリュック。それを後生大事そうに、肩に担いでいる。
「……まさか、この中に『あの霊装』が?」
あの霊装。それは、既に神の力を偶像理論数値に変換して刻み込んだ、史上最悪の模造品だ。
「……雷撃殲手」
強大で強烈な一撃を以て、あらゆる物理防御を無視して破壊する、神の領域。マルドゥークとは、かつてティアマトを雷撃の力で殺し、その死骸から世界を作り上げた、古代バビロニアにおいて創造の神ともされている。
追跡不可が取引しようとしていた霊装の名は、曰く、雷撃殲手。
「……ま、まずは、雷撃殲手を押収しておきましょうか」
あまりにも現実離れしたアイテムを前に、極度に緊張したチドリは誰にと言うでもなく、独りごちながら追跡不可の黒いリュックに手を伸ばし、
――ズガッ、と。鈍い音が下方から聞こえてくると同時に、チドリは喘ぎ声を吐き出した。肺の中の空気が全て吐き出した様な、鋭い衝撃が走ったのだ。
「か、ハッ……!?」
「生憎ト、君みたいなお嬢ちゃんに負ける程、お姉さんは弱くはないわヨ?」
うつ伏せたままチドリの下腹部を蹴りで穿った追跡不可は、ブレイクダンスの様な素早い動きで立ち上がり、バックステップで距離を取った。ガクリと、チドリはその場で腹を押さえながら崩れ落ちる。
「いやァ、今のはホントに危なかったワ。何が気道を潰したよネ、首の骨がへし折れるかと思ったわヨ」
ゴキゴキと首の骨を曲げて関節を鳴らしながら、追跡不可はニタリと嗤う。見上げる者と見下す者、双方の立場は、全く逆転していた。
(ゆ、油断……した……)
噎せた様に咳き込みながら、チドリは地面に膝を突いたまま追跡不可を見上げる。
金髪のベリィショートは、前髪の右側だけを瞳と同じ青色に染めている。派手な毛皮のコートを羽織っていて、耳に無数のピアスが付けられていたり、ネックレスやブレスレットやリング、他にも服につけられたチェーンなどの装飾品も全てが銀製だと思われ、ジャラジャラと音を鳴らしている。
「ふふン。どうしテ、って顔をしてるわネ」
「……えぇ。是非とも、ご教授願いたいものですね」
「自分で考えてみなさぁイ♪」
言うが早いか、追跡不可は距離を詰めてチドリの顔面めがけた蹴りを振り上げる。反射的に、チドリは四肢を駆使して横に跳び、何とか一撃をかわした。
「小賢しい!」
獣の様に柔軟な動きで立ち上がったチドリは、次の瞬間には追跡不可の背後に超高速で回り込んでいた。目を見開いて驚愕した追跡不可は、体勢を崩す様にステップを取りながらチドリに振り向く。
だが――背後に、チドリの姿はない。
「なっ……」
「今度は、頭蓋を砕くつもりで討ちますよ」
いつの間にか、チドリの小さな両手が追跡不可の側頭部を掴んでいた。思考が追い付くよりも早く、追跡不可の鼻骨を粉砕せんと言わんばかりに、チドリの膝蹴りが《ドグチャッ》と追跡不可を討ち抜いた。
仰け反る様に青空を見上げる追跡不可。チドリは更に追い打ちとして、空中で追跡不可の胸骨部に右足を乗せ、一気に踏み込む。凄まじい勢いで地面に打ち付けられる追跡不可。
一方で、タトン、と軽快な音を奏でて着地したチドリは、鬱陶しそうに前髪をかき上げながら振り返る。
今度こそ、攻撃は極まった。完膚無き迄に叩き潰した。激痛にのたうち回るか気絶するかのどちらか、少なくとも立ち上がる気力は湧かないだろう。
……筈なのに。だと言うのに。
「イイじゃなイ!あっはハ、見掛けによらず激しいのが好きなのかしらお嬢ちゃン!?」
何故かすぐさま立ち上がった追跡不可は、チドリの顔面に拳を叩き込む。体重の軽いチドリは、追跡不可が立ち上がった事実に驚愕していたのも相俟って、吹き飛ばされた。地面を転がる際に受け身を取り、どうにか立ち上がるが、思考が正常に働かず混乱は極度に達している。
(なっ、何が、どういう理屈で、彼女は、立ち上がった!?私は本気で攻撃したのに、何故!?)
打たれ強いとか、我慢しているとか、そんなちっぽけな話ではない。大の男でも戦う気力を失うくらいの猛攻を受けて尚、どうして立ち上がれたのか。
膝蹴りは確実に鼻骨を粉砕出来た筈だし、踏み込みは肋骨の四・五本は破壊出来た筈だ。
「うフ、ぅくくふフ!あらあラ、見掛けによらず随分と激しい娘みたいだけド、お姉さん的にはまだまだ物足りないかしラ。あんまり早くちゃ退屈過ぎて、男の子も満足させてあげられないわヨ?」
「……なっ。あ、貴女は……一体、何を?」
前に一歩を踏み出そうとするが、チドリの身体がガクリとつんのめり、折れ曲がる。
「あらあラ。今までのはただの前戯なのニ、もう足腰が駄目になったノ?それとも緊張してガチガチになっちゃってるのかしラ?あはハ、何ならお姉さんが身体を揉み解してあげましょうカ?」
笑いながら、一閃。死神の鎌の様に禍々しい右の拳は綺麗な弧を描く様に、チドリの顔面に向かう。
「ぐっ!」
もつれる足を奮い立たせ、チドリは半歩後ろに下がりながらスウェー(上体を反らす回避運動)で拳をかわす。先程のクリーンヒットが響いているのか、いつもの様に軽々しい動きが出来ない。
「ほラ、動きがノロくなってるわネ!隙だらけじゃなイ!」
避けられた追跡不可の拳が、鋭い動きで跳ね返ってきた。肘がチドリの喉を潰し、乾いた吐息が漏れる。
「……っ、……!?」
「ほらほラ、激しいのが好きなんでショ!?」
胸ぐらを掴んだ追跡不可はチドリを引き寄せる。その勢いに任せたまま、追跡不可の後ろ回し蹴りがチドリの後頭部を穿つ。
「……ッア!」
手足が痺れ、上手く身体が動かない。チドリは倒れ込み、追跡不可を見上げる。
ジャラジャラとシルバーアクセサリーを揺らして鳴らしている。キラリと光る、テンプル騎士団の紋章が掘られたコイン型のネックレス。
(……何ですって?)
シルバー……つまり銀のアクセサリーの数々。テンプル騎士団のコイン。
(……そう、か。ダメージが通らない理由は、これか!)
渋面を浮かべながら、額に滲む嫌な汗を拭いながら、チドリは勢いよく立ち上がる。
「……あれだけの攻撃を受けて、どうして無傷なのか。……その手品は見破れましたよ」
「ふふン?」
ゆらりとおぼつかない、名前通り千鳥足になりながらも、それでもチドリは真っ直ぐに追跡不可を見据える。隻眼は、何かを見捉えている様に、爛々と輝いている。
「……正体は、それ。銀のアクセサリー全てが、一つの術式になっている。恐らく……ある程度の攻撃を無効化する、衝撃吸収」
ピクリ、と。追跡不可の眉が微動した。しかし動揺を気取られない為か、次の瞬間にはニタリと口角を歪めて嗤い、
「ふフ。バぁレちゃったカ。うン、正解。流石は設立魔術――フウスイ(エア・トゥ・ウォータ)って言うんだっケ――に長けた国の魔術師だけはあるわネ」
「……日本人を馬鹿にしてるんですか?」
「そんな事ないわヨ。……まァ、手品が見破られて尚、縋る手品師ってのも格好良くないシ、種明かしでもしましょうかナ」
不敵に。歪つで愉快そうな、焼け爛れた銅像の様な笑みを浮かべながら、追跡不可は淡々と語り出す。
「これは言って仕舞えバ、テンプル騎士団の鎧なノ。お馬鹿さんには見えなイ、ネ」
要するに、追跡不可が身に着けているシルバーアクセサリー全体が、魔方陣となって『鎧』の魔術を展開しているのだ。魔術回路としてのデザイン性、魔力導線としての位置や身に着けている箇所の意味を含み、吟味し、生み出された鎧。それは即ち、追跡不可の魔術センスの異常なまでの高さを表している。
「……それを打ち抜くか打ち砕かない限り、貴女へのダメージはゼロと言う訳ですか」
「そう言う事。でモ、残念ながら私が追跡不可と呼ばれる所以ハ、それだけじゃないのよネ」
妖しく微笑む追跡不可は、コートの内側から折り畳み式の長い棒とナイフを取り出し、手慣れた手つきで棒を組み立て、先端にナイフを取り付ける。即席の槍の様だ。
「クウィリヌスの鎧ト、ロムリスの槍。ローマの神なんだけどネ、この双子こそがテンプル騎士団のモデルだと言われてるのヨ。このコインにある一頭の白馬に二人の騎士というのハ、騎士と司教を象徴しつツ、クウィリヌスとロムリスを描いた形とも言われてるワ。そしテ、」
追跡不可は薄らと笑みを浮かべたまま、槍の先端をチドリに向ける。
瞬間、斬撃。
《ザギィン》と、地面が一直線に裂けた。チドリのすぐ横を、何の軌跡も現象もなく、ただ裂けただけだ。
「クウィリヌスの鎧は悪魔の力を一切退ケ、ロムリスの槍はあらゆる敵を殺ス。『距離も障害物も関係なク』」
ニヤリ、と嗤う追跡不可。最強の槍に最高の鎧は、あらゆる外敵を退ける。まさしく、追跡を許さない最良の魔術師である。
「……ッハ!」
だからこそ、チドリは嗤う。
ぐちゃり、と。普段の、感情の隆起が希薄な表情を、ぐちゃりと歪めて乱して愉悦に嗤う。
「神の槍?神の鎧?そんな、模造品ですらない粗悪品で、よくもまァそんな誇大広告を掲げれたもんですね」
「……持ち運びに目立たない形や質量を追求した結果、これが最良だったというだけの話ヨ。町中で甲冑を着込む訳にはいかないでショ」
「……下らない。あぁ下らない。非常にくっだらない人ですね、貴女は」
犬歯を剥き出しに、普段からは考えもつかない様な凶悪な笑みを浮かべ、チドリは左目を隠している眼帯に左手をかけ、右手で『白虎』とサンスクリット語で書かれた呪符を取り出す。
「ようするに、その鎧を打ち抜くぐらい、強力な攻撃を叩き込めばいいだけの話でしょう」
ギチリ、と。チドリを取り巻く空気が、異質なものに変化した。否、そこにいるのは既に『癸チドリ』ではない。
曰く、陰陽師・行灯陰陽。
「ふぅン……本気ってヤツ?」
「えぇ」
「そウ。だったラ、私も本気を出さないと失礼でしょうネ」
キン、と。ガラス細工を打ちつけたが如く、背筋が凍り付く様な空気が流れる。追跡不可は裏面が表にくる様に着けていたテンプル騎士団のペンダントを外し、コインの面が逆になる様に着け直す。
「私は相手に合わせて戦法を変えるんだけどネ。君に一番似合いそうな戦い方ハ、これだと思うワ」
追跡不可の言葉を聞き流しながら、チドリは左目の眼帯を外す。螺旋にねじくれた瞳孔が、光を取り込むと同時に猫の様に輝く。
互いに準備は整ったと言わんばかりに頷き合い、二人は同時に駆けだした。
[Fab-11.Sat/14:40]
「カナタくん!」
「あぁ、シズカか!」
ルネィスが転けない様にカナタが腕を支えながら走っていると、シズカと合流した。全力を以て走っていたらしく、動悸が激しい。
「チドリちゃんの居場所は!?」
「あぁ。癸も追跡不可も、公園の反対側にいる。場所は分かっている。……くそ、この公園のランニングコースって五キロはあるんだぞ」
「たた、大変です!は、早くチドリさんの援護にむむ、向かわなくては!」
「お前が厚底履いてるからだって理解してんのか?」
はう!とショックを受けているルネィスを捨て置き、カナタとシズカは神妙な面持ちのまま顔を見合わせる。
「多分、癸は交戦中か交渉中か……どちらにせよ、追跡不可と接触している事は確かだ。後は……怪我でもしてねぇといいんだが」
カナタは、チドリと初対面の事を思い出す。ボロボロのコートや見え隠れする生傷など、見ているだけでも痛々しい姿になっていた癸チドリを、思い出す。
それと同時に、もう傷ついてほしくないという感情も生まれる。
「と……とにかく、行きましょう!考えるのは後でいいわ!」
「あぁ、そうだな」
走り出すカナタとシズカ。一刻も早く現場にたどり着き、少女がこれ以上傷つかない事を切に祈りながら――、
「まま、待って下さいぃ〜……。お、置いて行かないでぇ……」
「「……あ」」
上手く走れないどころか、歩く事もままならないルネィスに駆け寄り、左右から腕を掴んで再び走り出す。さながら、連行される宇宙人の如く。
ガチャリガチャリと、シズカの背負っているリュックを鳴らしながら。
世界は、めくるめく移り変わる。




